昭和14年のファレノプシスのいいところとその欠点 「洋蘭ファレノプレスの作り方」 山草栽培の名人 鈴木吉五郎氏
『実際園芸』第25巻5号 昭和14(1939)年5月号
栽培の困難とされている 洋蘭ファレノプレスの作り方
春及園(※横浜市)
鈴木吉五郎(※きちごろう)
※すずき・きちごろう 1898~1988
(『横浜』 神奈川新聞社 2022年春号 第76号「山野草の“神様” 鈴木吉五郎」斎藤多喜夫 に経歴が詳しく記されている。昭和63年1月24日、脳溢血のため亡くなられたという。享年89歳だった。雑誌「らん」12号、昭和63年4月発行に追悼記事あり)
最近洋蘭の普及は素張らしい勢で、趣味として小温室にも洋蘭を見ないところはないが、一方切花が一般から歓迎されるようになって、高級切花の王者として年と共に多数に消化されるようになって来たが、その主なるものはカトレア、デンドロビューム、シンビヂューム、シプリペヂューム、ジゴペタラム、カランセ及びここに述べる、ファレノプシスである。ところがファレノプシスは非常に作り難いと云うので、花が上品で美しいにも拘らず割合に営利的に作る人が少いのではないかと思われる。然し切花が非常に高価に取引されるのを見ると、営利栽培も栽培上の工夫次第で出来るのではないか、有望な洋蘭として見逃すことの出来ない一つであると思う。私は山草類と熱帯魚を主として、取扱っているが、洋蘭も既に十数年来手がけ胡蝶蘭は大震災の年より下手の横好きの体験を御依頼により一通り述べて見度いと思う。
趣味栽培にも営利的にも向く品種は何か
現在一般に作られているものはアフロダイト(台湾産胡蝶蘭)、アマビリス(ジャバ附近産)及びシレリアナ(ヒリッピン産)であって、その他リンデニー、エスメラルダ、ビオラセア、等も数えられるが、之等は一般的なものとは云い難いようで、先ずファレノプシスを作るならば前記三種が一番適当であると思う。
台湾産の胡蝶蘭は早いものは十二月に開花し、それから順次四月頃迄で咲くが之れを内地(※この時代、台湾は日本領であった)に移入して二、三年すると次第に作が落ちて来て花着が悪くなったり、株の勢力が衰えたりするのが普通であるが、これは何に原因するか未だ判然としないが、ホンノ紙一重位の培養上の欠点があるのだと私は考へている。古根を切って更新するのもよいようであるが、此の点大いに愛蘭家各位の御研究を願い度いと思う。此の方法は風蘭銘品の更新として相当古く利用されている方法である。
シレリアナとかアマビリスは趣味としても営利的にも台湾の胡蝶蘭よりは余程優れていると私は思っている。シレリアナは花期は暮から正月頃で、一斉に花が咲く特長がある。此の種は一度花の咲いた花茎は花が済むと枯れ込むが、アマビリスと台湾胡蝶蘭は花茎が枯れずに残っていて、翌年その節から新芽を出してまた開花するものであるから花の咲いた先だけ切り取り下の方は残して置くようにする。
アマビリスは四季咲と云ってよい位に次々と咲き、而も最も作り易いものである。現在私の最良のものは七枚の葉を持ち、五年になるが殆ど周年花を開き且つ咲き放題にして居る。木に付けてある傷みし見る影もなきものより仕立たものである。 之等のファレノプシスは切花として出すには暮が一番よいが一月までに咲く様にせねばならぬ。大体平均一輪二十銭位である。特に最近紅花のシレリアナが喜ばれている。山採り二作して成績のよいものは一花茎に三十輪以上も咲くので、此の相場で計算すると一回の切花で当地持込の株代を楽に回収出来る有利さである。切花を切るには全部の花が開いた時に切るのであるから、その間元の方から、次々と咲いて行く花を十分楽しめるのも、ファレノプシスのみの持に良さであると思う。此れから考えても趣味栽培には是非二株なり三株を作って見られるのは決して無駄ではないと思うのである。各品種についての詳しい説明は、本誌第二十四巻第十号(昭和十三年十月号、洋蘭特集号)に後藤兼吉氏(※新宿御苑から大山崎山荘、加賀正太郎家で活躍)が述べられているので、此処では省略して置く。
