育種に7年×4回でざっと28年、広瀬巨海氏によるネリネ(ダイヤモンドリリー)についての解説

『原色花卉類図譜』石井勇義 1935

『実際園芸』第25巻第10号 1939(昭和14)年10月号




石井勇義氏による「編集後記」   ※昭和14年秋の様子がわかる

 第二次欧州戦乱の勃発は我園芸界にどうひびくか、とは一応誰れしも考えるところであるが、第一はヨーロッパ向けの百合根の輸出である。百合は大体ヨーロッパ四割、アメリカ六割というところであろうが、その英国を中心とするヨーロッバ向けがとまる事は必定であり、すでに英国では輸入禁止をした為めに、船に積んだもの・までが、荷下しの運命にあると聞く。その次は英国を中心に、五、六百万円の輸出を見ている温州蜜柑の缶詰にどうひびくかが問題であるが、何んでも克服して乗りきる我国運に対しては必ず打開の途が開かれるので、案ずる事はないと考える。


 九月六日は高崎市の愛蘭家、秋山健吉氏の招きを受けて、同氏栽培のデンドロビュームやシンビジュームを拝見に伺った、同氏は洋蘭界の新進として知名の方であり、趣味から入って営利経営にまで進んだ方であるが、その卓越せる技術と蒐集とは有名であり、本誌上にもシンビジュームの栽培にっいて述べられたが、今回はデンドロピュームの栽培及び品種について御経験を発表下さったが、氏独自の観察と経験に基く培養談はかつてない記事と考える。
 高崎よりバスにて渋川に出で、伊香保温泉にゆく、私もかつて滞在した事のある塚越別荘に案内を受けた。この夏は伊香保も非常に混雑したというが、モウ空室も出来ていたので、ユックリ休み、榛名の湖畔に遊ぶ。湖畔の草原一般は「まつむしそう」で碧色に見え、「うめばちさう」なども盛りであった。一行は秋山氏を中心に、大場(※守一)氏、小島氏の四人であった。三時過ぐる頃、私は一行と渋川にてお別れして、一人四万温泉にゆき、ここで数日、携えて来た校正などの仕事を片づけて帰ることにした。四万も真夏のような雑沓はなく、谷川のせせらぎも何となく秋のひびきがつよく、濶葉樹(※広葉樹)の森にも迎秋の用意が出来ているかに見えて身に爽快を覚え、面倒な校正など仕事も一段とはかがいった。

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 十月号は特に何々特集と銘は打たないが、中秋の園芸シーズンに相応(ふさわ)しい内容のものを集めた、秋山さんのデンドロビュームを始め、吉田欽二郎(※東京ナーセリー)氏のアイリスの栽培、広瀬巨海氏のネリネなど面白いもの許りで。吉田氏のアイリスは房州(※保田)を中心とする営利栽培の立場から十分なる内容を持っており、またネリネは趣味園芸家にとってはこれ程興味の深いものはなく、広瀬先生はこの世界的の専門家であり、あれは夜、電燈の光の下で見る花だと言って居られる。
 果樹の方面では、静岡県の高橋技師が研究提唱して居られる、蜜柑類に塩を施すと今まで成らなかったものが急に成り出して、薬害にかからないという極めて実際的にすぐ役立つ問題を平易に御執筆下さった。この問題は本春の園芸学会で発表して非常なる好評を博した問題であり、すぐに実行の出来ることである。(石井)


秋咲球根の粋 ネリネの話

広瀬巨海




 石井主幹の命により、またまた流行せぬ花ネリネの話を申し上る。もう自分には一向珍らしくも何ともない此の花、思えば初めて此の花に接してから早くも三十幾年かの歳月が流れ去って居るのだった。
 毎年毎年暑い夏が半ば過ぎて来ると、無精に夏の雑草の茂る下に休眠中のまま放任してあった南阿(※南アフリカ)産の球根類中から、不意ににアマリリースベラドンナ系の各種が大きな花莟(※花蕾)を伸ばして来、香のいい美しい花を咲かせると、今更の様にネリネ、ラケナリアを始めブルンスビヂア、ヘイマンタス、コクシネアの一群、モーレア、オルニトガラム、フリージア、等等の南阿産の美しい球根類の花を思出して、朝夕涼しい時を見ては手入を始める。此等の球根中一番手入に面倒のないのがネリネで、ラケナリアは少くも三年目には新しい土を欲するが、ネリネは三年目ではやっと「鉢に落ち付いた」と云うところで、六七年は其のままでいい。表土を変える事も肥料を与える事も全く無用で単に水を与えればいいのだ。従って手入としては雑草を抜き清潔にする事だ。白絹病は甚しき加害をする故、なる可く清潔に夏中よく日光に当て乾燥させて置くが良い。給水の早い遅いで開花を左右出来る故、長く花が楽しみ度くば九月初からと十月初頃まで数回に分けて水を与え始めるのもよい。給水を始めてから約一ヶ月位で開花して来る。遅咲の種類は先づ葉が先に生成してから花芽が出てくるが、普通は花と葉と同時に伸び始める。自分のところでは十月に入ると給水を始める。下旬から咲き始め十一月一ぱいは二つのネリネ室は隅から隅まで一面の花で埋まってしまう。遅咲のものは十二月から一月初まで咲き残ってる。自宅での実生新種が殆んど全部で、原種及輸入種は種類の保存だけで、毎年毎年新花が多年の労に報てくれる。此の一二年自宅実生の第四回目種子から開花まで早くて五年、遅きは九年平均約七年を要する=第一回の種子を蒔いてから七年目として其子の孫、ひ孫と云う次第で四×七で二十八年もかかる。考えると気の永い話しだ。其四回目が咲き始めてるが大変優秀なのが出てくる。輸入した品種と比較すると全然段異いで形も色も実に良いのが出て来た。今数回くりかえすと現在の優秀丸弁系のヒッペアストルム(アマリリース)の様な花型が出来ると思う。色彩は勿諭現在でも黄と「ブルー」以外の各色があるので「アマリリース」を遥かに引離してる。然し今後の年月はとても自分の一生にはない、誰か此のバンドを引続きしてくれる人はないものかと思う。


