珍奇植物を調べ、栽培する孤高のたのしみ 小豆島 矢代田貫一郎氏 昭和11年
『実際園芸』第20巻4号 昭和11(1936)年4月号
珍奇植物
ビブリスとクリアンサス
八代田貫一郎
香川県・小豆島
ビブリス・ギガンテア
(Byblis Gigantea)
いしもちそう科の食虫植物中での珍物ビブリス・ギタンテアを昨年作ってみた。ドロソフィルムに似ているが遙かに壮麗で大きくもなった。若葉は外巻しない。第一図は四月に撮影したもの故まだビブリスの妙味も特性もみられない。線形をしている葉は円棒状で長さ四寸から六寸位となり下面に小さな突出した葉肋を持っている。葉は配列した葉柄の腺と稍(やや)長ての腺毛を周縁に生ずることは図に見られる通りで真に美しい。太陽の光りの下では粘液が溢れる許りに腺上に盛り上がって銀色の細棒かとも見粉う。葉端が細くならず寧ろ太い位に感じられる点も此植物のよさである。小蝿が無数に付着して死骸が美観を殺ぐ事夥しいのは是非もない。七月に花梗をだし一尺四五寸位になり総状花序をつけ、いしもちそうに酷似した花をつけた。ある書に淡紅花と記載していたが私のところで開花したものは白色であった。乾燥標本をみた丈けで生植物を観察できなかったチャールズ・ダーウヰンは其の著『食虫植物』の中で次の様に記している。「ヒブリスの腺毛は前記の属(もうせんごけ属等)の所謂触毛よりも遙に簡単で無数の他植物の腺毛と本質的に変らない、花梗も同様の腺を布(し)く、葉に就いて最も特異な形質は頂端は腺で覆われた小さな瘤となって広がり、漸尖葉の隣接部より約三分の一広い。如何なる運動力を持っている単細胞組織の例も知られておらぬ故に疑いもなくビブリスは全くその粘着性分泌物の助によって虫を捕らえる。多分昆虫は分泌物で塗りまくられ小葉柄腺上に横たえられ、それから、ドロソフィルムの相似から断定すると分泌物をだして後程消化物を吸収する」ダーウヰンがまだサラセニアさえ観察し得なかったらしい時代に書いた精密多岐に亘る実験研究業績である此書は今日なお絶大の興味を畳える。園芸に親しむ者が読めばつきせぬ興味と暗示をうけるクラシックの一つである。幼い頃に本書を読んで一頁よみ終わるころに百数十回辞典をひいた事等も忘れられぬ想い出である。囚みに本属は専門学者によって、いしもちそう科から除かれている。濠洲産。
培養は簡単である。ドロソフィルムの種子の三倍以上大きな黒種子が蒴に充満したままで到着したので一半は四寸鉢に水苔を細切して四分目のふるいにかけたものと鹿沼土を半々に混ぜたものと等分に混合した土に粗い砂を付加したものを鉢の三分一迄鉢片を丁寧に重ねた上に八分目迄満して静置し水を張った水盤につけ水が充分上ってから種子を撒布して硝子を覆って置いた。残りは鹿沼土と粗目の砂と赤土を等分に混ぜたものに播種した。何れもよく発芽はしたが後者の方が後の成績が良好であった。他の食虫植物より移植して傷み易いかと思えた。葉が三枚位出てからは水が停滞すると直ぐ枯死するから水が過ぎぬ様注意せねばならぬ。暑さに向かうにつれ益々腐敗枯死し易いので、曇天には絶対に潅水せぬ事である。私は時々鉢裏を陽に乾してやった。暑さに弱い植物故、高山植物を作るコツで越暑してやらねばならね。そこで珍物を趨う(おう?)お陰で好きな旅行も思い留って一夏クサって終うが楽しみ自ら来るという訳である。植物好きの人間の三昧境である。而も私は食虫植物に興味を持たぬ男なので昨夏旅行を思い留ったのはハワイの有名な珍植物アルギロキシフィウム・サンドウイセンセ(銀剣草 ※Argyroxiphium sandwicense)の為である。永年の宿志が成就して唯今銀剣草は盛んに発育している――ちと大袈裟な言振りだが植物好きの人にはまざまざと私の満悦さがわかって二三度ここのところを読みかえされるかとも思う。石井勇義氏の奨めもあり独楽境を出て記録に留めて置く所以である。
朝顔に与える玉肥(たまごえ)をビブリスに極く微量与えたのが成績よかったが盛夏には危険であった。食虫植物に?虫(あぶらむし)が繁殖して困ると云うと変な話であるが、実際?虫が沢山繁殖して閉口した。夜盗虫に花梗を根元から食い切られたものであった。閉花後から徐々に水を切って越冬さすのが安全であろう。要するに夏の午後の強光線を避け根の水はけよく停滞過剰水をつくって致命的害を与える様な事のない様に注意し、やや乾燥気味に培養することと通風を計ってやれば見事に生育する。
クリアンサス・ダンピイエーリ
(Clianthus Dampieri)
