戦後すぐに、花材への「着色」が始まり、一気に流行する。始まりは、関西いけばな界からだった

 


『新しい花の鑑賞』 西堀一三 河原書店 1950から


着色のこと


素材の探求がおしつめられた一つの結果として、草木に着色することが今は新しく行はれています。この方法が人々の前に最も大きく現れたのは、七星会における河村萬葉庵氏の「如是我観」でありませう。これは。枯れたカラタチの枝を白く塗り、また帚木草を赤くまた黒く塗って用いたもので、人々に大きい驚きを与へたのであります。


その当時、河村さんに会って私はよくその意志を聴いたのでありますが、最も憂へて居られたのは、今後猥りにこの方法を試みる人が現れることへの心配でありました。河村さんの偽らざる言葉によると、本家自然の姿をもっているカラタチを白く塗ったのは涙をふるってしたのだとの事でありました。


この作品が、今までの「いけ花」とは違った成功をおさめたため、大いに世の注意をひいたのでありまして、先回の開西日展を見ましても、この着色が色々の人によって行はれていました。東京の勅使河原氏のものにも、この着色された部分があり、又葛原瑞香氏は、先回の河村さんの作品の傍で、藤の蔓の可成り大きいのを赤く又黒く塗っていました。私は当日の会場入った時に、この着色の問題が更に浮び上っているのを感じたのでありまして、猥(みだ)りに好んですべきでないのを既に河村氏は云っていたとは云へ、その結果はとにかく新しい花道の方向を開くことになったのでありました。


私は、この着色の問題について、先回の日展を見る以前、既に六陵会の時に、小原豊雲氏が蓮の実に金粉を塗ったのを見ました。実が落ちた後の空洞が残っているあの蓮の実は、秋より冬に入る時の寂寥さを如何にもよく現しています。それに金粉を塗ることは、その寂寥に何物かを加へることでありまして、むかし紺紙に金泥をもって経文をかいた効果を思い起させるものでありました。


これは.河村氏の作品が示された後のこととして、私の記憶にのこっているのでありますが、それが、先回の日展では、より華やかな行いとして現れたのであります。その中には、色々のものがあった中でも、私にとって最も注意されたのは萬葉庵氏直門の閨秀作家である柴田碧葉庵氏が、この着色を試みていたことであります。猥(みだ)りにすべきでないとの言葉があり乍ら、しかもこれが行はれているのは、新しく許されるものであったと云ってよいでありませう。


河村萬葉庵氏の肖像
『万葉流のいけばな』1957 主婦の友社 から


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【もくじ】

一、新しい花はどうして起ったか

1、会場芸術としての花

2、花の美しさ

3、この道が起った頃と新しい花の初め

二、近代芸術としての傾向

1、表現の花でなければならない

2、風土の特性と日本人の感覚

3、超自然的な方法による花

三、どういう花がよいか

1、色彩を主にした構成的なもの

2,色彩と構成についての伝統的な感じ方

3、線による表現とその動き

4、新しい素材を見出す力

5、着色のこと

6、背景と花器及び光線との関係

四、作例鑑賞(1)

五、作例鑑賞(2)

六、生活に根ざす花

1、いけ花の現在と将来

2、いけ花の国際性

3、平和文化といけ花

4、愛情の籠った美

5、自然を尊ぶ意味

6、和のすがた

7、現代の生活と花

挿図解説


※河村萬葉庵(工藤昌伸氏による解説)

明治37(1904)年生まれ。萬葉流初代家元。戦前から文人画をたしなむ。萬力屋雅舟に師事し、昭和19(1944)年、萬葉流を創流。西洋美術にも造詣が深く、抽象的な作風を特色とした。前衛いけばなの中で、関西の代表作家として名を馳せた。

※七星会(工藤昌伸氏による解説)

昭和23(1948)年、前年、大阪の花道家小原豊雲、河村萬葉庵、中山文甫、新井揚月、阪本梅月、菊池不識庵の六人で結成した六陵会に、京都から桑原専溪が参加、東京から勅使河原蒼風を客員に迎えてつくられたグループ。大阪の阪急百貨店で花展を開催した。


