「第一回東京園芸祭」 昭和12年のフラワーサミット会議、東京市産業局主催 「花卉利用に関する座談会」は上野精養軒で午後2時から5時間もやっていた! 当時の状況を知る
東京市産業局主催
花卉利用に関する座談会
主なる出席者(順序不同)
農林省農務局農産課 藤巻雪生
埼玉県立農事試験場 関 慎之介
東京府農会 牛込寛次
東京帝国大学農学部 丹羽鼎三
千葉高等園芸学校 穂坂八郎
東京府立園芸学校 池上順一
東京府立農芸学校 鈴木静穂
自由学園 鈴木孝太
東京家政女学院 有川久恵
東京朝日新聞社 服部亀三郎
東京日日新聞社 細沼秀吉
報知新聞社 麻生恒太郎
読売新聞社 伊藤まち子
中外商業新報社 高梨正三
国民新聞社 新井忠一
実際園芸 石井勇義
日本園芸会 飯島茂
帝国華道院 鳥居忠一(戸越農園主任)
〃 岡田広山(広山流初代家元)
大日本花道協会 斎藤巣潮
ジャパン・ツーリスト・ビュロー 香月善次
東京生花市場組合 飯塚忠蔵
芳花園 深野修一
みどりやフローリスト 吉田鐵次郎
東京農産商会 湯浅四郎
東京市荏原園芸組合 伴田四郎
東京南葛園芸組合 小池新治
東京温室同業組合 鴨下栄吉
東京市農会 小山田一雄
東京市保健局 井下 清
東京市産業局 吉山眞棹
〃 宮崎吉則
外多数出席
※東京の花は需要も生産も増え続けている。さらに花が利用される機会を増やすような取り組みをすべきだと提言されている。
※葬儀における造花の使用がたいへんに増えていて、むしろスタンダードになっている。生花の花輪から花籠へと供花が変化しているようすが具体的な数字とともに記されている。
※アメリカで長く花の販売に携わった吉田氏、池上両氏が彼の国のFTD(生花の通信配達)のシステムを日本でも導入するように提言している。
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東京市産業局に於ては、去夏には洋菜関係の専門家を一堂に集めて、洋菜に関する座談会を開催したが、今回は更に五月四日、二時より上野精養軒に於て、都下に於ける、花卉の生産者、販売業者、市場関係者、花卉装飾、生花関係者、雑誌新聞関係者、学会専門家、参集の下に、東京市を中心として生産され、消費される花卉についての座談会が開かれた。吉山産業局長が座長となり、各方面識者の談論五時間に及んだ。その要点を述べると、
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伴田四郎氏―花卉装飾の現状ならびに需要の変遷
―一般の花卉装飾に温室作りの花を用ゆるようになったのは最近で殊にかの大震災以後にめっきり多くなって来たが、近年は温室、露地を通じて花の消費高が多くなり、東京市内の一年間の花の消費高は、市場取引に於て約三百万円、これが小売に於て六百万円に達しているので、東京市の人口六百万に対して、一人一円の花を消費するわけで、大阪、神戸等に於ても大体一人一円の割合の消費になっているようです。生活が派手になって来れば花の消費も勢い多くなってゆくわけであるが、お葬式に生花を用いずに造花を使う傾向が甚だしいので、これを生花に換えたならば更に需要が増加してゆくものと見られる。
これを産地別に考へると、東京市近郊の外には、神奈川、干葉、埼玉、静岡が多く夏には山梨から信州の高原地方のものが出荷される。関西では、大阪、兵庫が大生産地で、暖地物としては東京の房州に匹敵するところは淡路島で、これがすぐ眼の前にあるし、夏の冷地ものは六甲山が、東京の信州に匹敵している。次に九州東部の花卉の生産と需要が急激に多くなって来たのは面白い。
飯塚氏―東京に出廻る花卉について
―東京市内には約三十ヶ所の市場があり、花屋が市内に二千七百名位あり、神奈川県下に一千名あるが、考えるのに、まだ花の値段が諸物価に比して少し高いのではないかと思う。モット高級品が安く売れるようになったら沢山に売れると思うし、地方品に対しては輸送法を更に研究して近県の品が完全に着くようにしたいと考えている。
小山田技師―東京市内に於ける花卉園芸の実状
―今日陳列してある花の材料は大部分東京市内の生産品であるが、昨年(昭和十一)十二月現在に於ける東京府内の生産現状を見るに、営利温室二九、五一三坪(学校、娯楽を含まず、一部分無暖房を含む)その内市内二、五九九一坪、北多摩郡一六八五坪、南多摩郡二一一五坪、西多摩郡九五坪となっています。それが昭和八年には二二、〇〇〇坪、大正二年には二、〇〇〇坪というわけで年々増加の傾向にある。
