昭和14年(1939)、ガソリン統制がいよいよトラック輸送の物流に暗い影を落とし始めた

『実際園芸』昭和14年(1939)11月号
第25巻第11号

信州の菊が都内近郊のキク産地を圧迫しつつある。
キク類は汽車で運ばれている。

一方、ガソリンを使うバスの運行では
早くも便数が減らされている。
トラック輸送も必要な物資以外の運転を
停止し始めている。
これにより、
東京の住民が食べてきた野菜の供給が減り、
近郊の野菜農家への要求がにわかに大きくなってきた。

※神奈川県のカーネーション産地では昭和の初めは個人出荷だったものを、河原口(海老名市)に集荷し、共同出荷体制が進められ、昭和14年頃には自動車便が主流になっていたが、「昭和15年以降、不用不急物資の自動車便は許されなくなり、市場での取引も混乱して、再び汽車利用いよる個人輸送に頼らざるを得なくなった。」(『神奈川のカーネーション』1982 p5)

 

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