一の3


新しい花の初め 


今の立場から花を生ける道が起った頃を顧みますに当時も長い戦争があった後で、その頃の人は、枯れた葉に青い葉を重ねてさし、これに深き義理があると考へていたのであります。詰り、その青い葉に新しく伸びる生命があるのを思うたのでありまして、この筋道が、立華や生花となって更に発展したのであります。今日に云はれている新しい花は、この立華や生花と違って、明治の時代に起った「投入盛花」の筋を云うのでありますが、これが、終戦後の今の時代に新しく迎へられているのは、この青き草の色にも似るものが、新しくこの道に含められようとしているからで、吾国の花道は、その起った時の事情と考へ合はせて、今最も重要な飛躍の時代に入っているのであります。

それだけ、色々の傾向がこの道には含められていますが、吾々はその進む方向について正しい考へをもち、将来この国の文化として立派に育つように考へねばなりません。

さうした考への根柢となるため、今、この新しい花が起ってきた筋道を考へますに、最初に「投入盛花」が起った時には、新しく自由の精神をこれに含めんとしたのであります。後から云へば、その様にも云へるのでありますが、更に実際のことを云いますと、其頃、チューリップやアネモネの様な色彩のうつくしい洋花が吾国にも伝へられ、それを花に生けようとすることから起ったのであります。

この類の洋花は、長(たけ)が短く、従来の花型に合はないため、暫らくは花に用 いられないままになっていましたが、以前の花型を改めて、寸の短いものでも差支へないとなると、これを使うことが出来ます。さうした結果は、所謂花を盛ったような形となり、それが世に盛花と云はれるものの初めとなったのであります。この盛花には.水盤が用いられるに対し、普通の花器に新しい試みの花を挿したのを投入というのであります。

この「投入盛花」は、大正、昭和の初めを経て現代に及び、色々の新しい工夫が加えられ近代芸術としての歩みをしているのでありまして、その間における最も大切なことは、最初に投入盛花が起った時には.自然を本位とする写実主義のものでありましたが、後には作者の主観的な立場を入れるものとなったことであります。これは、従来の出生に則した花の生け方とは違ったものを発展させることになり、この主観的なものの中には種々の科学的智識をも入れることによって、美の捕へ方が清新なものとなったのであります。それよりも、もっと重大なことは、以前の花のように出生に則して、生ける花の形を決めるのではなく、この主観的な美の表現が、物の形を決めてゆくようになったことでありまして、これが所謂「お化け」のような花を生むようになったのであります。

けれども、精しく考へれば、その中には、近代人としての生活感情自ら這入っているのでありますから、それを理解し、作者の表現しようとする所がどこにあるかをよく知らねばならないことになります。


一の4


終戦後の花道界はどういう歩みをしたか


それにしても、さし当っては、終戦後のこの道の歩みを知ることが、最も切実なことで、現代の花道はこの深刻な経験を通して、新に歩み出したのであります。

その当時、私は田舎に居まして、ある寺院の前を通ったのでありますが、その前の黒板に、こんな文句が書いてあるのを見ました。


バラの木にバラの花が咲く

何の不思議はなけれど

(※北原白秋の詩『薔薇二曲』にある)


この「何の不思議はなけれど」の言葉に、不思議に心を惹かれる思いを味ったのですが、事実この言葉のように、花を生ける道は.この国に新に起って来ました。

大阪で開かれた六陵会①や、匕星會②の花展はその意味で新しく起ったもので、時は終戦後の時代であるに拘らず、世の花道家は逞しい意志を示し、その作品を大衆の集まる百貨店に展示したのであります。 そうした意志のみでなく、この時には、従来の伝統に捕はれることなく、新しくこの道を伸ばしてゆく方針が明らかにされたのであります。事実各々の流派に属する人々が虚心にこれに参加したのは、確に注意すべき新しい事実でありまして、他の古典芸術よりも、花道におけるこの傾向は特に目立っていました。

その作品は、熾んなる意志と共に、勢い大作に馳り、圧倒的な心持を示さんとする風もありましたが、中には、従来多く見なかった手法③を示して成功したものもあり、とにかく大きい影響を世に与えたのであります。

これらの目立った行い以外にも、世には色々の事が行はれていたに違いありません。終戦の直後、焼跡となつた焦土にいち早く帰った花道家もあったでありませうし、又、今後の花道を予想して、新しい準備がなされていたのも事実であります。 

