型は真の創作活動への跳躍板となる  ヘリゲル夫人の見た日本文化に通底する根源的な思想について

『華道と日本精神(初版は1957年にドイツで出版され日本語訳された際は「生花の道」1961というタイトルだった)』1972年の再版から

Der Blumenweg - Eine Einführung in den Geist der japanischen Kunst

Herrigel, Gusty L.:1957

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◎心構えについて、型にはまることが創作の跳躍板になる

(前略)

 私どもヨーロッパ人が、生花の第一時間を、元気溌溂とした、障害をものともせぬ制作欲や自信にみちた自我感をもって、待ち望んでいるということは、殆んど申すまでもないことでしょう。このような心構えは、手先の器用さや芸術的な趣味とならんで、特に生花に必要な付帯条件とさえ考えられないものでしょうか。ところが事実は全く反対で、このような考えをもっている初心者は、第一時間目にもはやある種の戸惑いにつき当るのです。その人は、こういう仕方では決して、この芸術を始めるに当って緊密な心の触れ合いや内面的関係が得られないということに気づくでしょう。もし初心の弟子がこの芸術の根底にまで透徹したいと思うのであれば、彼は、自分をこの芸術に誘い込んだ動機が、たんに芸術的な、美的要素にあるのか、あるいはまた、この芸術のもつ万有を包むもの、全体的なものを体得したいという欲求にあるのかどうかということを、決断する必要に迫られるでしょう。後の場合ですと、彼はいつもくり返し、自分は小児のようになって始めねばならないこと、どんな種類のものにせよ功名心は一切妨げになるものであり、自分の個人的な特質を現わそうとする望みはすべて、先ず第一に彼の眼を開くための邪魔になるということを認めねばなりません。彼はまったく倭小となりへり下って、自分の自我というものを度外視せねばなりません。こうして始めて、東洋の精神態度が要求しているように、静かに、無我となって働くことができるのです。先ず第一に、稽古の重点はすべて、この準備的な心構えにおかれているように思われます。というのは私どもが初心者として何を始めようとも、まさにこの、最初であり最後である前提条件を欠いているならば、師匠の目にはやはり本末転倒としか見えないからであります。師匠は、不安やせっかちやあせりが、自分の生活や環境の中に浪費を持ちこむにすぎないことを、自分自身や他の人々の実例で見てこられたのです。草木が風やあらしや不法な行為にあったとき、頭を下げてゆれ動きながら、いつも力を抜いて逆らわず、どんなことでも落ちついて自分の上に起らせていき、こうして自分が損われずにいる有様を、師匠は耳をすまして聞きとられたのであります。

 さきに申しましたように、私どもが、外に現わす手ぎわそのものは、内面的な心構えに比べると、やっと第二線にあるものにすぎません。弟子が必要な自己修養への勇気を振いおこし、この修練を自分の芸術的能力と歩調を合わせるに従って、彼はたんに芸術家としてぽかりでなく、人間としても、自分の手ぎわに対してある特殊の関係を見出すのであります。すなわち彼の作品は、心の内なる調和から出た、静かな、迷うところのない創作となるのです。はじめのうちは西洋人には、自由に造形するためには何故に先ず型にはまらねばならないかが理解しがたいのです。しかしだんだんと、このように型にはまることこそ本当の創作活動への跳躍板でありうることを、うすうす感じ始めるのです。もしかするとその体験をさえ持ち始めるのです。このことは次の一例で説明することができましょう。すなわち、水泳ぎする人は、水遊びしながらその技術を自分のものとしたときに、始めて自分を水に浮ばせることができるのです。

 開眼された弟子はしかし、師匠の芸術やその人となりを単に模倣することで決して満足するものではありません。いろいろな識見とか、ここで眼目となっている生成発展とかいうものは、決して機械的に模倣されるものでもまた追随されるものでもありません。というのは、最初にはただたんに”外面的な形式”と思われた型が、生花の心得が生活自身の中に喰い込んでくると直ぐに、生花の内面的な形式となるからであります。

 始(はじめ)には模索され、不明と思われた一切のことが、次第に成熟していく弟子の心に、開眼の蕾が開き始めると、忽ち自明なものとなります。数数の生花の心得すら日常生活のうちに実現されて、その日のもたらすいろいろな要求に、弟子は自ら進んで順応することになるのです。ですから、自分自身の本質を形成し、これと出合うことは、花のように”優にやさしい”(*上品でやさしい)この芸術の中で完成される造形と、手をとりあって進んでいくものだということが明らかになるでしょう。技術はそのさいには決してさ程むつかしいものでもまた決定的なものでもありません。弟子が堪えて行かねばならぬ数多くの修練を通じて芸の仕上げはひとりでにやってきます。束縛を離れて自由ではありますが、緊張にみちたこういう心構えは、しかし、小児の夢見るような無心の遊びや信者の祈る心、さてはまた芸術家の直覚的な幻像(ヴィジョン)にもなぞらえることができるのです。