切花の種類から見て一番多いのは大森区のカーネーション、足立区の促成品百合等、葛飾区の鉢物というわけで、カーネーションについでは、洋菊、百合、促成チューリップ、シプリペジューム、デンドロビューム、ゼラニウム、シクラメン、マーガレット、葉物ではアスパラガス、アヂアンタム等も相当に作られています。
露地栽培の方面では、昭和十年七月現在で、市内一五二町七反、府下二四二町八反で各郡別にすると、北多摩郡が三四町歩、南多摩郡四町四反五畝、伊豆大島二六町六反五畝、八丈島十町六反六畝、小笠原島九町四反五畝、戸数別に於て府下は一五一〇戸、市内一〇三六戸である。露地切花の種類としてはダリヤ、金盞花、葉牡丹、チューリップ等が多いものであり、生産地に市内の中心より砧、千歳、大泉というように奧へ奧へと進みつつあり、それが埼玉、千葉、神奈川の方へ伸びてゆくわけです。
吉田鐵次郎氏―装飾、販売の立場から
―私は外国から帰って来て、あらゆる機会に花の使い方や装飾法についてあらゆる機会にお話したり、実物に依って宣伝して来たが、人間に花から生れて花で終わるという意味で、保母車を装飾した出産祝から、入学祝、音楽会、送迎の花束、結婚式の花、最後の葬式の花という様に、一通りを今日も陳列しましたが、日本でも花から生まれて花で終わるという様に、花を使うようになればまだまだ需要が多くなって来る事と思う。
関技師―埼玉県の生花村料の生産
―埼玉県下の枝物の生産は価額に於て六千万円、栽培面積が五百町歩に及んでいる。多くは副業的にやっているが、仲買人が三百名居る。近年促成品が有利な為めに、農家が大抵三〇坪内外の温室を設備して冬季から出荷しているし、草花としては市場に遠い関係から宿根ものが多く作られている。
池上順一氏―外国に於ける花の消費
―アメリカでは花の消費方法に二つある。一つは装飾に用ゆるのと、一つは贈答用にすることで、葬式の花環には造花は絶対に使はぬことになっている。贈答用が特に多い。クリスマス、イースター、誕生祝、入学祝、卒業祝、遠足、スポーツ、結婚式、金婚式、銀婚式、母の日等限りがない位に花を使う機会がある。ニューヨーク州の花の消費高が一年に二千九百万ドル、カリフォルニア州が一千万ドルに達している。切花の輸送に飛行機を用ゆるとか、日本には未だ行われていない電報販売法とかいうものが、将来切花の同業者の連絡が、うまく出来て東京の人が大阪神戸の人に花を送るのに、東京の花屋に注文すれば一、二時間の内に先方に届くというような組織の出来ることを希望しています。
湯浅四郎氏―生花・造花の問題
―最近、年と共にお葬式の花環に造花が進出して生花が少くなってゆく傾向のあるのは明らかで、生花業者にとっては重大な問題であります。これを二、三の実例について見ると、大正七年の大隈侯爵のお葬式の時には二千百個の花環があったが、その内二百六十個が造花で、あとは全部生花の花環であった。ところが後藤(※新平、昭和四年没と思われる)伯爵の葬式の時には造花が四割に増加し、濱口雄幸(※首相、昭和六年、東京駅にて銃撃され死亡)氏の葬式の時には造花が七割に進出した。最近の大川平三郎(製紙王、昭和11年逝去)氏の葬式では、千六百個の花環の内生花が僅かに九十個で一割に当らぬ少数になってます。その理由の一つとしては、造花では大きな木札を立てるので、自分の宣伝に利用されることと造花は二度使うことが出来ます。寺では造花か相当の値段で払い下げることをやっているし、現在造花の方では材料の卸問屋が市内に三十軒程ありますが、花環を一度しか使わぬとなれば現在より職工を二割位増加しないと間に合わぬと言ってます。
そこで生花の花環の需要を多くするには、第一値段を現在より安くして、永持ちのする様に工夫をすることですが生花では永く持たせるには十分に水あげをしなければならないが、急の注文ではその時間がないし、材料を集めるにも相当の時間を要する為めに製作の上にも遺憾の場合がある。そこで最近籠花が多く用いられるようになって来てます。今一つは雑誌、新聞その他の機関をもって、花環は造花では全く意味をなさぬものであるという事を宣伝することが必要である。同業者の連絡、値段の大体の統一、技術者の養成等も必要であると思う。
産業局―(参考として本年の二月十九日から二ヶ月間の青山斎場に於ける名士の葬式の生花と造花の割合を調査したものを発表します)
花環一、二四八(内、生花五八二、造花六八六) (この比例は四六、七%―一五三、三%)というような比較的生花の多い数字を示してました。