とにかく、終戦後の時期を境として、花道界は新しい活動に入ったのでありまして、それが遂に、全国的な「花道日展」が開かれる機運を導いたのであります。

これは、文部省が、花道の隆盛の為に力を致さんとする意と、全国の花道家が志を同じくして、道の興隆を図らんとする意が一致して生れたのでありまして、このように、統一的な花道展が開かれることは、今までになかった記事であります。既に東西に分けて二回、この展覧会は開かれましたが、かうした会がある事は、一面から見れば、流派的な対立を離れ、協同合一して一つの道を展開させようとすることである、と同時に、一面から云へば、会場芸術としての花に新しい目標がおかれる事であります。 

それはともかく、実際の動きとして、その後のことを考へますに、七星会や六陵会が発展的解消をした後に、新しく生れた京都の紫紅社④は、伝統に則しその上に新しく指導的なものを築いてゆく趣旨を自ら明らかにしました。

然し、各々の人は、信ずる所に従って自らの道を歩いているのでありますが、ここで更に現状を顧ると、昨年の日展で示された「日展調」のものが、県展などでは見られると共に、更に別の方向を歩もうとしている新しいものがあります。それは真に将来、新しい日本の「いけ」として結実するものを目測し、生活芸術としての新しい成長と発展を考へているのであります。


注①

大阪の松阪屋で行はれた花展で、小原豊雲、中山文甫、河村萬葉庵、菊地不識、阪本梅月、新井揚月氏を同人とする会であります。この人々が同人となる会が出来た理由は、小原豊雲氏の「花道周邊」の中に精しく述べられています。

注②

右の六人の外に、京都の桑原專溪氏を同人として加た会で、これは大阪の阪急百貨店で会が行はれました。

注③

阪急の七星会の時に河村萬葉庵氏の作品であった「如是我観」のことをいうのであります。これは、カラタチの枝その他に着色を施したもので、その会の問題作でありましたが、やがてその風が他に及ぶことになったのであります。この作のことについては、「花道全集」の立花と茶花の篇に河村氏の言葉がのっています。

注④ 六陵会、七星会は、花道日展が開かれる気運と共に、発展的解消をしましたが、その反面に京都の花道家で、七星会の会員であった桑原專溪氏を幹事とし、辻井弘洲、長谷川菊洲、永井華風、西阪專慶氏を会員とする紫紅社がその後結成されました。既に数回の試作展を行うと共に、最近には松本双鶴、大津柳月の両氏を会友に迎へ、関係芸術部門とも提携して、綜合的に日本の生活芸術としての新しい発展に寄与せんとしています。



二 近代芸術としての傾向


一 表現の花でなければならない


以上、新しい花が起ってきた事情をのべましたので、これからは、近代藝術としての「いけ花」の傾向を申しませう。

一口に云へば、近代芸術としての花とは「表現の花」であることであります。勿論装飾としての花もあり、その意味での近代的なものもありますが、最も大切なのは、自分の作意が花によって表現されることであります。

従来にも、その様なことを考へなかったのではありませんが、生活の規準





が寄せられ、日常の行いにも「躾」が云はれていましたが、それは身のこなしを美しくすることであります。従ってすべての物の形に異常な注意があり端正な花を床の間に生けていたのでありますが、新なる自由の時代は、形の自由と共に、色による感情の表現を考へるに至ったのであります。それは、人間自身の生活感情を色彩によって表現せんとするからでありまして、かのセザンヌが「形はない、色のみがある。色が充実すれば形も出来る」と云っていることにも、この傾向は察せられるのであります。

この色彩による感情の表現と共に、新しい花が考へているのは、線による表現であります。草木は、自らこの線を具えていますが、それを出生に則する姿として見るよりも、人間の感情を表現する抽象的なものと見るのが、線への感覚でありまして、実際は、この線により、流動する物の動きを現はさうとするのであります。

詰り、明るい色彩の感情や、動的なリズムを表現せんとするのが新しい花の傾向でありまして、現代の生活が、さうしたものに向つているのが、その心持を現はさうとすることになるのであります。

一般的にはさう云うことが云へるのでありますが、所詮は個性的なものがその内容でありますから、その実質を一般的に云うことは出来ません。それで、ここでは、人間の生活を主にした感情が花に現はされようとしていることだけを述べておきます。(以下省略)



