温室経営は農業と工業の中間的な性格がある 森田二項園、森田喜平氏の現代的な経営へのまなざし
『最新温室園芸 建て方・暖房・栽培』
石井勇義/編 1935年7月 金正堂
温室園藝の経営法
『実際園芸』第11巻第8号 昭和6(1931)年12月号 森田二項園の写真
森田二項園 森田喜平
温室園芸の発達
我が国に於ける温室園芸の発達の状態に就き、古い時代の事については松崎氏が述べて居られるので、私は今より三十年位前からの発達について記憶していところを述べて見よう。先輩諸氏の話に依ると、明治二十年代に出来たものが温室の濫觴で、宮内省とか大隈邸、酒井邸等に於て建築された趣味の温室がそれである。
明治三十年時代となるに及んでからは、私達にもその発達の経路が大体解るのであるが、その頃は矢張り温室は趣味的方面からボツボツ建築されたのであって、下谷区入谷の促成温室とか、熱帯、亜熱帯の植物を越冬させる目的の温室が出来て来たのである。然も種々の設備も今から見ると、至って幼稚なものであり、例えば天窓等も数が非常に少く、暖房の方法にあっても室の中央に湯とか煙を通して行ったものである。また面積(坪数)からいっても二十坪から三十坪位のものが大きい方であり、多くは十坪或は十五坪のものであった。それでも中には五十坪から七十坪位の温室を建てられた人もあり、これが当時の最大温室であった。
明治四十年になって向島の日本園芸株式会社が九十余坪の温室を建築されたが、当時にあっては人目を驚すに充分な大温室であったのである。当時浅草と上野の中間入谷附近が、所謂今云う所の温室村であったのであるが、その地理的な関係から対岸の向島に移ったのである。また当時駒場の農科大学に於て建てられた温室は欧州式のもので、今でも残っているが、家屋のような形をして居り、それでも暖房にはスチームを使用され当時としてはなかなか新しい方法を用いられたものである。明治四十二年には東京府立農事試験場ではその年に開かれた博覧会に温室を出して一般にその奨励を試みられる等、農学界方面でも温室に対して非常に関心を持たれるようになって来たのである。
その後園芸が進歩するに連れて東京亀戸附近に於ては植木屋が次第に温室屋となり、また農家の副業が進歩して温室を建てる等、ボツボツ草花の類が広く栽培されるようになって来た。そして大正時代となり園芸学校などは、実生活に花卉が必要であることを唱導して斯業の進歩に力を盡し始め、卒業生中はボツボツ温室園芸に携るものが出来て来たのである。そして山手方面では中野の伊藤貞作氏、葛飾方面では加藤東七(※加藤園芸場)氏、土倉龍次郎氏等が温室栽培を始められたのであるが、それでもなお当時は趣味栽培に依る生産物が殆んどを占めていたものである。然るに目黒の吉田佶郎氏や盧貞吉氏等が趣味を兼ねた営業温室の経営を始められ、順次それ等に刺激されて三井、岩崎家等でも趣味温室を実用化する意味で、三井一族では戸越農園を創め、岩崎康彌氏もまた温室を始められたのであるが、然しこれも矢張り趣味を兼ねた営利温室であったことは勿論である。
※伊藤貞作氏はカーネーション営利栽培の祖、澤田氏の温室を引き継いだという歴史的な人物
要する(に)大正の初期迄は農家の副業から発達した温室と、趣味から発達した温室と云う域を脱しなかったのであるが、大正五、六年頃からは数万の資本を投じてスヰートピー、カーネーション等を営利を目的として栽培されるようになったのである。当時土倉龍次郎氏と私は菜花園を起したが、一般からは営利を目的としての温室への投資は引合ぬものと考えられていたので、菜花園の経営に就いては非常に疑問視されていたのである。当時の雑誌「園芸の友」に私達の温室に対して、「あれだけの投資をして如何にして採算を取るのであろうか」といろいろ批評を書かれたものである。実際に当時は日露戦争に依る財界の不況の後を受け、明治大帝の崩御があり、実際に欧州文化の輸入される反面に此の不況がつづき財政状態はよくなかったのであるが、やがて欧州大戦に依る好況がもたらされた為に我々に余裕があたえられ、割合に無事に経営することが出来たのである。同時に此の好況に依り諸処に温室が建築されて来たのである。それでもなお、当時は過去に於ける「温室は趣味に依る貴族、富豪のもの」と云う惰性から、趣味から出た営利温室が多く、経営者にあっても金持の息子の体の弱い人等が多く、利益を得る等とは考えられずに収支相償えば上等とされていたのである。
