カラムシ繊維の工業化の歴史 世界最強の自然繊維を軍事利用するための開発競争
『リーダーズダイジェスト日本版』昭和22(1947)年
※なぜ、ソ連をはじめとして、世界中でラミーの栽培が積極的に進められたのか。それは軍事物資として非常に有効な繊維であったから。アメリカでは刑務所の農場で栽培、加工されていた。。。などなど細かいところが非常に興味深い記事です。
驚異の草 ラミー
トロント スターウイクリーより要約
新しい機械によって永い歴史を持つこの繊維に無限の未来が開かれた
エドウィン J・ベッカー
過去数千年の間、人間は殆んどすべての種類の植物や紡績製品、即ち布、糸、綱及び敷物に好適な材料を知って来た。ところでこの驚異の繊維は絹のような光沢を有し、リンネルより肌ざわりが冷めたく且つ吸収性が強い。そして自然のままで純白であるから、漂白する必要がない。それは木綿と同じように洗濯が容易であるが、木綿にあるような短繊維(リント)がない。その上、年がたつと縮んだり伸びたり色があせたりすることがない。これは麻よりも丈夫で、強さはナイロンをも凌ぐものである。
※linter(リンター):ワタ(綿,Gossypium属)の種子の表皮細胞が伸びてできた種毛で,長い綿毛(lintリント)と短い地毛(fuzzファズ)があり,後者のうち,長さ約5 mm 以下の短繊維をリンターという.
それなら、なぜその繊維が一般に用いられてこなかったか?
そのわけはこの驚異の繊維ラミーは高価にすぎるからである。この繊維は肥沃な土地、温暖な気候、多雨という条件下に、六十五日間に六フィート伸びる多年生雑草の皮のすぐ下にできる。これを栽培するのは容易で金がかからない。しかしこの植物を収穫し、丈夫な皮を引き裂き、その繊維をかこむねばねばしたゴム質から分離するのには、常に骨の折れる人手作業を要してきたのである。インドや中国において、世界で一番安い労働力で生産するときでさえ、ラミーは費用がかかりすぎて特殊な用途を除いては、他の繊維と競争できなかった。それにもかかわらず、戦前中国は年に二万トンを生産していた。
数十年間の試みは空しかったが、今やラミーは新しい機械で収穫され且つ処理されるようになった。抜け目のないルイジアナの企業家たちは、今年七千エーカーのラミーを栽培している。フロリダでは、あの広大なエバーグレイズの湿地がラミーの栽培に屈強(※ママ)であることがわかり、数千エーカーのラミーが栽培されている。一会社は一九四七年にラミー繊維八十万ポンドが生産されると予想している。メキシコ州のアメリカ湾岸の農事試験所に、将来ラミーが千万エーカーもつくられ、且つ湾岸地帯で第一の作物になる可能性があると言っている。
ラミーを収穫し、皮をむき且つゴム質を除去するに成功した機械の発明家は、アイルランド系のカナダ人ギルバート・ブラートンである。彼は一九三九年の電撃空襲中ロンドンにいた。そしてある日恐ろしい圧力と酷使に耐える外観の妙な消火ホースに気づいた。ブラートンはこれを調べて、ラミーで織ってあることを知った。この繊維は実際のところ乾燥したときよりも濡れたときの方が丈夫なのである。同時に、彼はなぜこの驚異の物質がそれまであまり知られていなかったかを知った。そこで、彼はこの織維を安価に製造する機械を発明する決心をした。
彼は正に盲蛇に怖じずというところであった。彼は自分がまだ生まれない前に多くの発明家がラミーについて苦い経験をしていることを知らなかった。一八六九年にイギリス政府はラミーの皮むき機の作成に二万五千ポンドの賞金を提供した。しかしこの賞金を得た者はなかった。アメリカの特許局には、ラミーの機械に関する特許が千件以上にも登録されている。
ブラートンは世界中を旅行してこの草の生長及び収穫法を研究した。それから彼はニュー・オルレアンスの一機械工場で二年間機械を製作し、それをこわし、設計し直し、製作し直した。
最後に彼の機械は、ラミーを試験的に栽培している刑務所農場での試験に成功した。刈取兼脱皮機は、一寸穀物用収穫機(コンバイン)に似ている。その機械は自力で草の列に沿って動かされている間に、植物を刈り取り且つ脱皮する。そして中央工場で皮からゴム質を除く。
大戦中ラミーは帆、海軍用索具、消火ホース乃び落下傘用綱に理想的なことがわかった。抗張力は亜麻の四倍、大麻の三倍、そして木綿の八倍である。ラミー製衣服は一年前からもう市場に出ていた。ラミー製シャツ、夏服地、ズボン及び運動用シャツを市場にだそうという計画もある。他に計画中の用途は、寝具用敷布や裝飾用布から漁網にまで至っている。
エジプトの木乃伊(ミイラ)は白布で包まれていて、四千年も持ちこたえていたが、その布はラミーで織ってある。ある織物製造家は微笑しながら語った。
『ラミーについて困ることは品質の良過ぎることです。それで糸が少なくとも一本おきに擦り切れるように木綿を混ぜなければなりません』
(筆者名綴りは Edwin. J. Becker)