三の4


新しい素材を見出す力


色彩や線についての感覚から、更に問題を進めて、新しい素材を見つけていく事について申しませう。

その点では、現代の花道家は実に大胆な努力をし、最近の花展では、海底の草や昆布までがその材料として使はれているのであlります。昆布にサボテンを併せた怪奇は、かの桐の枝に見るとは更に違った所にその表現内容を見ているのでありまして、明るい快活に未だ必ずしも同意しない心が現はされています。

けれども、さうした新しい素材を用いることにっいての重要な注意は、素材の珍らしさのみを求めるのではなく、表現される内容が常にこれに伴っていなければならないことでありまして、その意味からは、従来世に知られている材料であっても、これをどういう角度から見ていくかということによって新しい材量(ママ)ともなるのであります。

その様な理論的なことよりも、今は、この素材の面で、一般的に現れている新しい傾向について申しますと、シユロやソテツの葉が用いられているのが特に目立ちます。それと同じ意味では、八ツ手の葉や、洋種のモンステラがありますが、これは、現代のいけ花が、花の美しさよりも、健康な逞しさを表現しようとしているからです。 

従来では、花あるものについていた葉が出生のままに用いられていました為葉だけを他から取ってくることはなかったのでありますが、現代は、その考へを離れていますので、このシユロの葉とも取合はされ、さうした花を見ると、今までにながった新しい感じが起るのです。それは、現代の生活感情がその中に這入っているからでありますが、このシユロの葉については健康で.意志的なその姿のみでなく、数条の線が並んでいることによって、近代人のもつ合理的な知性が表はされているのも知らねばなりません。それが何となく快いものに思はれるのでありまして、現代の生活感情に合うものを考へ、それを素材として取出す力が常に必要です。

又、このシュロについても色々の種類があります。その差別をよく味うことが表現の目的に叶うことになるのでありますが、その意味で別に注意されるのは、ソテツの葉であります。これには、より気鋭な神経と、凝集された精カがありまして、シュロの葉に見る合理的な知性よりも、精神の張りとも云ったものが感ぜられます。しかし、都会生活の神経にも合うこの様なものよりも、地方的な生活感情のままにこれをもっているのは八ツ手の葉でありませう。これは、未だ素朴の感を免れないものではありますが、その広い葉を直接に出している葉柄の感じには特別の強さが感ぜられます。そこに素朴な面白さがありますが、この傾向のもので、更に面白いのはモyスタクでありませう。これは、無論洋種のもので、広い葉の面を直接に見せているのでありますが、その面には、一種の切込みがあり、従来の日本の植物に見たのとは異った知性的な感覚があります。この知性的な所と、直接に面を見せている明快な大胆さが、近代の生活に合うものとして好んで用いられる理由であります。その大胆さと共に、自省的な性質を具へている切込みのっ感じは確に今の日本人に好まるべきものであります。

私はこれを見ていると、今までの様に、時間を考へるのではなく、現前の一瞬を自らの知性により切取らんとしている態度を感じるのでありまして、ここに現代の生活感情を知るのです。

その様な意味で、新しく感じられる材料に大王松があります。それは、鋭い直線を長く放射しているもので、自身の輝きに信をおいている様な姿に特徴があるものでありますが、かうしたものが新しく用いられているのは、現代の生活感情の中にあるものを自ら思い、これに合うものを世の花道家が発見したことに外なりません。

かうした例から私が云いたいのは、現代の生活感情の中にあるものをよく知り、そこからこれに適合するものを見出してくる事であります。よきいけ花の材料となるものは、山に行って捜せばあり、花屋に常に売っていると思ってはなりません。だだ稽古をする時の花ならばそれでよいのでありますが創作的に自分の心持を現はさうとする時には、表現しようとする意志を自ら定めると共に、それと材料との間の適合を自ら考へねばなりません。それについては鋭敏に物の特質を見、その象徴的性質を知らねばならないのでありまして、この象徴的な性質を知ることなく、単に花を生ける技術だけを学んでいるのでは些か足らない所がある様に思います。

歌や俳句を作る人は、言葉について鋭敏な感覚をもっています。普通の人が感じないような音楽的快感にまで注意しているのでありますが、今日の花を習う人には、さうした感性を自ら磨くことがよく指導されている様に思いません。それは、指導者の方に用意が足りないのでありまして、色々の技術や花型を伝習させるのみではなく、真に芸に遊ぶことの喜びをよく味いうる様にすると共に、習う人の作意を尊重したよき指導がなされねばならないと思います。

