戦前戦後、大阪いけばな界の重鎮、河村萬葉庵氏の花

 『万葉流のいけばな』 主婦の友社 1957(昭和32)年














食卓の花  私の思うこと


 この頃、食卓に向かったときに、こんなことを思う。それはいけばな芸術論のようなものであろう。早い話が鯛の姿焼きや干鰯の素焼きなどは、どうやら自然いけばな、具象的作品というところかもしれない。なるべく魚そのものの姿を崩さないで、食膳に供するわけである。味付けもなるべく自然のままである。ただ、焼いてあるということは、人工加工である。

 ところが、刺し身となると、鱗も目玉も尻っぽもない。まったくの人工化である。生の味は、自然に最も近い。それでいて、姿は完全に魚の形ではない。人為による一種の造形化された姿相である。さしずめ前衛花とでもいうところであろうか。生きた味に近くとも、姿は確実に改組されている。湯豆腐となると、これまた材料とまるっきり異なる。丸い小さな豆は、大きな四角い軟らかなものと変化して、豆であったことすら疑わしいほど完全に変形されている。新造形とでもいうのだろうか。

 ニュートンのりんごのように、活花の芸術論の立派な証明が、魚のおつくりから生まれるかも知れない。わたくしは作家であって、そうしたものは、学者や批評家にまかせておけばよいのだが…



素材
とげ珊瑚、霊芝、松樹(皮むき黒塗)、からたち(白塗り)
器は前衛調

作意と手法

皮を剥がれても、個性のある松のよさは失われない。求心的な構成の住まいを作っている一組の夫婦―霊芝ととげ珊瑚の心理表現といったもの。
家つきの霊芝が、ともすると、女王のようなとげ珊瑚の発散するヒステリックな態度(かたたち)に追われて、恐妻家のように見える。だが、これで両人うまく納まっているようだがら「めでたし」である。あえて、外からとやかくいう筋はない。これもこの家の家風であろうから。
造形的にいって、一種のコントラストであろう。


葉と実   私の思うこと

 ものには出合いというものがある。つまり相性というものであろうか。似たもの夫婦といわれる類かも知れぬ。
 この相性というもの、形も姿もまるきりちがっていて、それでいて合うのだから不思議である。八八の花札を見ると、松に日の出に鶴、あるいは梅に鶯、萩に猪など、どの一枚を見ても実に感心する。絵がうまいというのではない、その出合いのよさというものだと思う。
いけばなも多分に、出合いのよさを考えねばならない。松に牡丹、柳にかきつばた、竹に菊などは、いまさらいうもおろかなこと。その時代時代に栄えて、すぐまた忘れられる出合いもあるであろう。鉄と石、貝殻と流木、それも結構だが、もっとほかに現代の出合いがありそうなものである。



古典を見つめる   私の思うこと

 近頃よくスピードということがいわれる。田舎者の私など、日本の舞踊や能を見ていると、気が落着いてくるように思えるが、軽音楽とかいうジャズやマンボになると、さっぱり馴染めない。ただ忙しい、騒がしい感じを受けるだけである。あれも芸術というならば、芸術にはスピードの違反はないのかといいたくなる。
 お前のような田舎者にはわからないといわれてはおしまいだが、理解と直観とは別物ではないのか、理解したから好きになるとは限らないのである。
 現代のテンポにおくれる私は、まずゆっくりと腰を据えて、古典を見ることにしよう。そして遠くても、暗くても、細くても、そのよってきたる道を一度うかがってみることだ。古人が歩んだ道をふりかえるだけでなく、そこに何かなされているものに眼をこらしてみなければならない。
 幸いと歴史の古い日本には、有難い、尊いものが多く残されている。もったいないことだ、と感謝される日もくるであろう。



和やかな花器に不似合いなカラタチの鋭さ。
枯カンナの憐れなさま。
愉しかるべき地上を、だれがこのように無味乾燥な角突き合う世界にするのであろうか。
―純真無垢な白百合が、一人りきんで叫んでいる。
白百合がいくら正義を叫んでも、だれもとり合わない。
これも社会のどこかにありそうな図柄の作品である。
耽美的コントラストであるとともに、社会的内容のコントラストでもあろう。
ソロモンの栄華と一茎の百合、釈尊の拈華微笑。
この作品の語りたいところである。









