1954年、佐藤春吉氏の提言 生産者に望むこと 経営、生産、宣伝 (『花の栽培と経営』改定増補版 誠文堂新光社 から)
『花の栽培と経営』 1954年改定増補版 誠文堂新光社 1954(昭和29)年
市場から生産者への希望 上野 東京園芸市場 佐藤春吉
長い戦争による切花生産の空白は、一時、作りさえすれば売れるという好景気をもたらしはしたけれど、その結果生産意欲を旺盛にし、そして生産過剰による価格の低落を生じつつある。今やあらゆる産業界の直面しつつある問題にもひとしく、切花生産においても、経営の合埋化とコストの引き下げが、不可避の問題としてクローズアップされてきた。この際私が、生産者諸氏に望むこともまたこのことに他ならない。経営を合理化してコストを下げ、安くても引き合う良い品を豊富に生産して欲しいのである。
そのためには、最近の需要の傾向を知り、よくこれに合ったものを選ばねばならない。適地適作もまた大切で、よく環境を生かして、十分技術を発揮すると同時に、各地の生産状況にも目を向け、これ等を参考としつつ、よりよき技術の改善へと努力して戴きたい。さらに、将来のことを考え、今日より直ちに、切花の消費宣伝にも力を注いで貰いたい。以上のことについて私の日頃考えていることがらを具体的に延べてみよう。
最近の切花の需要の傾向
戦前は華道展などがあると、庭木のような豪勢で型に入った、いわゆる流儀花が盛んに用いられた。ところが、最近は前衛芸術(彫刻や絵画)とか前衛活花と呼ばれるものに刺戟されて、各流派とも、投入れ、盛り花などはほとんど同じタイプになり、花やツルモノの持つ曲線美をひじょうに尊重するようになってきた。従って、今まであまり見向きもされなかった綴化(せっか)系統のものが人気を呼んだり、線の細いツル物(アカズル、サンキリバラ)やコウゾ、ミツマタ等の皮をはいだものなど、想像もされなかった物が高値に取り引きされている。とうぜん、ふつうの花物もこの線にそった物が喜ばれるようになった。これは活花界の飛躍とも考えられ、従って、切花の需要も種類が豊富になり、洗練されてきている。生産者としてはこの傾向をよくキャッチして、これ等好みにふさわしい物を選んでとり入れることが、最も大切なことと思う。
また、戦前洋花は特権階級の独専物のように考えられていたが、戦後はこれ等が前記生花の傾向とともに、家庭やオフィスの中に浸透してきた。戦前の日曜日は花の売れない日に決っていた。ところが最近は土曜、日曜が最も活気を呈する、これは月曜日の出勤時に、オフィスや部屋の花がとり替えられるためと思うが、東京では戦後間もなくこの傾向が現われ、最近大阪にこの傾向が見られるが、神戸、京都などには未だ判然としていない。しかし、やがて地方の小都市にも現われる現象と思われる。
衣服の流行色が花の好みに影響する
大都市ではオフィスの照明はほとんど蛍光灯に変ってきた。そのため、花色もこの光線の下で美しく見えるものが好まれる訳で、今まで需要の少なかった中間色系統の売れゆきがよくなっていることは注目に値する。
花の色もまた衣類の流行色に支配されつつある。花道の大家がこの色を先端的に好んで用いるので、とうぜんその色の需要が多くなる。いち早くこの傾向を察知して、種類や品種、花色の比率を決めるなど、ふだんの努力と注意が大切である。
生産原価をひき下るために
花卉栽培は専業化すること
副業的な栽培ではどうしても本格的な施設を作ることができず、種類や品種などの選択、栽培管理などの技術的な研究も不十分となる。適地適作を行って前後作を工夫し、温室やフレームの回転を多くして、コストをひき下げ、その上品質はよく保ちたい。そのためにはどうしても専業でなければ、十分な成績をあげることは困難と思う。過去において名ををあげた栽培者の多くは專業者であり、今日の花作りは誰それの何と言われて、市場で定評をうるようなものを作らなければ、成功とは言えない。
副業の場合は作付けの品種を単一にすること
もし副業として花卉栽培を始められるならば、作付けの品種を単一にして欲しい。恰かも植物の見本園のように、多種類のものを栽培したり、去年はグラジオラスが相場がよかったから、今年はグラをとか、或はスイート・ピーをと、一攫千金を夢みて、あれこれつっつき回すのもよくない。品種を単一にすれば、揃った良質のものを生産することも比較的簡単で、菅理も楽で、結局コストを切り下げることができる。
適地適作を行うこと