然るにその後漸次農家の副業がフレームから温室へと変わり、その販路も広まり、花を愛するとか高級の生花を楽しむと云う気運が見え始めたので、その経営が上手であれば二年乃至三年で資本償却が出来るようになって来たのである。勿論当時カーネーシーンが一本二十五銭。メロンが百目三、四円、トマト一貫目五、六円もしたものである。こうした関係から一部の人々には温室園芸は漸く有望視されるようになったのである。
所が、大正十二年の関東大震災に逢い、此処にまた温室園芸が急速度に進歩する機会に恵まれたのである。勿論震災に依り、花卉の売行や高級生果の売行は、全然問題にならぬものと考えられていたのであるが、所謂復興景気の為にそうした考えは全く消し飛ばされ、より以上の売行を示したのである。此処に注意すべきは、今迄生産品は個人取引に依って売買されていたのであるが、此の震災をキッカケに生花市場が出来、公平な取引がされるようになったことである。そして先づ生れたのが現在の高級園芸市場である。生花市場に依る取引の利益は今更此處にくどくどしく述べる迄もないが、個人取引に依る売上金の回収とか、いろくな欠点が改められ、取引の安定を見るに至ったことである。此の時代即ち営利温室の第二期とも云う時であり、玉川温室村が出来たのも此の時代である。そして玉川温室村はその後毎年二割乃至三割の増築、新築が見られ現在に至ったのである。此の間にもらすことの出来ないのは、温室に関係深い建築材料に要する工業の躍進である。
工業の躍進は先づ温室建築を安くした。即ち硝子一箱三十円もしたものが、五、六円で買えるようになり、ペンキ、鉄材等も此の間に三分の一に低下し、暖房装置にしても震災前坪十五円乃至二十円を要したものが、三円乃至五円で出来るようになり、また米材の輸入に依り木材も低廉となると同時に、温室建築材として完全に揃ったものが容易に得られるようになったのである。それで温室建築の全体から見ても以前は坪六十円乃至七十円も要したものが、現在では二十円乃至三十円で完全なものが出来るようになった。材料等も安いものを使用すれば僅かに十五、六円で建設することが出来るのである。
大体に於て前述したように、温室経営者は農家副業のフレームから進歩した人と、趣味から発した人とであるが、現在迄のその発達の道程を見ると前者の場合は大部分成功し、後者は中途にして倒れた人が多いのである。然し温室建築に対しての貢献は後者の人達に依ってなされ、営利的方面の開拓は前者に依ってなされたと云うことが出来よう。即ち、実際に即しない頭のみの教育を受けた人は、その事業に対しては表面にのみ走り、営利的には成功しなかったことは著しい事実である。
以上は大体東京に於ての温室の発達であるが地方に於ける温室にあっては、当時温室と云ものは保温するものであると考え加温と云うことに対しては余り考えていなかった為に、房州とか或は神奈川等の気候に恵れた海岸地方に盛んだったのである。然し結局は房州方面ではフレーム利用に依る蔬菜の促成栽培、半促成栽培のみ発達し、温室方面には何等進歩を見出すことが出来なかった。また、神奈川県にては洋花類、或は花屋の越冬の手段として進歩し、鎌倉逗子等がその中心地であった。然し、これ等の地方は僻暑地、避寒地と云うことの環境に彰響されて、発達すべきものが遂に発達しないでしまったのである。
静岡県では天龍川沿岸から切り出される木材の鋸屑を利用した温床栽培が、桜京付近の温室園芸に刺激されて、鋸屑を熱源とする温室が進歩して浜名郡、磐田郡が著名となった。殊に浜名郡芳川村にあっては農家の副業として盛んに経営されて来、運搬上の関係から促成蔬菜が盛んになり、現在では東京を凌ぐ温室面積と戸数を有し、優秀なる品物を東京及び大阪に出荷していることは特筆すべきであろう。
震災後の十年は続く不況と工業の躍進に依り、低設温室を高くし、狹いものを広くすると云うように工業化されて来て、昭和八年現在に依る温室坪数は、東京温室村は三十戸の一万余坪、神奈川県のメロン及花卉温室は五千坪、静岡県浜名郡、及び磐田郡が二万五千坪、その他県下に七千坪の温室がある。山口県では五千坪、香川、高知県にて五千坪等で約十万坪、の温室が経営されているのである。