熱帯植物の悪どい色彩の外に燦爛として艷(あでやか)な植物を数えるとクリアンサス・ダンピエーリなど随一であろう。第二図はその花序である。旗弁は開花と同時に後方に湾曲して頂端を前方に曲げ龍骨弁は細長く前方に湾曲して花全体が三日月型となりて全長二寸五六分普通の荳科(とうか)植物の花とやや趣きを異にしている。総状花序を長き花梗上に綴るりて普通五花か六花を着生。花はあくまでも鮮やかな紅である。血の滴たるかとも見紛う旗弁基部は豊艶に突出して黒髪をみるごとく漆黒である。妖星の如き一点の烏羽玉を紅に包んで狂わん許りに燦たる花である。
第三図は昨年四寸鉢で見事に開花した株である。葉と云わず茎と云わず全体緑色で全面に長き絹糸の如き白毛を被りて花に引き換え温和である。羽状複生葉は十三乃至二十一の小葉を殆んど対立に生じ、小葉は無柄である。花序は毎葉腋に生じ最初長き白毛に被われて出で葉(は)よりも早く伸びて花蕾をつけ蕾が余程大きくなる迄開かないが何時となしに一つの旗弁が反転すると一花序全部反転して炎の如くになる。然し旗弁の基部の漆黒部は開花当時は紅色で数日後に漆黒になる。変種に一弁が白く深紅覆輪花をつけるマルギナタス、龍骨弁の頂端が深紅色(しんこうしょく)で他は白色のツリコロル等があるが未だ培養した事がない。世界中の有名な種子商は何れも目録に記載している植物故少しは園芸上の品種も見られるかと思う。手近ではサットン商会の種子などよく発芽する。輸入種子を一昨年あたりから我国でも売っている。私も買って試みた。発芽良好であったが、朝鮮へ旅行して帰ってみたら全部枯らしていた。
『我国の記録』を繰ってみると一九三二年の項に「五月クリアンサス・ダンピイエーリ初めて咲く」と記している。一九三一年の九月に播いたもので、長さ一尺五寸幅一尺深さ四寸の播種箱にピート六分砂四分の混合土を入れ色々の種子と一緒に播きつけたところ拾本余り発芽したので移植したが全部コルテアに接いだものも枯死したから遅く発芽したものを箱に残して置いたものが開花した訳であった。キウ(※Kew)時代に栽培の困難な―殊に自根で培養困難の植物と聴かされていたので、葉に触れるのも怖れて作ったが、昨年は露地でもやや成功と云える位に出来た。また追憶談になるが――私共珍奇植物を趨う(おう)ている者にとっては過去の失敗は愉快なる追憶として生きて居りまた慰めでもある。コンバーの云う「天晴なる失敗(グロリアス・フェイリュア)」である。此の播種でクリアンサスと同時に、ある珍品が三本発芽して大きくなっていた。当時その植物に無智であった為めに、平凡なクリアソサスを大事にしてそれを枯らしたが、後程、世界の大植物園が連合して尋ねたが採収出来なかったものと判って、これ丈けは諦め兼ねていゐ。而も経済価値や美観のない植物学上の興味にとどまる植物だが。
其の後クリアンサスを作った経験によると赤土六分砂四分の混合土が一番良好であつた。然し鉢底に充分鉢片を入れて排水よくせねばならぬ。これは肝要な事で鉢片間にクリアンサスの根がからむ位に作ってサッと水がきれる様に心掛ける。荳科(とうか)植物ではあるが鰊粕(にしんかす)の腐汁を薄くして時々与え開花期迄に充分大きな葉を出す様に作り込む。水過ぎて葉先を垂れることがあるから注意せねばならぬ。通風が悪いと赤ダニが猛烈に繁殖して一度に衰弱して終うから特に注意を要する。自根であると一度開花すると翌年迄に衰弱して枯死するから大きく仕立るにはコルテア・アルボレスセンスという南欧産の植物に接ぎ木する。私は数本この高さ二間余りになる灌木を栽培しているが花よりは莢が風船の様に膨くれて大きくなるところに興味がある。コルテア・ブラクテアタと云う種類も作っているが何れも観賞価値の低い荳科植物である。クリアンサスをコルテアに接ぐには先づコルテアの種子を時期及栽培室の状態によりニ‐三週間前に播きつけ本葉が一枚出かけた時に二寸鉢に一本宛植付けて通風のない室に置き活着すると窓際に移して換気よき所にならべ本葉六七枚出た頃にレザーを持って楔形に切り込み兼ねてコルテアより二三週間後に播いたクリアンサスが本葉を少し見せているのも同楔形に切りとリコルテアに挿込み綿か糸で軽く巻く、軟弱な植物故デリケートな作業である。接穂を楔形に切るときレザーの持ちかたに注意して切らぬと切角の接穂を台無しにする。接ぎ終ったならば換気のない室に入れ日覆いをして接穂に生気が見える迄置き其後徐々に換気しよく活着したならば糸を切り取る。コルテアは高温を忌む故にコルテアに接いだ場合は無温室で栽培する方が永生する。クリアンサスも零下五度位平気の植物で寧ろ高温の為めに枯死に導く。
ビブリスは一部の研究者か好事家の植物であるがクリアンサスは多分に大衆性を持って居る。(終)