ファレノプシスの特長と欠点
他の多くの洋蘭にご比較して、ファレノプシスはどんな点が優れているかと云うと、花期が斉一であり価格が比較的安価であること、実生から開(※花)迄の期間が短いこと(足掛四年位)開花時期が花の需要の多い暮から正月、二月にかけてである点等を数えることが出来る。
反対に欠点とされるのは病害に侵され易いのと、早く開花せしむるには相当高温を要することで、ファレノプシスを作るには此の二点を充分考慮して取りかからないと思わぬ失敗を招く原因となるのである。ファレノプシスが一般に作りにくいと云われるのは、要するに此の欠点を知らずに手がけるからであると思われる。
温度と肥料の施し方
温度は相当高い方がよく、冬期華氏六十五度を保てる温室でないと立派なものを作ることが出来ない。日射は朝陽に二、三十分、夕陽に二、三十分当てる程度にして、他の強光線は必ず葦簀で遮ってやるようにする。尤も曇天の弱い光線であれば硝子越しに当てても差支ない。
肥料は一般にはあまり施されないように聞いているが、私は乱暴だと思われる位によく施肥するが、それが非常に効果があると考えている。台湾に於ける栽培を見ると、我々が想像する以上の施肥を行っているようで、その為か台湾で作られている台湾産のものは勿論シレリアナの如きも何れも素晴らしい生育をし一株数百輪の開花するものさえあり、根の上に相当の施肥をした跡が明らかに残っている。これから見てもファレノプシスには過多とならない程度に相当多く肥料を施すのがよいと考え、私はそれを実行している。肥料の種類としては特別なものが必要ない。私は硝石とか燐酸加里等の化学肥料も施しているが、その希釈量は一万分の二乃至五くらいのものとする。その他油粕の腐熟液の極く薄いものも交互に施しているが、だいたい一週間に一回の割合で頭から水代りに掛けて居る。下肥の極く薄いものも事実やって居るが別に害を認めて居ない。
植付の要領
輸入或は移入の山採りしたものは、それを室の湯気の多い場所に、新聞紙を敷き、その上に株を置き上から更に新聞紙を覆って、十分湯気を与えて水を戻して元気恢復の兆を見てから植込むようにするがよい。
持込の株の植替えは花が済んだら軽い休眠に導き、それが済んで新しい根が動き始めようとする前に行うようにする。然しファレノプシスはあまり植替をせぬ方がよいようである。
鉢へ植付る場合は、底に粗い鉢の破片を沢山に入れ、中央にオスマンダかヘゴを切ったものを立てて、その上に株を据えて根を四方に跨らして、水苔で覆うようにして植えるのである。丁度日本の風蘭を植える要領である。鉢は株の大きさにも依るが、四寸乃至五、六寸位のものが適当で、大体葉の大きさにより調和よき鉢の大きさを決めるようにする。葉は直きに大きくなるものであるから、どちらかと云えば大きい鉢で作る方がよいようである。
鉢植の要領は以上の様であるが、私の経験では鉢植よりも木とかヘゴ付として硝子近くに吊して作る方が成績がよいようである。何故かと云うと吊して作ると恐ろしい害虫が着きにくいし潅水しても乾きが早いので鉢植に勝るのである。木にしてもヘゴにしてもなるべく堅いものがよい。之等に着けるには、その中央より稍(やや)上に棕梠繩で縛り付ければよい。また根と木やヘゴの間に水苔を少し入れて縛って置くと、ひどい乾燥を防ぐ事が出来て好都合である。付けてから根が伸び始めてシッカリ着いたら繩は取り去っても落ちる様なことがない。木は灌水やその他の関係で腐り易いから、必ず質の堅い腐りの遅いものを選ぶのがよく、私は棕梠の乾して焼いたもの等がよいと考えているが、未だ実行していない。ジャバでは素焼の直径二寸位の円筒の水瓶(みずがめ)を作り、それに付けて筒の中へは水と肥料を下部に少々入れて置き、それが乾くとまた入れるというような方法が行われ非常によい成績を挙げているが、私はそのまま試みているが、内地では思わしい成績が得られない。先づ堅い木かヘゴ付にして吊して作るのが、一番よいと思われる。
