日本のダイヤモンド・リリー育種の草分け、珍奇植物、爬虫類飼育の大家、広瀬巨海氏のものがたり
福羽発三(新宿御苑保存協会理事)※ふくば・のぶぞう
湯浅四郎(前農産商会社長)
桜井元(園芸文化協会理事)※「やぶれがさ草木抄」の奥付のルビは「さくらい・げん」となっている。
加藤光治(園芸文化協会理事、第一園芸取締役)
座談会は昭和28年10月17日に行なわれた。
珍奇な動植物の広瀬さん
福羽
それから珍奇植物というと、語弊がありますが、広瀬巨海さんについて…
※広瀬巨海(ひろせ・おおみ)
桜井
初めのうちはあまりお伺いしなかったのですが、ヘビを食う動物とか、まん丸いカメの子、カメレオンとか、トカゲの類、植物も珍奇なものを集めておられました。私が拝見したのは世田谷のお宅が一番初めです。
湯浅
目白は…。
福羽
松崎(直枝)君に聞いた話では、目白のお宅でシプリベジューム(※現在のパフィオペディラム)を作られた。そうしたら親父さんが何か言ったというので、穴を掘って皆埋めちゃったという。それからもう一つ、だれか未知の同好者が広瀬さんの家を訪ね、広瀬さんにお目にかかりたいと言ったら、今日は留守だとの返事。あなたが広瀬さんじゃないかと言ったら、ぼくが留守だと言うのだから、留守に間違いないと言われたほど変わっているということを聞いた。
加藤
私もその話を聞いたあとでビクビクして広瀬さんを訪ねたが、簡単に見せてくれてホッとしましたよ。
湯浅
気が向かなければ見せない。あるとき私は中身を捨てちゃった温室を売物にするというので買いに行った。ところが幅が狭くて使い道にならないのでやめた。庭は何か自然園で、ヘビがニョロ、ニョロしていた。
桜井
庭どころか、ヘビが広瀬さんの身体にまつわりついていた。
湯浅
家の中には床も畳もない。むしろのようなものを敷いた土間です。
加藤
目白のお宅の印象は廃園でした。何か奇妙な物が動いていた。細くてあざやかな緑の長いヘビがいましたがね。
桜井
世界で一番きれいなヘビだとかいう話でしたが…
小松崎
放し飼いですか。
加藤
やはり動物園式に何かできておりました。
北川(本社園芸辞典編集部)
そのころトカゲがずいぶんいて、入って行くとぞろぞろ出て来たというということですね。
加藤
その後に爬虫類は整理され、三井の下田の先に海洋研究所が作られて、そこへ皆譲渡され、それから植物専門になられたようです。
福羽
それからですか、横浜に行かれたのは…横浜に温室が大分あった。あの当時のネリネは私も拝見した。
加藤
一棟半ぐらい。サラセニヤもありましたね。
桜井
六間の長さの中が、全部ネリネで、いいのは特別の部屋の中に入れてあった。非常に印象に残っているのは、二尺五寸ぐらいの白い花のもの、これは広瀬さんもご自慢でした。戦争の時に皆いけておしまいになったということです。
福羽
あれをいけちやったのですか。
桜井
御苑でもお買いになったでしょう。
福羽
松崎君から整理するという話をきいたので、譲ってもらった。それが少し御苑に残っている。
桜井
お譲りになったのは、御苑と杉山(※不明、教えてください!)さん、それから林(※博太郎)伯爵、横浜の鈴木(※吉五郎)君。しかし一番よいのは出さなかった。
福羽
おしいことでしたね。
※桜井元氏は1981年、87歳のとき、この本の著者である細川氏にこんな話をしている。
「昔、有名な園芸家がいてね。南アフリカ原産の彼岸花科のネリネ、うん、ダイヤモンド・リリーともいうんだが、これを日本で改良してさまざまな色のネリネを作った。それはすばらしい見事なものだった。ところが長年苦労して作ったネリネを、その男は死ぬ前に全部穴を掘って埋めてしまったんだ。血の滲むような努力で改良した新種が、人の手に渡るのがいやだったんだろう」(『紫の花伝書』細川呉港2012)
※広瀬巨海氏と鈴木吉五郎氏(※春及園)の品種を受け継いた六角安文氏の改良種について(『農耕と園芸』1960年1月号)