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基本法規  ◎時間を掛けて極めていく精神的態度、環境世界との調和と全体性


 日常の生活をはじめ、そのほかすべてのことを包括し、一生涯続く修練と、義務にまでなった研鑽とを、辛抱強く継続することは、恐らく難中の難事でありましょう。というのは、花を生けるありきたりの伝統的な形式を、いわば暗記するとか、または機械的に真似るとかであったら、ごく短かい時間で習得できるでしょう。しかし花を生けることを真剣に考える人は誰でも、生花芸術は、年季をかけてゆっくりあらわれる心の内の変化と成熱とを呼びおこすものであり、またこれを前提としているということを、経験するのです。というのはこういう精神的な態度をとって始めて、私どもは”花の道”を歩むことになるからです。そのほかのことはみな、この前提となる要請とつながりをもっているのです。恐らくこういう心構えは、いたって単純素朴なものと考えられましょう。したがってそれはとかく見のがされ勝ちのものであります。恐らく人々はまた、生花の所作事について漠然とした考えを抱き、やがて習得して熟達したいと願っているいろいろな技術上の小細工に――その他の心構えなんかはひとりでに出来てくるときめこんで――全注意力をさしむけることでしょう。とほうもない間違いです! 誰でも手先が器用で、造形に必要な興味をもっている人は、外面的にはいとも安々と技術に上達することができるでしょう。しかし私どもが奥へ進んでいけばいく程、この中心的な教えを真剣に考えるということが、どれ程大切なことであり、またこの”単純素朴”な要請に非常な忍耐心をもって従わない限り、私どもは決して、全体的なものを表わす作品を作ることができないということが分ってくるでしょう。目立たない、小さなことから始めるということ、何ひとつ自明なものはなく、なま半可なところがなくなって、全体が自分のものとなるまで修業をつまねばならないということが、東洋精神の特色であります。その第一歩が一番むつかしいのです。そこで駄目な人はどこまでもそのままになっていて進歩いたしません。ですから全く単純率直に始めるより外に仕方がないのです。生花は決して技術に熟達するための修練でも、指先の練習でもありません。それは本質経験なのです。技術的なことはその中の一項目として組み入れられますが、過大評価してはなりません。心の練磨、身心と環境世界との調和のとれた全体性こそが決定的なものです。師匠がそこにおられるということが、”花の道”の本質を理解して、正しくこの道を歩むに必要な ”まことの”、調和のとれた態度を、弟子がいつもくり返し見出すことを容易にしてくれるのです。


◎いけばなのバイオフィリア的*な性質について *人間が備えている他の生物への関心、愛情

 この際天・地・人の三つの意味は、たんに植物をとり扱う場合だけでなく、人間同志や、動物の世界に対する関係についても、大切なことです。弟子は一切の生物に対しても、それぞれの種類に応じて正鵠を失しないように努めるのですが、彼は直覚的にこの態度をみつけます。というのは、師匠の模範的な生け方ばかりでなく、ただ単に師匠がそこにいるということと、その師匠の態度とが、弟子を信服させ、彼に道しるべを与える効果をもっているからであります。”三原理”の思想は、花を生ける人々からこのように理解され、またその挿花を見る人々からも同様に理解されて、いつも新しくまのあたりに現前するのです。三枝(さんし)という象徴的な言葉は、”天””人””地”の中にその表現を見出したのであります。この言葉はたんに外側から私どもに話しかけるものではありません。その本質核心においては、形式と内容、実と空との永遠の律動が躍動しているのです。眺める人――”人”自身はいつも中心になります――は恐らくこの円環の中に永遠の反照を感じとることでしょう。こういう経験によって豊かにされ、弟子は修練に必要な持久耐忍の心を自身に振いおこすことができます。彼は”自己自身”を度外視することが、偉大な解放と落ちつきの状態に、”心底からの精神集中”に、”静けさそのもの”に導くものであることを認識したのです。彼はこの態度の効果を確信し、それを修練の時間を超えて、日常のごく些細な処置や表現の中にまで持ち込みます。彼は、全体性の象徴としての三の原理を、生花の中に具象化しているあの中心点に基いて生きているのです。すなわち”人”(草)は”天”(真)と”地”(行)との間の中間の地位にあるのです。

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◎草木の間の空間は、には意味がある

(前略)

 以上で明かなようにこの十徳の意味は、最初の一瞥でそう見えるように他愛もないものでは決してありません。むしろこれを正しく理解すると、精神の厳格な規律を表わしているのです。そしてこの規律を通り抜けてきた人こそ、その働きが、いたずらにあくせく働くことから遠く離れて、幽玄な静溢とひとつである万有の根源動態のうちにその根拠をもつという深い意味で。働くのです。

 このことと関連して、”自らを空しうすること”つまらない妨げになる考えを捨てて”心身の協和”を保つこと、”万有の心”を容れる余地をもつこと、野の花のように思い煩うことなく”無にしてかつ一切で” あることが要求されています。