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ネリネ・フィリホリア は糸葉の常緑種で、此の交配種は色彩は種々出来、葉も中間の細葉でやや常緑性で可愛い花だが、全く不稔性で改造が出来ない。

フレキシオサ の交配種は古くから欧州で作出され、マンセリー、スノ-ドン、エルベッセンス、プルチェラ、タルヂフロラ等の品種がある。何れも長茎多花遅咲で切花向きにいいが、皆不稔性である。此のフレキシオサの白花種は純白で非常に美しいが惜しい事に甚だ花上りが悪い。フレキシオサの種子はウンヂュラタと同様円形で他種のと形が異ってる。交配しても結果率が悪くまだ数本しか交配種が出来てないが、何れもやはり長茎多花遅咲性で不稔である。

ウンヂュラタ は可憐な原種で其雜種クリスパと共に花付がいいが、交配の親としてはあまり有望でない。此に似た花のヒュミリスの交配種は中々いい、長茎早暁で花付がよく(一球二花茎を出す) 切花には向くと思われる。是は花色が変り少ないが、稔性なので更に改良がされた良種が沢山出来た。此の雑種の特徴は花粉が黄色である事で弁は縮れてる。

ボウデニー 耐冬性でやや常緑(二回成長する)性で花弁は細いが大輪であって、自分の宅では花付が悪く一回しか交配し得なかったが数種出来てる。皆花色が異り長茎大輪であるが不稔性である。此の種にも純白の変種がある。
  
ブディカ は小形の一種変った筒咲きの原種だが、色も白勝で其の交配種は稔性で色と型の遺伝は優性らしく、改良新種の白花系は皆此の血を引いてるし、型も「アザレア」型等のものは皆此の種の系統のものであり、親として一番優れたものである。

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 此のネリネに似た「ブルンスビヂア」「アマリリース」等の交配も考慮してるが、花期が三ヶ月も異なる(勿論花粉を貯蔵して置けば問題なしだが)のと特に前者は花付が甚だ悪いのでチャンスが少い。ただ一回「ブルンスビヂア・ジョセフィナ」(♂)と「ネリネ」(♀)の交配で数個の実生を得てるが、移動中札を失してしまったが、それらしい品種が一本咲いてるがネリネと一向変わりない。ただ小花茎が特別長いのが、ブルンスビヂアに似てると云えば似てるのみだ。

 改良種の主体は「サルニエンシス」と其の数変種及カービホリア(主に其変種ホオデルギリー)の両種であるが、その何れにもまた他の原種にも紫系の色は見当らないが、改良種には美事な紫系統のものが種々出来た(此の色のものは外国ではあまりいいのが出来てないらしい。もつとも近来ネリネの新種はあまり発表されて居らない。余談は置き、出来そうで出来ないのが黄色で、サ-モン、バミリオン、スカーレット等と出ても良さそうな色があるが中々黄には縁遠いらしい。反って青色(ブルー)は近く出ると思う。また墨色、ブロンズ等の珍色も復色中に出てるから何とかなるらしい。

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 昨年人の勧めで数回切花を市場へ試に出したが、一向人気の出ない花らしい。もう二度とは自分として市場へ出す事はあるまいが。
 切花としては時期もよし水揚もよし茎も長く中々美しく良いと思ってるが、どうも世間では通用しない花らしい。宣伝が不足かも知れぬが、彼岸花に似てる等の点で人に嫌われてるらしくもある。(最近の改良種は少しも似てないが)兎に角此れは自分一人の好きな花として独で楽しむ花として置こう。(終り)



 

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