いけばなの振り子運動

作品C(※上図)の朝鮮槇の流格花は完全に流格化されたものであるが、さらに草木の個性をそのまま生かして雅整体(作品D)となり、ついには格を離れて格を出ない松一式(作品E)の作品となる。

もちろん作品Cのような定型が歓声されるまでには、客観的な自然のままの姿が雑器などに挿され、簡より繁への移行を逆に、半から簡、あるいは艶から雅と、変化をたどって、主観化が深められたことと思う。

自由な作品から制約、制約から自由へと、いけばなの振子運動(ふりこうんどう)は永久に繰り返される者のようだ。

盛花形式にしても同様である。作品F(榁=むろ)の大きい風景、つまり遠景から、作品G(松と天門冬)の中景、さらに作品H(うめもどき、ぎぼうしゅ)や作品I(尾花、われもこう、よめな菊)の近景へと移行している。

これもFの作品が完成されるまでには、洗練されないGやH、あるいはIのような作品を経過したのも当然である。

花道の系譜は、立華を起源として、流格花、投入や盛花から、今日の現代花、新造形へと変化してきたが、最も新しいはずの新造形が、最も古い様式の立華に帰りつつあるのも偶然ではない。

自然本位の具象的、写実的傾向から、超自然的、非具象的作品へと変えてきた今日の花道家は、再び写実的な自然風の作品に食指を動かしているかも知れない。家庭から会場芸術へ歩み進めたものが、また家庭いけばなに還れと唱え出されているなどもそれである。

繁から簡へ、簡から繁へ、夢を追う人間のあくなき欲求が、いろいろのいけばな様式を生むのである。これは、時の流れとともに歩む花道家にしてなしうる仕事である。澱んだ水は腐るのであるから。いけばなの振子の瞬時瞬時の作品がいろいろと名づけられて、形式化、体系化されて、伝承されるのである。それらの残滓をおしいだだくよりも、自らの力で振子の先達となりたいのが、現代の花道家の心情一般ではなかろうか。


伸びやかな蔓もの  私の思うこと

 飾られた美と、天意の美というのがある。自然のままのりんごの色の美しさと、染色され工作されたものの美がそうである。自然のもつ美しさよりも、造形化されたものの美へと動きつつあるのが近代ではあるまいか。科学文明の進展は、自然ながらの美よりも、人意のままに造形付飾された産物へと移愛されてゆく。

 髪形にしても、服飾にしても、近代建築にしても、造園芸術にしてもが、それである。近代いけばなも、その例からもれるものではない。

 やがてわれわれの眼前に、天然物の美しさを求めることはきわめて困難な時代が来るかも知れないのである。今の建築には、寒暖の調節は電気で計り、照明も換気も電気でする無窓建築なるものが現れている。この線に押し進めば、全く自然の太陽すら必要としない人間の時代となるのである。血液も買い、眼球も売買されるとなると、全く科学万能の世界といっても過言ではない。

 しかし、呼吸も眼球も血液も、生きたわれわれ人間の中に棲息するのである。自然を愛し、自然を見つめることは、被文明人であるという断定は軽々に下されない。物質文明が自然から隔絶されればされるだけ、われわれのいけばなはこれと順行した作品が要求される反面、また純粋な自然をたたえ、宿したものが要望されるのも人情であろう


淡雅  私の思うこと


大伴家持の絶唱三首の中に、

わが宿のいささむら竹吹く風の音のかそけきこのゆふべかも

淡雅というものは、こんな味ではあるまいか。単にあっさりしたものというだけのものではない。単に鄙びているというだけのものでもない。汲めどもつきぬ情趣が、ただ何ごともなさそうにそよいでいる。大きさと、動きと、安らかさが含まれていなければならない。「ふつつかなる如くしてよくみればみやびたり」の万葉調精神のそれである。



作意と手法

かえりみられること稀な野草――えのころ草一種を用いて、万葉の昔をしのぶ。
晩夏、初秋の頃にみのるこの草は、一見弱々しく見えようが、なかなか生活力はさかんである。
踏まれても根強くしのび、抜きすてられてもまた根を下ろし、実を結ぶしたたか者である。

わたくしはこの草の心根を好み、愛する。

この素材は肥沃の地に雑草とあったもので、やや葉が太い。従って生けにくいが、根元をくくって湯呑茶碗などを落として挿せばよい。
山菊などを混じえて挿せば大ぶりの器にも似合い、野趣ひとしおである。


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