潅水の程度と栽培室の条件
潅水は乾く程度に依って加減しなければならないことは、他の蘭と変わりがないが。よく乾くような場合には一日二回位潅水するのがよい。室が閉め切ってあり、乾かない時に葉の根元が湿っていると炭疽病の危険があるから注意しなければならない。丁度今頃であると晴天の日には朝一回十分にやり、夜温度を上げる前に少しく潅水してやる。夜温度を昇げるとは変に聞ゆるが相当上げて置かねば私の室では朝まで温度が保たぬのである。常に潅水の量は直きに乾く程度として置くのが安全であるが、根元さえ乾いていれば他は何時もヂクヂク濡れていても大して差支なく立派に出来るものである。
ファレノプシスを営利的に作る室の条件としては、相当多湿高温にしなければならないから棚下に砂利を敷き、其処に十分水を撒いて、空気湿度を高くする必要があるが、加温して居らぬ時は換気に十分注意しなければならない。なぜかと云うと空気湿度が高いのに換気が不十分であると炭疽病に侵され易いからである。またパイプからの放熱または温められた乾いた空気が直かに花茎に当たるとその部分の蕾は落ちて仕舞うものであるから、花茎が伸びて来たらその点に十分注意しなければならない。
なお、花が済んでからは潅水を控えて稍(やや)乾き目に保ち軽い休眠をあたえるようにするのがよい。然しあまり乾すと葉が落ち易いから注意を要する。葉を一枚減してもその分の取り戻しは容易でないから常に葉は大切にして綺麗に保つようにするのがよい。
夏室(へや)を蒸すと葉が伸びると云うが、心持日を強くして空気の流通をよくして、葉を丸形に作るようにすると丈夫になって作りよい。葉に斑点の出来たものは殆ど恢復の見込がないから、最初から斑点を出さぬ様に努力することである。
害虫の駆除の仕方
ファレノプシスの害虫としては介殻虫、スリップ、象鼻虫(ぞうびちゅう)がある。介殻虫、スリップはエキスオールの三十倍前後の液か硫酸ニコチンの五、六百倍液を撒布すれば小さい間なら相当に効果がある。葉裏に多いから注意して十分撒布することである。介殻虫の大きくなったものは一々丁寧に捕殺するより良法がないようである。
象鼻虫は(※ランの)野生種を輸入した場合にその何割かに必ず着いているものと思って差支ないから、十分注意して駆除しなければならない。此の害虫には薬剤の撒布も燻蒸も効果がないから、朝とか晩とか、或は時間を割いて葉の着根とか根元を丁寧に見て廻り捕殺するより仕方がない。一度此の虫の被害を受けたものは必ずまた次の葉も喰われるものと思って差支ない。此の虫は蘭類の切口から出る液汁を好むものであるから、デンドロビュームの茎とか紅蘭等を切って鉢の附近に並べて置くと、此処に集って来るから毎夜注意してそれを捕殺するのも効果がある。デンドロピュームとかシンビヂュームにもよく着くものであるから、此の方法で駆除されることをおすすめして置く。
実生の仕方
ファレノプシスは非常に種子の生命が短いものであるから、完熟と同時に播くようにするのがよい。播くのは簡単で親株のついているヘゴに種子を吹きつけて置けばよいが出ても大抵小虫に喰われる。大体実生から四年目で開花する。また現在の無菌発芽法による方が安全である。何によらず実生はむやみに交配しても立派なものを作り出すことが出来ないから、各々の特徴を生かす工夫の下に交配することである。即ち花が大きいが着花部が徒長しすぎるからこれに花着の非常によいアマビリスを交配するとか、或は四季咲性をシレリアナに求むるとか更に之に大輪の花型のよいものを目標にして親を選び交配すると云うようにしなければならない。実生苗の管理の仕方は特別むつかしいことはなく、他の蘭と同様であるが、高温と日射の弱いのがよい。
参考
『ガーデンライフ』1972年6月号