さて此等の温室にて、何が栽培されているかと云うに、大体に於て東京を中心としての哩数に依って調査して見ると、中心に近い五哩乃至七哩の所では鉢物が多く十哩乃至二十哩の所では切花類が作られ、数十呷を離れた所からは輸送に便利な切花類及び温室生果類(トマト・胡瓜等)が栽培されているのである。
以上の如く温室園芸が斯く諸方に於て発達したが、特に静岡県に於ては著しい。それは静岡県にては県及び郡の奨励宜しきを得て、系統的に生産者の組合を作り、組合の力で販売、購買に努力して居り、生産品の相場等にあっては県、郡の当局者が配分するので公平であり、然も県是として温室を副業として定めている等、天恵の地であると云うばかりでなく、実に当を得た方法を行っているのである。埼玉県にあっては現在五、六千坪の温室があるが元来埼玉県は木本花卉の促成問開花が盛んである。これは殆んどの促成木本の母本の生産地である為であるが、今後もこうした有利な条件を持つだけに此の方面は発達するであろうと思うのである。
また温室生果として最近非常に多く栽培されているメロン、トマトは市場で取扱うが、食料品であるので青果市場で多く取扱っている。メロンは十年前までは珍らしいものとされていたのが、現在では大衆化し、今では神田青果市場に於ける取引はメロンは三十万から四、五十万円であり、トマトにあっても数十万円の取引があり、その中数割は温室産の優秀品である。また反面花卉の帝都に於ける消費高は(同業者の話に依れば)数百万円に及ぶと云うことである。これをアメリカに比較すれば実に微々たるものであるが、此の数字は現在の我国民の生活に花が如何に必要であるかを見るに足るものであり、今後益々発展するであろうことを物語るものと思うのである。
営利事業としての温室園芸
以上述べた如くの発達をしたのであるが、度々述べたように、温室園芸は農業の一部であるが、建物、暖房、水道等の設備を必要とする点を考えると農業と工業の中間を行く仕事だと思うことが出来るから、温室園芸は、此処に根本概念を置くべきであろうと思う。それで温室園芸の経済的関係であるが、例えば一棟の温室を建築した場合には一般にそれを十年で償却して行くのであるが、私は建築費と云うものは毎年の欠損として返却して行くべきであると思う。然も此の仕事は固安定した資金を有し、年々それを消滅して行くのであるから、普通農業のような見方をしてはならないのである。即ち温室園芸は変則的農業なのである。或は一ヶ年に三回乃至四回とか、一ヶ月に一回とかの栽培が出来、なおやり方に依っては如何にも出来るものである。普通農業では生産の限度が殆んど定められているようなもので、例へば米にしても多収穫で八石位のものであって普通の二三倍にしかならないが、温室園芸ではその運転の方法、栽培の仕方で十倍から二十倍の差が生ずることは珍らしいことではないのである。また胡瓜にしても露地栽培で完全なもので一坪で十貫乃至二十貫の収穫が得られるに過ぎないが、温室ではその三倍の収穫を挙げることが出来るし、トマトにしても露地にては一本五六百匁位であるが、温室では一貫三百匁の数量を得ることは容易である。然もそれが二回、三回に及ぶのであるから、現在の如く不況では温室園芸も駄目だと云うが、その方法が宜しければ完全に切り抜けることが出来るのである。
それで現在に於ける全く独立した事業としての温室園芸は、東京付近だけでは、二百坪以上のものが専業的であるが、東京近県では副業となっているのである。即ち温室面積に依って副業として進歩するところと、東京の如く専業化する所とがある。東京以北(埼玉県の如く)多角形式にやる場合と東京温室村の如き場合とでは全くその趣が異るのである。
工業的知識の必要
