東京における「ムロ」でふかすという技術の原型は大田区池上の徳川家のムロにあったというはなし

 


大田区池上、徳川家のムロがあり、花木切花などをムロで「ふかす」方法の原型がここにあった。ムロはやがて温室に変わっていく。

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※鈴木吉五郎/すずき・きちごろう 1898~1988

(『横浜』 神奈川新聞社 2022年春号 第76号「山野草の“神様” 鈴木吉五郎」斎藤多喜夫 に経歴が詳しく記されている。昭和63年1月24日、脳溢血のため亡くなられたという。享年89歳だった。雑誌「らん」12号、昭和63年4月発行に追悼記事あり)

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【所長】それから桃などを室(※ムロ)で咲かせるのは、横山さんたちのような小売商の方は、いつごろからお始めになられたんですか。

【横山】そうですね、明治の終り頃か大正の初め、いやもっと前だな。大隈さんが横浜に演説にこられた当時の花の会に、すでに桃なんか活けてあったような記憶がありましたがね。だからもっと前でしょう。明治の末期頃だったと思いますがね。

【中村隆吉】私も兵隊前からやっていましたからね。

【所長】室で麦糖を使って温度をとるというあの方法は、どこから入ったものですかね。

【稲波】あれは、室でふかすという何かあったんでしょうね。農家の方に聞いてみなけりゃわかりませんけど。

【中村】私はね、こういうふうに聞いていますよ。昔ね、池上に徳川の御用室(土室)があったそうですね。それで池上が一番古いんだというふうに聞いていますがね。

その時分、私が見習いに行ったところの主人が永久保さんという人でね、その人の話ですと、室ってのは徳川の御用室が最初だったらしいですね。そこで行われていた方法ってのはね、横穴のおくに麦糖と米糖、それに大根の乾燥葉を混ぜて水で練ったものを置いて発酵させ、熱を出させるって方法だったらしいんですね。

【横山】あれは花屋専門でなしに、何か他からああいう技術を得たものでしょうかね。あの室で花を咲かせるっていうよなことは。

【小島】一番最初は馬糞かな。馬糞は牛糞を入れると非常に高温を出すってんでね。それから始まったらしいんです。それであれじゃ臭くてしようがないんでね、麦糖を使うようになったらしいんです。それで最初は米糖を使ったらしいんですがね。米糖では一度に熱が出てしまっていけないってんで麦糖になったらしんですよ。でも誰が始めたかは、私は知りませんがね。

【所長】小島さんはどこから。

【小島】私は父がやったものですからね、どこからかわからないですよ。でも、横浜では私の所なんか土室を始めたのは古い方でしょうね。

【所長】小島さんが土室で咲かせるってことをお始めになったころには川崎の馬絹の方ではどうだったんですかね。

【小島】馬絹では、やってましたね。馬絹もぼつぼつ同じ頃に始めたんですよ、都倉さんがね。おそらく都倉さんと私の家は同じ時代で、どっちが早いんだかわかりませんけどね。

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【所長】小島さんがテッポウ百合を冷蔵処理して温室で咲かせるようになったのはいつ頃からですか。

【小島】そうですね、今から42、43年前ですね。まあ、あの当時は、横浜でテッポウ百合を作っていたのは脇さんぐらいのものでしたからね。

テッポウ百合の促成は山手冷蔵なんかに持っていって冷蔵を始めたんです。それから土室の中で冷蔵できるってのを私が考えたんです。

【所長】横穴でですね。

【小島】ええ、横穴で芽出しができるってことはね。沖縄や永良部島では常夏ですから、4月頃花が咲くんですね。だから普通の所でも少し冷やせば咲くだろうっていうことで試しにやったところ、それがあたりましてね。それから私は土室で促成をしたんです。それに2番穂で切り始めたのも私なんです。早い促成の球は2番穂が使えるって、2番を切り始めたのは、私が一番早かったと思うんですがね。

【所長】促成で切ってしまった後の球を、外へ出して置いたところ芽が出てきたので、それを見て、これは使えるぞってことで試されたんですか。

【小島】そうなんですよ。それから初めてやったんですがね。まあ、早いのはいいんですが、遅いのは凍りましてね、うまくいかないんですよ。房州のような暖かい所なら2番が全部切れますがね。ところが一度温室の中に入れますと、12月以後のは急に暖かい所から寒い所へ出しますからね、凍ってしまうんです。ですからうまくいかないんです。ところが、それ以前に寒さが徐々にあたっていたのなら大丈夫なんです。2番花は何しろ2本咲きますからね。

【鈴木吉五郎】2番を切り出したのは何年ぐらい前ですか。

【小島】2番を切り出したのはね、今から20何年か前になりますね。

【横山】うちなんかで随分使わせてもらったね、持ってきてくれたからほんとうによかったですよ。

【小島】まあ、いろいろと変遷がありまして、カーネーションが富岡で盛んな時には日本でも有名でしたね。今のところじゃ横浜としますと、鉢物でしょうね。鉢物では神奈川県下じゃトップですよ。種類も中村さんたちがいろいろ骨を折って導入して下さいますんで、新しいのがかなり入っております。

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