今の素材を見出す問題については、夫々の材料の象徴性を知るのみでなく他のものと取合せる関係が伴い、複雑な問題となってくるので、行届いたことを今ここで云うわけにはゆきませんが.私が既に行はれている例として説明している中から何等かの事を汲取って頂けば結構です。


さう云うわけで、ここでは実際の作品について私の感じる所をもう少し云い続けることにしませう。

現代的な傾向については今まで述べましたので、その行き方とは異った古典的なものをここで一つ云いたいと思います。それは、「蓮の浮葉」のことであります。これは、水面に浮いている蓮の葉を、そのまま生ける花に現わすことでありますが、何故、これを尊ぶかと云いますと、この蓮の浮葉というのは、一番最初に出る葉で春早く芽を出すのでありますが、実はそれ以上はのびない姿に注意するからであります。その後から出た葉が水面に出るのに、最初のものが何時までも水面に留っているのは、感銘深い自然界の事実であります。現代の行き方は。資格的に眼に訴へることを主にしているのでありますが、この様に内観的に物を見る立場もあってよいかと私は思います。

その様な方向で、新しく表現されるものを見出すことが今後あっても差支へないでありませう。昔の人は、常にかうした内面的なものに注意し、外面的なことのみを考へるのはたかくなであると考へていたのでありますが、今は、内面的なことを云うのが却ってがたくなの様に思はれます。然し、今の日本の事情から云って、どの様にあるのが、具に健やかであるかを思う時に今までの戦後派的なもののみに、将来性を考へるわけにはゆきません。大きい悲劇を経験しているものが、内面的自覚を忘れるのを健全であるとは云へず、本当に如何にあることが、この国を安定する姿となるかを考へ、それに添う生活感情に立脚した花が現れるのを期待するのであります。

近頃の外字新聞に「私が日本人であったら」という記事が出ているのを見ると、かの何とかブギウギの流行歌を唱ってぃる様な人間は死刑にすると書いてありましたが、これは今の日本人に厳しい自省が欠けているのを現しているのではないでせうか。敗戦の現実をこそ引緊めて立上るべきであるのにどこに浮き浮きした所があるというのでせうか。末世的頽廃の情、瞬間を思うて永遠を忘れるのを単に新しい姿としてのみ見ているならば、こんな阿呆はありません。

この事実は花道界のことではありませんが、しかも、この道において「花道ブギウギ」を感じ、妙な新しがりを喜んでいるとすれば三省すべきことであると思います。

 

さうも思っている私は、近頃用いられている材料の中で色々面白いものを見ます。山ゴボウの茎を使うことなどもさうです。これは、葉がついているままの姿としてはあまり面白いものでもありませんが、これを茎だけとして見ると、その色調又は線の感じに特別の面白さがあります。紫がかったその赤さには知性的なものが感じられ、赤き情念とは云い乍ら、ともすれば頽廢となるものではなく健やかに自らを保たうとしているのがその線の感じに見られるのであります。かの桐のように緩やかな寛容をもっているよりも、直情径行的で、その感じに爽やかな所があります。単に意志的であるよりも、よく情を知る色調があるのも好ましい所で、その様な茎を今の花道家が自ら発見し、その葉を去ってこれのみを用いていることに、新しく好ましいこころを私は感じるのであります。

又、かのまんさくも、私が面白いと思うものであります。紅葉するものとしては、従来楓が専ら賞されていましたが、この楓は、細い枝の先にセンサイな葉かついているのが特徴であります。又それを特に好んだのでありますが、今の萬作はかかる細みよりも、明るい快活をもっています。

その丸い葉には、笑いを含んでいる表情があります。又赤くのみなるよりも、その紅葉にはうるみがありますが、ここに今の日本人の姿があるのではないでせうか。これを萬作と呼んでいるのは如何なる理由によるか知れませんが、田舎の爺さんの様な名前も面白く、あまりに都会人的であるよりも、この素朴に帰した風情を私は好意をもって眺めるのであります。