これは今さら改めて言うまでもなく、すべての農作物に言えることであるが、とくに花卉栽培においては、品質の良否が価格を大きく左右するので、その土地に適したものでなければ、労多くして収入も少なく、馬鹿をみる結果となる。このことは別な言い方をすれば「好きな花を作れ」と言うことにもなる。“好きこそ物の上手なれ”言い古された言葉であるが、好きであればいきおい管理にも熱が入り、よい結果となり、値もよく取り引きされて、ますます好きになる。また、かりに失敗しても、好きなものを作ったのであれば、締めもつくと言うもの。自分の畑に合ったものを作れば、当然よい品が生産され、従って、値もよく儲かって、結局その花が好きになるとも考えられる。
品質によって上・中・下などを厳選し、これを判然すること
毎日連続出荷して名が通ってくると、品質を厳重に選別しなければならない。あの人はなるほど良い物を作るが、アンコ (廻りだけ品質のよいものを束ね、中に品質の悪いものを入れること)が入っている等と言われ出したら、切角の苦心も水の泡である。とくに花を紙で包む場合は、よく気をつけて上物だけを紙にくるみ、中、下物は包まないこと、一輪だけの場合なら、完全なものだけ包んで、不完全なものは包まないことである。
切り前を誤らないこと
花によりて、或は季節や使用途或は地方や市場によって、それぞれ適当な切り前があるもので、その花の真価を十分発揮するため、切り前を誤っててはならない。これが大きく相場を左右するから、よく研究して、それぞれ適切な時期に適当な状態で切花するようにしたい。
送り荷は荷造りを完全にすること
カヤ(※イナワラではなく太く固いススキやヨシで、炭俵などを包む材料)の夕ワラで荷造りしたのでは花の傷むものもあるので、こんな場合には箱入れ荷造りが必要で、とくに遠隔地へ送るには絶対に必要になってくる。また季節的にも夏ならスカシ箱、冬ならスカシでない木箱に入れる。今冬伊豆方面から出荷されたカーネーションが凍っていた例をみたが、温室物では比較的注意もゆきとどき、こんなこともないけれど、暖地の露地物にはありがちのことなので、注意されたい。
出荷する市場は二つか三つに止めて欲しい
地理的或は経済的関係どから考慮して、この市場ならと決定したら、あまりあちこち市場を変えないことである。一つか二つ、多くとも三つ以上にならないよう、好む市場に連続して出荷するようにし、市場で買手から、何処そこの何々は出ないか、と言われるようにならねば成功とは言えない。
生産地の新しい傾向
最近各地の切花栽培熱はひじょうに旺盛で、施設の拡充、技術の改善に、あらゆる努力が行われており、これが交通機関やその他の産業の進歩と相まって、じょじょにではあるが、大きく変転しつつある。現在の特産地といえども、日頃の努力と研究を怠ったならば、数年たらずして、新産地の後塵を拝する結果となるであろう。咋今目覚しい変化を示しつつある二、三の産地を紹介して、御参考に供しよう。
房州 今まで駄物ばかり作っているように考えられていたが、最近フレームや無加温温室の建設が盛んで、洋花の生産が急激に上昇してきた。これに技術の向上が加われば、都市近郊の温室業者も、大きな影響をうけるものと思われる。
埼玉県の大里村(現・熊谷市の一部) ここでの暮出しチューリップの大量生産が、全国的なチューリップ切花の相場を狂わせたほどで、この地の冷蔵処理は完全に近く、計画生産が行える段階にまできている。即ち、アイリスは一五日間で切り終り、チューリップ等も一五~二〇日間で切り終る予定で、後作に何を入れるかはっきり計画がたてられるという。
八丈島 定期航空の開設によって、球根生産だけでなく、全面的に切花栽培にのり出しているので、都近郊の作り屋が大きい影響をこうむるであろう。
清水市外の三保 ここではトマト、キュウリばかり作っていた温室が、花作りに転向する傾向にあり、また作間に花を入れてゆきつつあるので、一、二年たらずで一大切花生産地となるであろう。
伊豆の下河津地区 峰榲泉の大矢好治氏を中心とする下河津地区には、露地バラにビニールを覆って、年末には温室バラに劣らない良品を出荷している。これは丈が高く、温室物が一、三〇〇円のとき一、五〇〇円くらいで取引きされている。クリスマスには色が出ないので値も出ず、成功していないが、正月のマツの根〆などに用いるものとしては高値を呼んでいる。近郊温室バラの作り屋にとっては一大脅威であろう。また、同地区では露地カーネーションにビニールの簡易温室を使い始めているので、コーラルやピーターだけを作っている温室屋にはこれまた強敵である。
各産地への希望
信州高冷地帯