 このような経験は、日本にあるすべての芸術の中に表現されております。ですから生花においては生けられた草木の間の空虚な場所も構成の一部分であると見られねばなりません。空の場所は全体のつながりの中で三原理の線と全く同様に意味深いものであります。空白もまた口に出していい得ないもの、表現されえないもの、言葉のない沈黙に似ています。それは非均斉の調和の中で、律動的な関係にくみ入れられて特別に”言葉を語るもの”となり、明白な表現に到達するのです。この意味深重な沈黙の表現を仲立ちするものは、また茶室の中で、全く目立たないながら、しかしそれゆえにこそよりによって選ばれた、花や木であります。これは茶室では大変重要な位置を占めるものですが、しかしただあるかないかの色とあっさりした姿をして控え目にかたわらに待しているだけのものです――あたかもその花や木が音もなく静かに安らいでいる沈黙を通して、そこに催された茶の湯の意義をひき立たせようとしているかのように。

 空白の広がりの中ですべてが凝縮し浮彫りにされて、はっきりした形をとってきます。いわば、すべてがこの無限定の中で、創造的根源の造形力の中に自分を映すのです。それで三原理の非均斉の線形態も、それが現実の生きた部屋の静けさのなかに目に見えるように解き放たれることによって、私どもにきわめて親しいものとなることができます。空白と形態とのこのような結合の中で、作品はその局限と拘束とを抜け出ます。それは自由な新創作のように、まさしくこの絶えまのない空白の造形力によって新しい生命を得るのです。

 また墨絵においても余白はまさしく積極的な、重要な表現手段として、不可欠のもののように構図の中にとり入れられています。墨絵の中で、大気や霧や霞、それからほんのちょっとほのめかされただけの水面が、何と広い場面を占めていることか。東洋の諺に、”一筆の絵は千言に勝る” というのがあります。

 能狂言や歌舞伎座で上演される時代ものの芝居では、肝心かなめの一番意味深い場面は、俳優が科白を一言も喋らずに、ごくわずかなしかし極めて精魂のこもった身振りや手振りで一切を無言のまま腹芸で表現せねばならないことになっています。

 また弓を射る場合には。的は射手にとって”空無”を意味します。的に向う矢の道は、緊張なき極度の緊張です。空であることは、全-一であることと等しいのです。

 ごくわずかの言葉を使うことを特徴としている俳句という詩は、黙することによって語る有弁な沈黙、寡黙という”意味深重な表現手段”によって出来事の全休について語るのです。

 書道こそまさしく空白の箇所との交互作用を要求するものです。墨で杳かれた文字は、余白と一緒に形造られ、それによって生気を与えられます。

 このような空白の中から、”形なき形”が言葉を発します。そこからこそ、”空白の中身”という意味が、”見えないものの姿″が語られるのです。

 茶室は”空閑な場所”という意味深重な名前をもっています。空しい一切を包括する空間だけが、そこへの沈潜とその中からの運動を可能にするのです。

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基本要請   ◎生活のなかにいけばなの精神を広げ実践していくこと

花の心と万有の心とを結びつけることが十徳を得るための基本要請であると見なされています。

 ですから生花の仕事をする間は、話をしてはいけませんし、また一般に、騒々しい、静けさを破る態度が禁物であるのは、全く分り切ったことであります。その理由は、たんに精神の集中を妨げたり、心をそらすようなことは一切避けねばならないということだけにつきるのではありません。むしろここには生花の本来の意義が宗教的な儀式であるということが明らかに見られるのであります。清浄と秩序とを厳守することも右のこととつながりをもっています。というのは元来、花が生けられた部屋は神聖なところであったといわれているのですから。この解釈は今日までずっと持ち続けられてきました。部屋がどれ程質素で目立たないものであっても、花が”まことの精神”で生けられるならば、そのことによって、部屋はいわば浄められているのです。

 それで初心者は殊のほか”花の心”を忘れないように絶えず注意を促されます。それは第一には花を正しくとり扱うために、第二には自分自身の心がすなおな自明の状態になって、安心して生活していくためにです。その心は、”花の心” のように明かるく、自分をおしまずにつかいつくすと同時に、幸福に自分の中に納まっているようでなければなりません。そして弟子がこのようにして花の心を聴きとって自身の心の中にとり入れたものを、彼は同時に気前よく、また何の下心もなしに再び他の人々に伝えるのです。そこで幾久しい愛の流れが、花の心から人間の心へ、さらには万有の心へと注ぎこみ、また逆に万有の心から流れ戻るのです。こういうおごそかな、記述し難い雰囲気が、師匠と弟子が一緒に所作事をしている座敷に生気を与えます。この雰囲気の中で、永遠の静けさの輝やきに包まれる作品がみごとな出来栄えを示すのです。