又、今現に用いられている素材で面白いと思うのはパンパスであります。それを集団的に、用いた作品をよく見ましたが、今までの材料のように、あまりに植物的に感じられた事から離れて、些か動物のイキが感じられるのを面白いと私は思っています。それも、前にいう藤蔓のように野獣的精魂ではなく、漂渺(ひょうびょう)としたイキの様に思はれるのが尊い所でありまして、現代の花のように.人間の主情が表現される時には、植物的諦観に入る前に、この動物的なイキが感ぜられるものが適当に使用されるのは当然の姿ではないでせうか。

先回の関西日展でも、細川青邨氏は、このパンパスを用いて「人体解剖図」という不思議な主題をつけた作品を出し、又、野口治子氏は、赤いカンナにこのパンパスの集団を配した作品を作ったのでありますが、これらの場合、直接に人間を連想させる意志があったのを気付かねばなりません。その様な角度から、このパンパスを見てゆくのは面白く、これを効果的に使った花は今後多く見ることが出来るのではないあと思います。



三の5


着色のこと


素材の探求がおしつめられた一つの結果として、草木に着色することが今は新しく行はれています。この方法が人々の前に最も大きく現れたのは、七星會における河村萬葉庵氏の「如是我觀」でありませう。これは。枯れたカラタチの枝を白く塗り、叉帚木草を赤く又黒く塗って用いたもので、人々に大きい驚きを与へたのであります。

その当時、河村さんに会って私はよくその意志を聴いたのでありますが、最も憂へて居られたのは、今後猥りにこの方法を試みる人が現れることへの心配でありました。河村さんの偽らざる言葉によると、本家自然の姿をもっているカラタチを白く塗ったのは涙をふるってしたのだとの事でありました。

この作品が、今までの「いけ花」とは違った成功をおさめたため、大いに世の注意をひいたのでありまして、先回の開西日展を見ましても、この着色が色々の人によって行はれていました。東京の勅使河原氏のものにも、この着色された部分があり、又葛原瑞香氏は、先回の河村さんの作品の傍で、藤の蔓の可成り大きいのを赤く又黒く塗っていました。私は当日の会場入った時に、この着色の問題が更に浮び上っているのを感じたのでありまして、猥りに好んですべきでないのを既に河村氏は云っていたとは云へ、その結果はとにかく新しい花道の方向を開くことになったのでありました。


私は、この着色の問題について、先回の日展を見る以前、既に六陵会の時に、小原豊雲氏が蓮の実に金粉を塗ったのを見ました。実が落ちた後の空洞が残っているあの蓮の実は、秋より冬に入る時の寂寥さを如何にもよく現しています。それに金粉を塗ることは、その寂寥に何物かを加へることでありまして、むかし紺紙に金泥をもって経文をかいた効果を思い起させるものでありました。

これは.河村氏の作品が示された後のこととして、私の記憶にのこっているのでありますが、それが、先回の日展では、より華やかな行いとして現れたのであります。その中には、色々のものがあった中でも、私にとって最も注意されたのは萬葉庵氏直門の閨秀作家である柴田碧葉庵氏が、この着色を試みていたことであります。猥りにすべきでないとの言葉があり乍ら、しかもこれが行はれているのは。新しく許されるものであったと云ってよいでありませう。


作品は、青い南天の葉がクリーム色の背景の前にひろげられている中に、桐の枝を配し、それについている実のある部分に着色がしてあるものでありましたが、その着色は濃い褐色で、栗のような、若くは栗毛の動物のような感じでありました。それは、自然の物の感じを多く離れない乍ら、この着色によって、自然の植物以外の何物かがこれを見乍ら、私は、人間の好みによって塗られた色に、動物の気が自ら這入るのを見出したのであります。この塗られた部分と、実際の桐の実とを比べて見ますと、自然のままのものには未だ青味がありました。このままでは、他の青い葉と並べて対象的効果がないのを考へたのが、一部分を塗ることになった理由でありませうが、そのように塗られたことは、植物だけの世界では見られない別の効果を作り上げることになっていたのであります。私はその間の感情を見つめていて、実に不思議なものが作り上げられている気がしました。従来のように植物のみの取合せであれば、この不思議な感じは起らないのでありますが、人間の意志によるものが加っていることが、未だ見なかった世界となっているのであります。その原因を考へて見ますと、塗られた桐の実が、動物の精気を感じさせる色に染められてあったことにあります。