温室と云うべき仕事の性質を知ることで、温室園芸は普通農業より敏活な手腕を要し、経費も非常にむづかしいものであるから、その方面に対する素質のある人、或は天恵の地を利用するのが最も安全である。そして生産品は常に優秀なものでなくてはならない。例えば、カーネーションにしても上、中、下、萼割れ等に依りその価格には非常な相違があり、バラにしてもまた数種に分けられ価格がたいへんに異なるし、メロンも亦十倍も二十倍も或はそれ以上の開きがあるから、温室園芸に従事する人は多少の芸術的な素養もあり、工業的な頭脳のある人でなければならないと思うのである。また必要なことは、管理に敏活でなければならない。温度の調節、灌水、病虫害の防除、等々に対して最も機敏に立ち迴るようでなければならないのである。経営者としては以上の如き条件を必要とするがその上になお、日光の照射関係とか、土質等自然の力を充分利用し得られる所ならば申し分がないと思う。
一般に温室園芸は加速度的に進歩して行くと云われるが、それは決して無限的なものでないのである。矢張り自然に順応した農業であることは事実であるが、然しそれでも年々方法が進歩して行くことは事実である。
例えば暖房にしても温湯がスチームになり、ベンチレーターの改善、或は水道、タンクに依る灌水の仕方も之に圧力を加えて行うようになってから非常に労力の節約が出来るようになったし、その他建築の方法、栽培品種等も同様である。栽培品種にあっては五年乃至匕年毎には新品種に変って行き、古いものは次々と省られなくなって行き、そして順次生産能力の高いものに変っているのである。また殺虫、殺菌剤等にあっても従来は接触剤のニコチン剤、或は除虫菊が主として使用されていたものが、青酸瓦斯、硫黄瓦斯の燻蒸にと変って来ている。此のように種々の方面に渡って進歩の著しいものであるから、常にこれ等の進歩に対して注意していなければならないのである。
以上の他注意すべきことは、温室生産物の需要地は殆んど都会であるから、出来る限り都市に近い所で経営するのがよい。同時に経済から土地の安価の所或は交通機関の完備しているところ等であることも必要である。例えば石炭の購入に際してもその運搬の難易に依り非常に値が異るものである。また温室園芸は工業が多少加味されているとは云え、農業的な地味な仕事であるから、温泉地とか或は避暑、避寒地の如き遊惰的な派手な地方での経営は絶対に宜しくないのである。此の様なところではどうしても労働能率が悪くなるのが普通である。温室園芸を他の商工業の場合と同じく考え、多くの利潤を夢見て行っていられるのをよく見るが、これは既にその事業の失敗を裏書するものと云ってよかろうと思う。
各地に於ける発達状況
次に温室園芸の各地に於ける発達の状態を見ると、東京では山の手方面は前述の如く古くから温室があるが現在では住宅地となり、土質は火山灰土である。続いて荒川、江戸川の流域であるが、此の付近は土質もよく今後益々発達するであろうことは誰にでも分ることである。埼玉県では東京に近い地方は木本の栽培が盛んであり、お土質は火山灰土である。東京の西部は土質は荒川沿岸よりは劣るが、草本類の栽培が盛んである。神奈川県では土地の高い所よりは、不便でも気候の暖い所がよく、丹那トンネルの開通に依り将来は船便により大島、八丈島とか、或い沼津静岡等がより発達するであろう。
地力にあっては温室生産品が、冬期は東京からその供給を仰ぐ状態である。北海道、東北、金沢新潟等へは可なり送られているのである。また関西方面は東京に比較して花卉、生果が高価であるので、矢張り相当量東京から送られているのである。故に関西でも東京と同様な方法でやればより有利であろうと思う。広島、関門付近は都市が多いので、その生産品は土地のみで需要されてしまうが、一歩進んで朝鮮、満洲に輸出されるならば、あの付近は石炭も安いことであるし、気候にも恵まれているのであるから、なお発展の余地があると思う。但し、九州南部、高知の付近は一般に風の被害が毎年多いようであるから、その点に就き充分の注意を必要とするのである。千葉県にあっても同様時々風の被害を被ることがあるから、強いから、強い温室と云うか風に依る被害を被らない程度の建築をしなければならない。
資本の問題
温室園芸の経営を始めるに際して要する資金の額は、農家の副業として行う場合、東京付近で行なう場合及び地方で行なう場合に依り異なることは勿論である。
東京付近特に東京温室村近くにて温室を経営する場合は、少くとも二百坪乃至三百坪を要するので住宅、ボイラー室を加えると五千円乃至七八千円を必要とするのである。東京近県副業になると千円乃至千五百円位でよく、九州方面の半促成を行なう所及び静岡付近では輸送の便利のものではフレームのやや高級のものを造り、天然を利用すれば五、六百円で出来るのである。