 ”万有の心”も、はたまた人間同志の交りも”花の心”と非常に密接につながっております。勿論すべてが同様に大切であり、同様の資格をもっています。決して他に優先する領域――例えば人間や人間のかかわる事物の世界が、あたかも被造物の中の王座を占めているかのように――というものがあるのではありません。生命の領域は決して明瞭に境界づけられてはいません。日本人にとっては生命はすべて、共通の根から出てきたものであって、途絶えることのない一体を意味しているのです。日本人も動植物を分ち、またこれらと人間とを区別しますが、彼は価値の相違に限界(くぎり)をつけること――生存の意味と目標の点から一方が他方より上位であり、重要であり、価値が多いというような――を信じているわけではありません。一輪の花、一本の花さく枝の方が、自分を例外的に尊い現象であると思いこんでいるどこかの人間よりも。生命の姿をもっと純粋に再現している場合がないとは限らないのです。ですから生花芸術を習得するためには、花に対して敏感であり、動物に対してはともかくもやさしく親しい態度を示すだけで十分であると考えている人は、もっぱら人間同士の交りを強調して、花や動物はこれと反対に、多少とも歓迎すべき随伴現象――ただたんに”も亦”存在している――であると見なしている人と全く同様に、考え違いをしているのです。こういう人の考えによりますと、動植物が存在しなくとも、人間の生存する世界は何の損失も蒙らないということになりかねないのです。花は気持のよい飾りとして、動物は動物園の中で、時々見物するだけで沢山だ、自分にはもっと大切な仕事があるのだといわぬばかりです。実際にはしかし、花を大切にすることは、人生諸般の事どもを大切にすることと同様に重要であります。また人間や動物と親しみ触れ合うことは、花に親しむことと同様に大切なことであります。それゆえ始めたばかりの花の芸術家は、花以外のすべてのことはないがしろにしてもよいというような専門家ではなくて、広く一切のことを自分に取りこまねばなりません。

 私どもはすでに幼児の生活において、植物と親しむことにある意味を与えることができます。多くの場合、花こそ子供の生活圏には入ってきてそれを豊かにする最初の”生きもの”なのです。ある植物が子供の管理に任せられるようになるとすぐに、樹木をいつくしむ彼の手入れを通して、同時にまたこの植物に対する保護と責任という意味での内面的な関係が生じてきます。自分に任せられた植物を育てて いまひとつの例をここに引用させていただきましょう。病人に届けられた花は、全快してもっと生き永らえようという新しい希望を与えます。愛する人の墓場に捧げた花は、”死して生れよ”という永遠の循環を物語っています。花は慰めと希望とを与えるものであります。

 ※(訳註)ゲーテ(西東詩集所収、至福のあこがれ(Sclige Sehnsucht)の一節。


 花はどんな環境におかれても、花独特の印象を与えます。花は、まるで私どもの生活の中に一緒に根をおろしているかのように私どもに話かけるのです。殺風景な役所の部屋の中ですら、事務机の上の花は緊張をときほぐし心をおちつかせる不思議な働きをもっています。

 通俗的ないい方をしますと、仲間に ”花”をもたせさえすれば決して彼を傷つける心配はないのです。その成長を共に体験するということは、同時にその子供に、愛情をこめてその植物を見守るという課題を与えます。このようにして人間の生活とすべての自然的な存在との間を結ぶ、ある本能的な感覚が目ざまされるのです。植物の成長及び発展の可能性を観察することは、子供の感情生活を豊富ならしめるものです。このような理解を伴った感覚が、次第に拡大せられて、動物の世界や、さらに一切の自然物や宇宙のいろいろな連関にまで及ぶのです。

 自然の中に行われている生成発展を観察した結果、こんどは自分自身の”成長”に対するひとつの関係が生れてきます。すなわち、自身の本務の世界に”没入して成長する”ようになるのです。生々と成長しながら、植物は私どものめいめいを眺めています。花と一緒にいることはその雰囲気全体を活気づけ、上品にいたします。美しい花がその場にありますと、人々はあたかも醜い態度をとることができないもののようであり、また花と親しんでおればそれによって人柄が自ずと洗練されるかのようであります。食卓の上のほんの一寸した花の姿でも、あたりに何のうるおいもないところで食事をとる場合とちがった気持を子供におこさせることは疑いありません。ですから与えられたものに対する感謝の念すら養われてくるのです。

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 こうして弟子は次第に、生花の教えを通して彼に与えられる広大な使命について自覚するようになります。外面的な課題は内面的な課題と対応しています。それらは互いに制約し合っているのですから。彼は今までに、心の落ちつきが自分の仕事に対してどんなに本質的に必要であるかを経験してきました。心の平和と安静がなく、性急であったり、かたくなな自我の妄執があったりすると、解放も白由もないのです――花の道はどこまでも閉ざされたままで、歩むことができないのです。

 弟子が最初、不審に思いながら向い合っていたあの型が、いまはもはやたんに外面的な三区分の形象という印象を与えなくなります。彼はいままでにこの型の美しい姿を、徹底的に、またまのあたりに見えるように、何回となく形造り、自分の前においてきました。しかしそれはたんに外面的な所作ではなかったのです。彼はいまはその根底にある宇宙的な原理と、より深い連関とを自覚するようになったのです。