この地帯全体として、夏の花を多品種にして欲しい。今年はバラがとり入れられようとしているが、誠に喜ばしい。しかし、バラは栽培が難しいので、ちょっと簡単にはおすすめできない。高冷地帯は高級品にのみ力を入れ過ぎている。一ぱんの雑花と言われるコギクやアスター等も、大量に生産して欲しい。駄花は量が多くなると、価格も急激に安くなり、運賃割れすることが多いので、なかなか進歩せず、ここ二、三年来アスター、コギクが少ない。去年あたり、ケイトウがよく売れたのも、活花の嗜好がそうさせたのではあるが、駄花の中にも面白いもののあることを証明している。
花木類や枝物なども、山間地や畦畔地を利用して栽培し、一年中出荷するための材料にして欲しい。もし、花を五畝よけいに栽培したら、畑の普通作物を一反歩滅らせて、その余地に花を植えることをおすすめする。耕地が増えたので花を植えるというのは禁物である。
暖地園芸地帯
この地帯には最近フレームや温室が急激に増えつつある。しかし、土地の気候が温暖で、防寒設備が完備していないために開花も遅れるし、今年みたいに寒さが急にやってくると、大打撃をこうむる結果となるので、防寒設備を忘れてはならない。
また、暖地だからといって暖房設備をもたないものが多いが、これは考え違いで、暖房して経費が多くかかっても、良質の花を回数多く作れば、結局収支つぐなうのであるから、暖房することにより、良い花が短期間に切れ、作付けの回転も多くなり、結局コストを引き下げることができる。
近郊促成栽培者
球根の早期促成は温度処理の完全に行われた、良い原球でなくては、十分な成績をあげることが難しい。従って、まず良球を入手すること、次に温度処理を完全にすることで、チューリップでは良い場合は八〇~一〇〇%の開花が望めるが、悪い場合は二〇%くらいしか切花できない。埼玉県の大里冷蔵株式会社の冷蔵は完全に近いものと思う。
花の消費宣伝を考えよう
今までも既に季節によっては生産過剰を呈している。昨年は思いがけない冷、風水害で品不足となり、高値を示したが、今年は普通農産物価格の低落と、生活水準の同上から、花卉栽培者も著しく増えていると思われるので、一ぱん消費が増したとしても、十一月頃には生産過剰必致と心配されている。
他の産業が新聞にラジオに、朝な夕な激しい宣伝線戦を展開しているとき、ひとり花卉園芸界だけが安閑としていてよいものであろうか。一部識者の間では、折にふれ時に応じて消費宣伝の必要性を力説しているが、いまだ一ぱん生産者、小売業者の間には、利己的な立場から或は無関心から、耳をかそうとする者が少ないのは甚だ残念である。今のうちにこの消費宣伝に心がけなければ、近き将来必ずや相場の低落に泣く時がくるであろう。生産者、小売業者に宣伝意欲旺盛となれば、市場側またその仲介の労をおしむものではない。
次に、二、三の具体案について、私の考えを述べてみよう。現在東京、千葉、神奈川、埼玉の一都三県が共同で、南関東花卉恊進会を毎年行っているが、生産意欲の向上と、技術の改善には効果があっても、ただ花を並べるだけでは意義が少ないように思う。切角多額の費用を費やすのであるから、無料で花をサービスするとか、何かショウをやるとか、大衆にアッピールする宣伝方法をも併せ考えるべきであろう。
マザースデーにしても、欧米では生花のカーネーシーン消費の一方法として考えられたように聞いているが、日本では一本一〇円の造花が巾をきかせて、切角の企画も生花の消費宣伝にはわずかな効果しか発揮していない。マザースデーにはカーネーションを無料で配布するくらいの考えが必要で、こうして生活の中に入った花は、じょじょにではあるが、引き続いて花を求める消費の増加となって現われるのである。小売商は無料配布は消費を少なくすると嫌うけれど、これは目先だけしか分らない浅薄な考え方で、長い目で見れば決してマイナスになるものではない。ただの花と、買った花の良さや愛着もまた異なるのである。もしまた、無料配布ができないとすれば、この日に限り一本一〇円以下でサービスして、造花を駆逐してみては何うだろうか。市場も生産者も小売業者も、この日一日をサービスデーと考えて、この一〇円に協力したいものである。
デパートや化粧品会社などと提携して、それ等の宣伝に安く花輪や花自動車を提供するのも、問接的ではあるがよい方法と思う。
戦時中は紀元節をウメの日として、この日はウメの切花が大量に消費された。明治節のキクも同様であった。四月八日のお釈迦様の花祭りなどは、今少し上手に利用できると思う。経営を合理化して生産コストを切り下げると同時に、新聞に雑誌にラジオやテレビ(※前年に放送が始まったばかり)に働きかけて、消費宣伝に力を尽さなければ、生産過剰による相場の下落はまぬがれないいであろう。
(上野、東京園芸市鳩社長)(文責植村)