以上のように温室の経営に当っては、多くの資本を要するものであるし、然も一般農業よりも栽培、経営がむづかしいものであるから、その技術を会得しないで行なうのはよくない。温室を建てることは家屋の建築とよく混同され易いのである。故に温室建築に際しては将来の増築等も考えなければならないのであるから、最初の計画を以つて凡てが終わるような設計をしてはならないと思う。また現今のように生産物の安い時には特に温室建築は安く即ち原価に近い値段で仕上げることが必要であろう。つまりそれは最低の資本で温室を建て、最大な運用を行うと云うことである。例えば物品の購入に就いて見ても、硝子一箱七円で買えるものが硝子屋から買うと七円五十銭となり、更に硝子屋に葺(ふか)せると十四円もかかるのである。故に硝子の購入は問屋或は会社等に直接交渉をして買入れればより安く六円五十銭位で得られるのである。実際に問屋或は会社から現金で買う時は、商業者は利潤を割引いて呉れるので、一般硝子屋より買う様な価格は考えられない位である。これは単に硝子の例に過ぎないが何れの材料を購入するにしても例令それが二十円或は五十円のものでもこうした点に注意を払いよいものを安く買うように心掛けねばならない。試みに更に二三の例を引いて見れば、相当面積の温室建築に際して、馴れた大工を頼めば坪一人乃至一人半で出来るが、馴れぬ大工であると二人乃至三人の手間を必要とするようになるから、温室建築に際しては現に静岡で行っているように、自分も大工を手伝い得る位の知識を持つことが必要であると思う。ペンキ塗にしても温室の建築が終ってから塗るのと、建てる前に塗るのとではその間に手間の相違があるばかりでなく、仕事の仕上げから云っても大變に異るのであるから、建てる前に塗って置き更に建ててから塗るようにすれば、かくしないものとではそのエ程に於て費用に於て五倍位の相違を生ずるものである。故に硝子の購入、嵌め込み、ペンキ塗、水道、暖房等は或程度まで自分でやるようにしなければならないと恩う。
生産品の販売
此の問題は市場があるので割合によいが、先づその市場の特性を知ることが肝要である。即ち高級ものを取扱う一流商人とか、また、生果ならばメロンに力を入れるか、葡萄に力を入れるとか云うように、自分の生産品を有利に販売することを考えなければならない。カーネーションを例にしても上物は一流市場に出し、中、下物は他の市場に出すと云うようにして、自己の生産品の信用を得ることが大切である。 次に荷造りの方法の巧拙はまた販売に非常な影響を持つものであるから、此の点も忽せ(ゆるがせ)に出来ないのである。五十本―乃至三十本を一束とする時は種々の色を混合して出し、一〇本乃至二十本を一束として出す時は単色とするのがよい。関西ではバラを種々の色を混合して出荷するとよいと云うが、東京ではその反対でなければ駄目である。また出荷する際に相場の高低を見て方々の市場に出すことは禁物で、常に一定の市場に出し何時でもその市場には自分の生産品があるようにすることである。即ち自分の名を取ることが大切である。
栽培品の選択
温室栽培植物の選択は、その地の状態及び人の嗜好を考えて行うべきである。東京温室村では温室の七割は草花であることや、埼玉では殆んど木本花卉であることなどは、よく地の利を考えた現れであろう。その他輸送の点、気候の関係等も考慮すべきである。例えば浜松市外芳川村に於ける胡瓜の栽培とか、他の地方では出来ない時に山梨に於てメロンのよいものを作る等はそのよい例である。また長野県に於けるフリージア、シクラメンの栽培、或は高砂百合、洋菊等の栽培の進歩等もよい例であろう。メロンの如く高温を要するものは暖地とか或は燃料の安く仕入れられる所即ち福島県平地方の如く炭鉱に近い所で発達して来ているのである。これが考えると九州方面でも今後こうした方面を開拓出来るのではないかと考えられる。大体に於て温室で栽培するものは草花が七割であり、木本が三割位であるが、その栽培植物は、土壌、水、石炭の価格、輸送便不便等を考えて決定するのが間違いないのである。
温室の建築と資本の償却