 恐らく弟子は、自分に提示された使命の意味を、先ず最初には次の二つの側面から考察することでしょう――最後にはこの両面を統一のとれた完成に齎(もた)らすことができるのですが。すなわち一方では彼は自分の仕事の中に安静、忍耐、持久の精神を発揚させます。他方ではこのような仕事の仕方をできるだけ実際の生活の中に持ち込むように努力します。ですから彼は自分の道に立ち止っているのではなく、多方面に発展して、しかもその道の中心を見つけることができるのです。彼は花に新しい生命を与える形式と構図を与えました。従って――自分で意欲することなしに――の造形を自身の内から外へ打ち出すと同時に、また自身の内へ打ち込んだのです。この交互作用的な、本来の教えの意味での内外共同の働きが、彼の全存在を捉え、濃密にし、円成させたのです。彼はいまは、自分自身や環境世界と、さらには万有の世界と調和のとれた統一状態の中に生きています。彼は天地双方によって支えられているのです。自分の帰る故郷もなく、心が千々に乱れて働く目標もないというようなことはどこにはもはや侵入する余地がありません。本質の統一状態が実現されているのです。しかも自然の道は、花や噴水や造形的な岩石を象徴的に取り扱うことを超えて、はるかに遠くへ通じています。弟子はもはや個々の稽古の時間や休憩時間にだけ”花の道”を歩むのではありません。この発溂とした創造的な時間がいつも現在していて、彼にいつもつき従っていくと共に、彼を導いてくれるのです。この道は全生涯にわたって彼を離れずにつき従い、いつも新しい生気にみちた展望と企画を与えてくれます。この点からいってどの道を”あたかも歩まないかのように歩む”という文の意味が理解されるのです。いいかえると、道と弟子とがひとつになってしまったのです。

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植物に対する正しい態度


 このことについては、有名な一例があります。石ころの山道を喘ぎながら上って行ったひとりの人夫の話です。彼はかげろうの立つ小石の間に、いまにも枯れてしまいそうな、ひからびた小さな花を見つけました。重い荷物を背負っていたにも拘わらず、彼は身をかがめて、持っていた茶の最後の一口を、その力弱い根に注いでやりました、その花が焼けつくような暑さを堪え忍ぶことができるように。それから彼は何事もなかったように平気な様子で、はるかな自分の目的地に向って急ぎつづけました。この出来事は珍らしいことだという理由からではなく、強く人の心を打つものだという理由によって、口から口へと語り伝えられました。

 芸術家もまたこのような題材(モチーフ)をとりあつかっております。同様にまた一夜のうちに乙女の水汲みにからみついた朝顔の花についても。この話によると、心優しい可憐の少女が、或る朝早く近くの村井戸に水を汲みに行きました。ところが一晩のうちに釣瓶の綱に朝顔がからみついて一輪の花をつけていました。その花は朝日を一杯みにあびて、うっとりと心地よげに咲いているのでした。乙女は歓喜し、同時にまた異様な感激にうたれ、この不思議な出来事をこわす気持になれませんでした。苦労の多い回り道をもいとわずに、彼女はもっと遠い隣人の井戸から手桶をみたして、いそいそと帰りました。

  朝顔に つるべとられて もらい水

 (私ども白身、この題材を意味深いわずかの線で描いた絹地の掛物をもっていました。絵のそばには上記の俳句が書かれていました。)


 日本の光明皇后について、彼女は自分の手が花を汚すかもしれないという考えで、いつもおそるおそる花に触れていたということが伝えられています。”汝を手折らば、花よ、わが手汝を汚さん”こういう感覚が、環境世界に対する”正しい態度、思いやりのある態度”の道を示しているのです。それが認識され修練されればされる程、以上述べたことが、悉く生花の要請であるという洞察が益々明瞭になってくるのです。

 自然の中での観察やスケッチを通じてもまた、私どもは花の生に親しみ、まるで私どもがその花を創り出したかのようにその成長の秘密を学び知ることができるのです。

 自己を無にして他人をゆるし、自分をすっかり投げ出すこと、決して高ぶらず自分をその一員として秩序の中に織り込み、親切であっても押しつけがましくせず、人からは感謝を期待しないこと――これらすべてが花の道に属することであります。

 いつも稽古の始まる前に、また特別に注文した時に、植木屋がふくれ上った菰包みを小脇にかかえて、私ども大勢の花の愛好者のところへきてくれましたが、彼もまた以上の諸徳の幾分かを実現していたように思われます。彼はえりすぐった枝の束を豊富にとり揃えてこの菰に包み、いとも鄭重にもって来たのでした。