それは、植物の世界のみを見ている静かさとは違って、ある「妖し」さを感じさせるものでありました。それを私は批難しているのではありません。まだ見なかった世界がそこにあるのを、不思議な驚きとしてただ眺めていたのでありまして、さうしたものを見ることは、新しいものに触れる喜びでもあったのです。


ここで、動物的な生命感が「いけ花」の中に盛られることに触れねばなりませんが、この作品の場合は、直接に動物的なものが何も現はされているのでなく、ただ桐の実を塗ったその効果に、僅かに私が感じていることに過ぎません。けれども、栗毛のような色に塗られているその色の精気は、植物の世界にはないもので、これが、生きている青い植物の葉と共にあるのが、不思議な感じを生む原因であったのであります。それで、今一方の材料の方を顧みますと、それは、クリーム色の背景の前にひろげられている小さい青い葉の群でありました。このクリーム色の背景は、恰も光線を身のうちに通しているその青い葉を思はせるもので、それは、生きている植物が、最も輝やかしくその姿を示している時であります。その中に、今の桐の枝が、自然に交っているのでありまして、その線は如何にもおうらかであります。繊細な青い葉のそよぎが女性的なものであるとするならば、この桐の枝には男性的なものが感ぜられます。この男性的なものに性質の違う女性的なものが配合されているのは、そこに十分の面白さを感じることで、既に対照の美が感ぜられることでありまして、さうした姿を美として眺める実際の生活経験が作者にあるのを感じるのでありますが、そこで問題になるのは、この桐の枝についている実であります。


ここで私が問題とするのは、着色の事実は単に、色を塗るということのみでなく、それが人間によってなされる事により動物的なものを加えることであります。それは僅かに感ぜられる事であったとしても、これが、更に、植物の生きた生命感と対照されることによって、一つの新しい生色を生むのは確かに注意さるべきことではないでせうか。


私は、動物的な生命感が、この「いけ花」の世界にも表現されようとしているのを云いましたが、実際の事を云へば、この動物的なもののありかたによって、植物的なもの感じ方は違ってくるのであります。所で、今の作品の場合は、この動物的なものが、僅かに塗られた桐の実の色にとどまり、その周囲には、ただ一色の青が広げられていましたため、この植物的なものの優位が輝しく現れていたのであります。

その輝しさは、単に植物のみの世界としてこれを眺めていた時とは異るもので、僅に動物的なものを用いることにより、植物的なものに、却って、迫真の力とも云うものを感じさせていました。

この迫真も、単に迫るというのみではなく、眼に見えない程の動物性があることにより、実は迫るの意に至っているのでありまして、ここに新らしい構造の発見があり、一方の青い葉の色を、爽やかに冴えたものとして眺めることが出来たのであります。


六 植物的生命感


ここになると、着色の問題は、一つの新しい効果に至りついたと云って差支へないでありませう。止むを得ずして着色した場合には、ある意想の具体化があり、吾々は、作者の意想をこれによって感ずることになるのでありますが、今の場合は、単に意想の具体化であるよりも、それが植物の生命と対照されることにより、新なる世界を作り出しているのであります。

着色を施した作品は他にも色々ありまして、夫々に面白い効果を挙げていたのでありますが、ここで私は一つの事実に気がついたのであります。それは、男性の作者によってこれがなされる場合には、動物的なものが強く表に出されていたのが多かったのに比べ、女性の作者による時には、更に植物的なものの優位を示していたことであります。今の柴田さんの作品もそれでありますが、野口治子さんの場合も、それでありました。これに比べ、細川氏の場合でも、葛原氏の場合でも、男性の作者は、ひたむきに動物的なものの表現に向っている様でありました。男性による作品がその様になっている時に、女性の作者によるものが、植物的なものの優位の中に動物的なものを包んでいるのを私は面白く思ったのであります。その意志のみでなく、これによって現はされる世界が、今までの様な植物的諦観ではなく、新しく輝く世界であるのを私は思いました。今までは、この植物的な生命の中に素直な命を見出したでありませうが、今は、素直さという様な道念から捕へられるのではなく、あらゆる動物的な生活力の上にも、尚ほ永遠にある生きの命の晴れやかさが現はされているのであります。