最近は大体温室は三割位建築費が高くなって来て、硝子は二割、木材は一割位の騰貴である。建築費は簡易な温室を建てる場合と、完全なものを建てる場合とで異るし、また基礎工事にしてもコンクリートを用いる場合と、大谷石を用いる場合とでは異るのである。そのように温室全体の費用の償却は、坪三十銭乃至一円五十銭位で出来るアメリカの温室と我国の温室とではまた莫大な差異があるのは勿論である。
日本のように風害の多い所ではどうしても基礎工事を硬く造る必要があるし、材木にしても米松、檜、扁柏(へんぱく、ひのき)を使用することによっても異るのである。米末は坪三円乃至五円でよく、檜、扁柏であると五円乃至十円を要することとなる。営利温室では坪木材費七八円以上を要するようでは全く問題でない。扁柏を使用するにしても安くあげる意味で生節(いきぶし)を使用するのがよい。
硝子はその建築の仕方に依り異るが、普通一箱で百平方尺を葺くことが出来る。例えば百坪の独立した温室では五五箱乃至六十箱を要し、若し連続温室であれば五十四箱あれば充分となるのである。硝子は並板は一六オンスあり、一分板は二四オンスである。温室硝子としては一分板を使用するのがよく、並板では風速三十米以上の場合には耐えないものであるし、温度との関係も宜しくないようである。
ペンキは成べく良質のものを使用するようにするがよい。即ち日本ペイントとか東亜ペイントの如く確実なものであれば中位のものでも差支えない。大体百坪温室に負うするペンキは(三回塗)六缶、ボイル油三缶あれば充分である。ボイル油は三円乃至七、八円位まである。
次に東京温室村に於ける温室建築の大体の費用を示せば次の如くである。
鉄骨、パイプは三十円、勿諭二十円でも十五円でも出来るが、建築費を安く上げることにのみ心をとらわれていると、種々の欠点が出来、修繕に多くの費用を要することとなり、却って面白くない結果を招くことがある。
アングルは二吋の鉄材を用い、その上に吋二分の板で雨樋を造る。捶木、棟木、母屋は木材を使用する。内部の柱は吋四分の一のものが用いられ、温室の単位は間口四間半乃至五間、奥行二十間乃至三十間である。中には間口をより広くする人があるが、それでは内部の構造が複雑となり却って多くの費用を要することとなる。
次に主なるものの坪当り生産高を示せば大体次の如くである。即ち、百合、牝丹、つつじの促成では五十円、バラ、カーネーション、スヰートピーは各十五円から二十同程度である。
温泉建築費の償却は、一般に十年で完了するのが普通である。温室の手入宜しければ十五年と見ても差支ないが、然し十五年も経過すると温室の形式が変わり、既に古い型のものとなってしまうから先づ十年とするのがよかろう。
それで償却すると云うことは誰しも温室の建築に当って考えることではあるが、それがなかなか実行されずに、普通には償却費を以って増築することとなるもので、恐らく完全に償却されることはないようである。一般工場等の如く金利を一割とし資本を増加し、利益を挙げると云ふようなことは全く出来ないのである。此の様に資本償却の困難なものであるから、温泉建築に際しては金利の高い金や、何年後に返すと云うような冒険的な事は絶対に慎しまなければならないのである。温室の拡張は自分の力でやるのがよい、勿論凡て独立自営でなければならないが或場合には他から資金を借受けなければならない時もあろう。自分の生活費が何處から出るかと云うことも考える必要がある。資金は独身の場合、家族のある場合等に依り異なるのである。故に必要以上の生産をしなければならないこととなる。然し温室園芸の之が資本的の企業でないから百坪温室が干坪となったからと云って必ずしも十倍の生産品を挙げることが出来ないのである。例令如何に労力を費しても、管理が不充分であれば生産量が低下するものである。故に温室経営は資本的企業でないから、無産者にも出来る仕事だと云えると思う。
大体の収支計算
その詳細に就いてはなかなか知ることが出来ないが、大体の坪当り収入を見ると、カーネーションでは上物は二十円、十五円内外、下物は五円乃至八円である。メロンにあっては甲州物、浜松おのは時期に依り大変に相違があるが、殆んど東京近県のものと比較にならないし、特に秋以後のものは宜しくないのであるが大体カーネーションより三割乃至四割位多いようである。バラはその出来に依り相違があるが、挿芽の場合は二年目がよく、接木の場合は初年から殆んど変わりない収量が得られるのである。先づカーネーションより三円乃至五円位多いようである。鉢物は大衆的なものを基本として置けば、二十円乃至三十円位を挙げることが出来るが、鉢物は運用の妙を得ること、品種の選択に依り異なるから、その点に関して充分考慮しなければならない。