 彼はこれらの束を、見さかいなく切りとったのではありません。組み合わせるのに適当なものだけを、いたわりつつ念を入れて切りとったのです。また彼は決して花から、それを包んでいる葉の飾りをもぎとることをいたしません。緑の葉は蕾や開いた花と同様に、自然の成長を完全に再現する為に必要なものです。花を買う婦人達が選び終るまで、彼はいつまでも辛抱強く、にこにこしながら静かに待っていました。このような花のたぐいを、彼は何と安い値段で売ってくれたことでしょう。しかし彼は大変つつましやかに、注意深く、そして上品にこれらを手渡してくれたのです。

 日本は花の国としてよく知られていますが、このことは全く独得の意味で理解せねばなりません。というのは、家の庭で見られるものは切花ではなくて、墻(かき)で囲われて特別に養護された植木だからです。これらの植物は、ずいぶんと献身的な愛情をこめて育てられています。ですからそれだけでもうその灌木や喬木から、花や枝を切りとることが好まれないのです。庭の中では珍らしい形をした木の群れが対称的に向いあって植えられているのによく出合いますが、それらは引き離してはならない植木です。恐らく、庭で栽培される花が大変尊重されるのは、花の咲く牧草地が殆んど見当らぬためでありましょう。日本の民衆がうやうやしく参拝するいくつかの有名な神苑を除いては、野生の切花はめったに見られません。植木屋が、花器に必要な切花や灌木を、植えつけねばならないのです。というのは、田圃が領土の大部分を占めていて、少しの耕地でも食糧生産のために十分に利用されねばならないからです。

 しかし各季節ごとに楽しいお花見、すなわちお祭気分で花見をする機会があります。民衆が大勢、それも一家こぞって、由緒のある、昔から有名な各地の名所に参詣します。そこには見渡すかぎり、何キロにも亘って人の眼を魅了する桜の丘があります。春にはまた白く輝やく水仙が咲いて、ひそかな谷間に香気を放っています。苔むした境内にある藤の花は、うす紫のヴェールをまとって。見る人をうっとりさせ、社の朱色と妍を競っています。長い房の形をしたその花は、参拝者が渡る橋の上にたれ下っていて、彼らを驚嘆させています。秋にははるかな紅葉の幽谷が、燃えるような色調で人々を招き寄せています。尤も日本の紅葉はこれだけではなく、春にはやわらかい赤味をおびた葉の衣装をつけ、夏には涼しい緑色をして、その魅力を十分にあらわすのですが。

 菊は東洋では最も貴い黄金の花であって、かねて日本皇室の紋章になっています。このめでたい植物には約二百の種類や変種がありますが、こういう菊を栽培することはどんな人をも、ごく貧しい人々をすら幸福感にひたらせています。毎年九月九日に行われる一般の菊まつりは大事な祭り日になっています。

 またいちはつや蓮の愛好者もありまして、その誰でもが自分の好きなものをみつけ、賞美するすべをわきまえています。

 こういうわけで、日本人が生花芸術に示すなみなみならぬ理解に対しては、彼らが自然に親しみ、自然を愛する心が、大事なその規準となっているのです。この心こそまさしく彼らに花の象徴的な言葉を理解させ、それをいわば目に見える現在の中に翻訳させているのです。

 ですから例えば蓮は宗教上の儀式に用いる花と考えられています。それは純潔と不死の象徴であります。というのはこの花は、泥沼の底から芽を出すして、濁った水面から抜け出し、全く汚れのない、輝やくばかりにあざやかな緑色の葉にかこまれて、天をのぞみながら咲くのですから。

 蓮の蕾と内巻きの葉は未来を表わしています。十分に開いた花は現在を開示します。またしぼんだ花の結ぶ立派な蓮の実は過去を物語っているのです。

 梅の花は厳寒に負けない抵抗と新しい生命とを実証しています。若い芽を出す老木は、やさしさと結ばれた成熟を意味します。牡丹はそのあふれるばかりの豊満さで、豪華と富裕とを象徴しています。松は確乎不動、力、剛毅の性格を保証しています。竹は長命、持久力、充溢などを表わしています。

 こういうわけですから生けられた花の本来の性質ばかりでなく統一的に全体を見ようとするまなこに対して、この花が何を意味し、何を表現しているかということが、また大切であります。出来上った生花が直接に何を表現しているかは、その特殊な生け方から理解され、評価されねばなりません。しかし洗練された観察限をもった人は、さらに一歩先へいくことができます。すなわちその人々は花の形から、その芸術家の精神的特質を、もっと正確にいいますと、その特質の背後にあるもの、無限なるもの、言表し得ないものを、読みとることができるのです。

 僅かの花で、すべてを云い表わしうるということ、これこそまさしく武田朴陽師の傑作でありました。経験に富んだ、内面的に成熟しきった生活が、これをなしとげる創造的な力を与えたのです。

