戦前の日光、金谷ホテルの温室とそれを管理していた高木辰太郎氏について 1936(昭和11)年

 日光金谷ホテルの温室について

『実際園芸』第20巻2号 1936(昭和11)年

金谷ホテルの全景

金谷ホテルの第一温室
園芸主任の高木辰太郎氏

第二温室のプリムラ


日光・金谷ホテルの温室園芸

―宇都宮市― 中島恒夫


日光は我が日本の有する誇りの一つである。世に『日光を見ぬ中は結構とは云われない』と言い伝えられるのも宜なる哉である。我々の諺が日光国立公園に遊ぶ時、此の諺の意味をはっきりと認識するであろう。幽遂にして壮大且つ端麗なる自然美と、精緻の限りを盡くす人工美との婚前たる融合の美しさに日光に於てのみ許されたる古今独歩の境地であろう。われわれは深く日光の自然美に打たれ、その輪奐(りんかん)の美を絶賛せずにはいられぬのであり。

 日光国立公園が世界的ならば我が金谷(かなや)ホテルもまた世界的に知名なものである。金谷ホテルは神橋畔(しんきょうはん)の高台に位し、日光の自然美を最も良く活用しているものと云えるであろうが内外の紳士淑女が客として接待する大ホテルであるから、その設備が総てに於て整っている事は云わずもがな実に東洋一のホテルと称する事が出来よう。今次ぎにその設備の主なるものを拾って見るならばー―。

 温室二棟、自家用発電所、自家用畜産場、スケートリンク、養魚場、プール等、到れり盡くせりの感があるではないか。  此の中、我々の興味を有するのは、その園芸施設の規模内容の如何である。筆者は一日同ホテルを訪ひ、親しくその施設を観る機会を得たのでここに写真と共に掲載して一般に御紹介したいと思うのである。

 温室は第一温室と第二温室とに分れ、第二温室二十五年前に建設されたものであるから、もう相当に古い歴史を有する訳である。この温室はホテルの大玄関に向い、左側の小高い所に在り、型はスリーコオーターとイーブンスパンの一室に分かれているが、暖房の装置としては、石炭を焚くボイラーと煉炭ボイラーとの一つが設備されているのである。此の温室には主として観葉植物、即ち椰子、ゴムノキ、ネフロレピス(※タマシダ類)、アジアンタム、アスパラガス、ベゴニア、棕櫚、洋蘭等が栽培されて居り、室温は厳寒の候と雖も最低五十度(華氏、約10℃)を降った事が無いそうであるから、まことに常夏の園にさまよい込んだような感じを抱かされるのである。

 次ぎに第二温室はホテルより約六町程離れた梅屋敷と称するところにあって、畜産場と養魚場の中間樹木や草花の栽培場(三百坪)を前にしてフレームと共に設けられ、型にスリーコーターで面積は三十坪である。昭和五年に建設されたものであって、その内部は三室に区切られている。

 暖房装置としては、極めて簡単な煉炭ボイラーが、一室に二個宛地下に設けられて居り、七寸の煉炭が使用されているのである。参考までに温度を掲げるならば、入口が最高三十五度最低三十二度、中頃が最高四十二度の最低四十度、奥が最高四十七度の最低四十四度になっている。

 それから栽培植物であるが、此の温室で作られているものは、シネラリヤ、シクラメン、プリムラシネンシス、同フォーベシー、同オブコニカ、デンドロビウム・ノビル、アザレア、カルセオラリヤ、ヘリオトロープ、グロキシニア、ゼラニユーム、カーネーション、スヰートイピース、マーガレット等であるが、そこはホテル附属温室であるから、毎年十二月にはクリスマスとか新年の、客室や食堂のテーブル・デコレーション(卓上装飾)に使用される梅、桃、桜、藤、寒木瓜、牡丹、福寿草などが美しく咲き誇っているのが毎年の例となっているのである。

 以上で、金谷ホテルの温室の全貌は、大体御紹介し得たと思う。次ぎに筆者は、此の二つの温室を見事に手際よく管理されている、園芸主任高木辰太郎氏をご紹介したいと思うのである。高木氏は永年、ここに勤めて居られるのであるが、氏の卓抜せる手腕と熱心なる努力とがなかったならばこの金屋ホテルの温室も、或は宝の持ち腐れに終ったかも知れないが、幸いにして高木園芸主任の如き熱心な園芸愛好家を、此の温室の管理者として有せられる事は、ひとり金谷ホテルの幸福にとどまらず、われわれ同好者の大いに意を強うするところである。高木氏はいつも立派な花を咲かせて、ホテルの客室に、食堂に、或はグリルなどを美しく飾り、多くの客にサービスして居られるのである。また一週に一度は必らず、鬼怒川ホテルの温室の方へ指導に赴かれるとの由であって、まことに氏は一年中、一寸の暇もなく、熱心に園芸を研究されているのである。

 終りに臨んで、高木氏の将来を祝福し、ホテルの増々の降盛ならん事を祈りて、筆者はここにこの稿を終わりたい。(おわり)

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