1935年、ドイツでは「国産」を明記、バラ切り花、小輪キクの流通規格が実施される、『実際園芸』創刊から10年目、昭和10年1月を迎えて表紙を絵から芸術的な写真に変更する 

 

『実際園芸』第18巻1号 昭和10(1935)年1月号


◇ベルリンの切花市場に於けるバラの販売統制

ベルリンの切花市場に於ては、最近、組合員の会合を行って、切花バラの価格、品質、大きさ等の統一を図り、不正品の売買される事を禁ずるように申合せた。目下着々とその準備が行われているという事である。

次にその規定を見ると、

一、温室バラは品質に依って「A」、 「B」の二つに分け、露地バラは「B」 だけとする。

二、「A」に属するものとしては、花、 花枝及び葉は新鮮な色を呈し、健康で傷害もなく病虫害にも侵されてないものであって、花はその品種特有な色彩及び花形を有し、花枝は真直で、花を完全に支える程に丈夫でなければならぬ。

三、「B」に属するものに花、花枝及び葉は出来るだけ健全でなければならないが、多少の傷害或は葉の脱落位は許す事は出来るけれども、病虫害は全然許す事は出来ない。花の大さは「A」よりも小さくて宜しい。花色及び花形は成るべく品種特有のものでなければならないが、多少花形が歪んだり、或は多少変色しても宜しい。花枝も真直な方が良いが、多少湾曲したり「A」程に硬直でなくとも良い。

四、大きさは花枝の長さに依って、次の如く五乃至六階級に分けられる。切花一束は、十本または二十本とし、「A」の「Ⅴ」、「B」の「V」及び「Ⅳ」に属するものは必ず二十本を一束とする事。

五、出荷された切花は組合員の審査員に依って右の標準に依って調査され、先づ品質に依って「A」及び「B」に分け更に大きさで五乃至六階級とし、記載法に準じてそれぞれ記号が付けられるのである。例へば白紙に「A」の字がある花束は品質「A」で大きさに「I」に属するものある事が分るし、赤紙に「B」の字があれば品質「B」で、大きさは「Ⅱ」に属する事が一目で分る。この外にドイツ産のものと外国産のものとを区別するためにマークを貼付し、特に「ドイツ産(Deutsches Erzeugnis)」と書かれる。


以上の規定に依りて目下バラの切花だけは統一されているが、漸時「ライラック」等もこの規定で統一される予定であるといわれる。此の規定に購買者に取っても頗る便利で、一目で花束がどの階級に属するかが分り、且つ価格も統一されているため不正商人に欺かれる事もなく、優良な品が、その使用目的に依って自由に選択出来るというので、頗る好評を博している。我国の切花市場も何等かの方法で品質なり価格なりが統一出来るならば、購買者に取って、これ程有難いものはあるまい。


◇ ベルリンに於ける小輪菊の販売統制

ベルリン切花市場に於ては小輪菊の販売統制として次の如き規定が設けられた。

一、切花を出荷するに際しては二十本を以て一束とし百本即ち五束を以て一包とする事。

一、温室物は花茎の長さ最低四〇糎(※cm)とし、露地物は三〇糎とす。

一、花茎が右の標準より低いものは切花とする事は出来ないが、花環材料として売買するには差支えない。


◇ 六十八属二百種の蘭花で作られた記録的の花束


此の花束は全部蘭類で出来、実に六十八属二百種の多きに逹している。米国セントロイスのウィッテック氏に依って作られたもので、その材料は米国内に栽培されたもののみならず、ブラジル、印度、オーストロリヤ、パナマ、フィリッピン、支那、南米等からも取り寄せている。非常に高価なもので、このたびクイーンとなるべき方に贈るために謹製したものであると。


園芸相談から 猿棒忠恕氏の住所について

一、東大阪園芸場主、猿棒氏の住所。

回答

一、猿棒忠怒(※正しくは忠恕)氏の御住所は大阪府中河内郡布施町であります。

 


※編集後記から

謹んで新春を賀し奉る

実際園芸編集所 石井勇義

編集部 北川春雄 大山 毅

調査研 浅沼喜道

研究部 中村守一 三尾 砂

昭和十年元旦


◇ 本誌も此の昭和十年の十月を以て生れてから満十週年に逹することになる。九ヶ年の間愛読者各位の御支持によって今日までの発展を来した事を新春にあたりて深く謝する次第である。

十年の歳月を経過したので誌面に於ても聊か新機軸を出すべく、この新年号よりは内容外観に於て面目を一新したつもりである。しかし急にかえる事は反って読者各位との親しみに遠ざかる感があるので、月と共に真に趣味園芸界への指導的立場に於て新軌道に乗ってゆくことをお約束する 永い間絵やオフセット印刷の派手な表紙を続けて来たが、新春から園芸品を題材とせる芸術写真にかえて見た。単に絵などの派手な表紙は無意味であるという意見の方もあったし、新味を横溢せしむる意味で当分こうした表紙を続けようと思うが、時により変った絵としたり、三色版としたり、一ヶ年内にも季節に依り特集号などの場合には折々変ったものをやって行くつもりである。

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