 何年かたつうちに、展示会の際には女の弟子たちが、若いもの程はでな色の花を選ぶということが、私の目につきました。初心者は自分の作品に自己満足を感じて、その花器を人の目に立つ方に列べて貰いたがるのです。少し進んだ人は中程でも満足しています。それに対して師匠の花器は目立たない、蔭のところにおかれます。師匠はいとも巧みに考案された配置を用いることができるので、その花の形は、明暗、動静、陰陽が見事な諧調音を奏でるひとつの全体を作り出すのでした。それでこんな展示会には、格別多くの来観者があることは驚くに足りません。会の参加者と近しい人々ばかりでなく、全市こぞってこの催しに一役買ってくれるのです。実際日本の女性で、生花芸術に何の関係ももたず、その意義やそれから自分がうけた恩恵を自覚しないようなものは一人もありません。女性ばかりでなく、このような人は、男性にも殆んどないのです。

 その所作が優にやさしいにも拘わらず、生花は元来、人生の試練を経た外ならぬ男性の手によって行われたものです。花と一体となる沈潜は、さむらいの精神に息吹きを与え、一度きりでとり消すことができない、最後的な決断の真剣さを顕現するのです。

 防ぐ術もなく、自分の城が圧倒的な敵軍の突撃にさらされていたある封建時代の城主が、それでもなお泰然と落ちつきはらって花をいける余裕をもっていたということの中に、いかに偉大な精神力が表現されているかを、読者の皆さんは一度想像して下さい。この臨終の生花は、いかにも不動の、最終的な行為でありますが、決して無理に強行されたものではありません。それは何か特殊なものを意味するというのではなくて、無欲恬淡のしるし、真正の、解放された生存の極印を帯びているものでありまして、”まことの”射手の心情にのみ与えられるものと全く同様に、術なき術の印章であります。

 この城主は単に外面的に武士であったばかりでなく、また内面的には、敵によって克服されない勝利者であったのです。彼は生に対すると全く同様に、死に対しても確乎不動に対処いたしました。こういう生死を滅却した存在は、天地を支えるとともに、天地によって支えられる中心から流れ出るのです。

 武士的であるとともに”優にやさしい芸術”の修練を、今日でもなお日本の乙女や婦人たちが受けています。日本風の家で床の間のない家は考えられないのですが、そこにはいつもそれぞれの季節に適した花が生けられていますし、壁にはこの花に似つかわしい軸物がかけられています。この掛軸はその時の座敷での催しごとに応じて、或は心の落ちつきを深め、或は陽気さを高めるのに適した題材を表わしています。

 この花の道との対決は、個々人の生活の中で、恐ろしい程深刻な転換を意味することがあります。しっかりした、否苛責するところのないきびしい態度――自分自身の挙動においても、また花ととりかわす言葉においても――は、しばしばきわめてやさしい手段で表現されるのです。あんなに可愛らしく、やさしい、ほんとにねむり草のように華奢な様子をしている日本の女性が、家族の周辺では自己をもたないような態度を示しますが、しんが強く自制心に富み、しばしば英雄的に生に対処するのです。このようにして、”花の道”は、”花の心”から”人の心”へ、さらには”万有の心”へと通じ、植物に対してもはたまた人間に対しても”新しい生”を意味しているのです。人間の心の中でいろいろな対立が、解消されて中道へ、万有の中道へと導かれます。天と地と人とがここではひとつに結ばれるのです。

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芸術か自然か


 出来上った花の形象――花がその中で始めて自分の本質を十分に展開する完全な姿としての――は果して芸術作品としての権利を要求することができるでしょうか。もっともその芸術とは、宗教的な生活や体験に奉仕するものではありますが。

 円熟大成した生花芸術家にとっては一見自然自身の産物であるかのような作品を創ることが、正しくその眼目なのです。成長してきた土壌からは切り離されていても、それはやはり生きた花や枝であります。それらが再び組み合わされて、生きた、新しく創造された統一となるのでありまして、その中には依然としてその”自然”が保存されているのであります。というのは、いろいろ曲げたり、向きを変えたりし以上ではあるが、まだ純粋な芸術ではないというように、この両方の中間に位するものでありましょうか。このことについて、きっぱりと一義的な答を与えることは殊の外困難であります。というのは、日本人にとっては、生活と芸術、自然と精神とが、大抵の場合不可分の一体を成しているからであります。日本人の体験では、自然は本当に魂をもったものと少しも異なっていませんし、また精神は、自然的な意図のないものに外なりません。ですから彼は、自然と精神、生活と芸術とが、たがいに無縁であるかのように、両者の分離を前提している問いの意味が分らないのです。彼にとっては、自然は死物でもなければ、非情のものでもなく、また単なる象徴や比喩でもありません。永遠そのものが自然の生々した美しさの中で直接に現存しているのです。こういう解釈は日本のすべての芸術の特色であります。ですから私ども西洋人が、日本の芸術はその対象をまず”理想化”し、それから調和をうちだてるために、緊張をときほぐし、対立するものに橋をかけようとするのだと考えると、この芸術の本当の姿を見損うことになります。日本人にとっては、調和はむしろ全く根源的に、最も内面的な形式として、自然や生活や世界の根底に横わっているのです。そして芸術は、この調和を表現すること、これを或る程度の”意識されない意識状態”の中に在るものとして確認すること以外に、何らの課題ももつことができないのであります。芸術家は無限の遠くから飛び出してくる根源的な息吹をもって、一挙にこの調和を無の深みからとり出し、眺め渡し、そして明かるみにもち出すのです。この無限の遠くに開けた根源感覚でもってどのような無からの新創造が知覚され、展開され、その背景から眼に見える形づけの中に持ち込まれるのです。弟子は自分白身を前面にもち出すことを全く断念しますから、彼は、手にとることができる花の存在――その中には宇宙の姿が表わされているのですが――を知覚すると同時に、花の本質法則をも、また同様に自分自身の本性をも、深く内に自得するのです。彼自らこういう体験をして、”形なき形”から自分の作品の造形を創始します。芸術家の心の中で、創造的衝動とその実現とが、虚と実とが結合されるのです。この対立を超えた調和に基いて彼は自分の作品を高め、作品以上のものに導くのです。