木本促成では、その母株の良否に依り大なる差があり、球根類では母球の購入の仕方に依り差異を生ずるものである。促成ものの大家と云われる某氏は「此の方面のコツは促成開花の技術よりは、優秀なる母球のストックを持つことである」と主張されたが、大いに参考となることと思う。
次は生産費の問題であるが、これは副業の場合と、独立の場合で異ることは勿論である。また温室の大きさに依っても異って来る。普通には百坪乃至二百坪の温室では大体収支が平均するものであるし、それより年數が増加すれば稍収入が増すが、生産費を多く要するから、大して差異が認められないものである。
温室の生産品は最近は非常に安くなり、昔カーネーションが一本二十銭もしたこと等は夢のようであり、現在では二銭から最上四銭五銭のものである。勿論生産品はどうしても必要なものであるものと、東京付近の如く積極的なものとは異って来るのである。静岡等では百三十坪が単位であるが、東京温室村では三百坪を単位としなければならないのである。また近来は多角形から次第に単純化して、専門のものを合理的に作って行き、生産費をなるべくかけぬようにしているのである。また、労力の問題にしても例えば灌水は圧力に依り、窓の開閉はベンチレーターを用い、パイプも細くしてスチームを通すと云うように動的な方面に力を入れて来ている。労力は東京温室村と所謂促成屋とでは異るのである。現に私の所では温室面積が千五百坪あるが、僅か十五人で凡ての仕事を掌っているのである。然し、アメリカでは三百坪に一人で充分な程の設備が出来ていると云うことである。勢力の節約とは結局単純な栽培、即ち専門的な栽培をすると云うことになるのである。
生産品の出荷は、個人で行うと共同で行うとでは非常に異り、昔は販売費の一割から二割位も取られたのであるが、現在温室村では三分乃至五分の僅少なものである。以前は温室村にあっても一人一人で行ってるたが現在はリーヤーカー或はトラック等に依る共同出荷をするので時間の節約も出来販売法が次第に合理化されて来ているのである。
温室経営の将来
将来温室がどこまで有用化されるかは問題であるが、地方では単純低級なものでも満足できるのである。温室の生計に就いて考えて見ると、都会相手ならばまだよいが、疲弊し行き詰まった農村での独立の生活では全く成り立たないのである。今の世の文化に凡て都会より発した文化であるから、生産品は凡て都会で消費されるものであることがよく分かるのである。実際農村の人が温室村を訪ねて、此の様に多量に栽培される花をどうして都会で使うのであろうかと疑うが、それは無理からぬとして、学者の間にさえそれを知らないものが往々にしてあるのである。打続く十年余の不況の為に農学者、農村研究者、都会のことなど全く考えていないのである。同時に工業の躍進が農業に如何に影響しているかも知らないのである。また、温室に於て二十円乃至三十円の費用をかけて作ったものでも以前の露地の早出しのものと同様な値段となっているのである。それは大衆化されたことであるから、その点もよく知って置かねばならない。温室胡瓜とかトマト等が苹果と同じように一般に広く使うようになっで来ている。のであるから、昔の様に一部有産階級だけの需要の如く考えていては全く間違である。科学の発達は将来に於て食料品を安く製造するようになるかも知れぬが、花卉の如く観るものは生きているものでなければならないのであるから、温室園芸だけは残されて行くことは間違いないのである。
温室生産の花卉は持ちが良いし、トマトにしても遙に美味であるから今後益々発達することは疑いないのである。そして各生産品が地方化するであろうことも考えられるのである。
以上大体の意見を述べたのであるが、何分にも思いついたままを書きつづったので非常にまとまりがなく、了解されにくい点も多々あろうと思うが、それはまた何れかの機会に発表し度いと考えている。(終り)