その点に触れては、更に次のお話をしたいと思います。それは、同じく女性の手になる作品で、しかも着色を施し乍ら、この植物的なものに輝きを与へていた作品を私は見たからであります。それは、日展がすんだ後の池坊の七夕会での作品でありましたが、主題は「天の川」というので、上にある釣花入には黄色いダリヤが生けられ、下にある赤いダリヤと対象をなしているのでありました。この二つのものをつなぐ感情として、白銀の色に染められた蔓が用いてあったのであります。それは、二つのものの間にある抽象された感情を現すもので、その意味での着色は決して否定されるのではありませんが、私が特に云はうとするのは、この白銀の線をおくっている黄色い釣花入のダリヤであります。

具体的に説明しますと、そのダリヤは矢張りパンパスか芒の穂のようなものの集団の中に包まれていました。その間から黄色い大輪の花がのぞいていたのでありまして、かりに動物的な気配を感じるとも云ってよい物の間からこの黄色い花が僅かにのぞいていたのは、その黄色さを見る眼に特別の感慨が寄せられたのであります。これを説明しますれば、天の川の主題のように一年に一度の会う日を喜ぶその心持が、今の黄色いダリヤの花に現はされているのでありまして、この果敢なさを含む喜びは、その黄色い花に正に相応しかったのであります。普通であれば、赤い花を喜ぶことになるかも知れませんが、それをこの黄色い花に留め、その中に僅かに喜びの心持を現はさうとした所に、かなしさをもっている女性の心持が現はされていると云ってよく、私は、その黄色の心をいとしみ乍ら、同じ喜びに同感する心で眺めたのでありました。

その様に見られたのも、実はその周囲にある動物的なイキによるのであると思います。前に云うように、このダリヤは、パンパスか芒の穂のようなものに包まれていたのでありますが、それは同じ植物的な感をもつよりも、動物の生きる社会を現していると云ったがよいでありませう。これがあるのでこの植物的な黄色い花は、一層特性をはっきりさせているのでありますが、今の黄色いダリヤは、周囲の動物的なものに包まれ、自らを果敢なみつつ、僅かな喜びをのみ保っているのではありません。その黄色い花からは、白銀の線が吐き出されています。それは自らが保つ情熱の表現に外ならないのでありますが、それが白銀の色となっているのは、冷徹な知性がこれにあるからでありませう。云いかへれば、動物的な情熱をも自ら持たないのではないが、敢へてこの植物的なものに自らを留めているのでありまして、この点は前に云う柴田さんの作品よりも、その関係が複雑であります。詰り、植物的なものが動物的なものと接触しているのではなく、自らの中に動物的なものを含んで居るのでありまして、かの白銀の線は、下に垂れては、地を這ふ姿とまでなつてい乍ら、敢へて自らを植物的なものに留めているのであります。さうした感情が、その黄色い花の色をいつまでも眺めさせることになるのであります。

それも、若し単に黄色い色でありましたならば、この花に感ぜられたような表現性はなかったでありませうが、生きているダリヤの花であったことに、私は、迫真的なものを感じたのであります。この様に生きている花であることは、生命の実体を直接に示していることであります。ここに生きた植物を用いることの意味があり、作者の魂も、この中に這入っていたと見てよいでありませう。この作品は無論女性の鉾立千代さんの手になったものでありました。


私は、これを見て、現にある日本女性の心情をよく知ることが出来ました。その性質について左右を云うよりも、今の場合の一般的な問題は、この植物的と云はれる生命感が生きる人間の心としてもあることで、それは吾々の生の姿を、一つの立場から見ることでもあります。それが、草木を取扱う芸には、宿命的に結びついているのであります。

尚ほ着色の作品については、日展の第四回で前田華風氏が試みた樫の木の枝を黒く塗ったもののことを更に云はねばなりませんが、私は実物を見ず、写真でそれを拝見しただけなので、精しくその感想をのべる事が出来ないのを遺憾に思います。けれども、黒く塗られた怪奇なる枝の前に、実は生きて鮮やかな植物の姿があったのを思はなければならないのでありまして、この場合は、この怪奇なものの方が、大きい量を占めていたとは云へ、それを背景として、新しく生れたものとして、この植物の姿を見せていた所に面白い所があると思います。

それは、世を知る男性の立場から、更にこの植物的生命を見る高い心でありまして、この植物的なものを、新に生れたものとして見る所に高い鑑賞がありました。さうなってくると、植物的生命観の優位も、薫る菊のように気高く思はれてきます。




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