 以上のことはとりわけ生花芸術の中に明瞭に示されています。

 真の生花芸術家は、ですから、外面的な、ただたんに外に見えるようにされるだけの自然の形には、さして注意いたしません。というのは外面的な形は彼にとっては目標ではなく、せいぜいのところ、形象の内面的形式に導く橋にすぎないからであります。外の形は、内観の眼を通して、自然と精神、生活と理想とがひとつであるあの深みに滲透する限り、愛さるべきものに過ぎません。芸術家もまた、同様の全体連関性をもって自然に対処します。それは誤った教育で損ねられていない限り、凡ての日本人の特色を示すものであります。そしてこの全体連関性は、一切を生々とした全体性の中で知覚する信ぜられないような日本人の能力に基いているのです。

 それゆえ花や枝の選択はその枝ぶりや色合いが互いに調和するということだけによってきまるものではありません。芸術家がその中で世界を体験するあの内面的な形式を表現するのに適しているかどうかということが、はるかに大切なことなのです。花や灌木や喬木がこの願望をかなえてくれます。というのは、それらの根底にはいろいろと象徴的な意味が濳んでいるからであります。ですから花の形だけですでに、そこに用いられた材料を通して可成り多くのことが語られます。しかし慎重に考案された充実と気高い単純さとの結合を通して、また空白のままに残された場所――その中には集中と力と謙虚が映されているのですが――を通して、一層多くのことが、その花を見る人に語られるのです。形式的な拘束があるにも拘わらず、空想の働く余地を最大限に残しておき、体験にはどこにも限界をつけないどのような全体的なものを創造すること――そこにこそ、生花芸術という術なき術が成立するのです。

 しかしながらこの術だけが教えられてはならないのです。むしろ師匠は――さきにも力説しましたが――絶えず次の点に留意します。それは弟子が自分の全身全霊をあげてこの”書かれざる教え”に没頭して、ついにはその教えが彼の生活の自明の法則となり、彼の性格を形造り、規定するようになるまで、すなわち花の道をどんな生活様式の中にも生き生きと現在させるように歩むことが可能となるまで精進を怠らないようにということです。そしてこのとき一切の暗中模索がやみます。花の道が創造的に生々とした現実となったのです。

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教義内容


 ”まことの教え”を考察する時には、東洋に特徴的な自由の解釈が明瞭に現われてきます。東洋で真の内面的な自由といえば、それは、宇宙の法則という意味をもっている諸形式の中に、自分を適合させることを意味するのです。自分を適合させる人は、それによって、直接、共に自から窮極的な世界連関の中へ組みこまれるのです。生花の根底にある天・地・人三分の形式も、世界の原理を表現するものに外なりません。生花芸術家が、全く自明のことのようにどの原理に自分を接合することによって、彼は始めて、自分の創造的な力が十分に展開される地盤を獲得するのです。型式的に予め示された諸連関を生き生きと衣現することが、この力のままに任かされるのです。この型の精神を没却した模倣も、或はまたこの型に一顧も与えずそれをおしのけようとする誤解した独創性も、正しいものではありません。ともに”真の教え”すなわち生花の精神に違反するものと見做されるでしょう。

 ですから生花の弟子からは――すでにしばしば力説した通り――内面的な規律と順応性、それから自己否定への能力が要求されるのです。この規律正しい、そして次第に自明となっていく特性に、師匠は絶えず、しかも最初の第一歩から、重大な価値をおいているのです。師匠にとってこの特性は、始から軽快に動く器用な手先や、善い趣味よりも、もっと大切なことになっています。

 東洋人には、自己放棄と、世界や生の精神的原理への没入能力とが、最高のものと考えられ、そしてそこにこそ宗教的生活の最も深い意味があるとされているのです。しかしこのことはどういう態度によって創られた作品が、全く非人格的なものでなければならないということを意味しているのでありません。東洋の芸術家といえども、自分の作品に個人的人格の痕跡をのこすということをどうしても防ぐわけにはいきません――これこそ作品の本質に属することなのです――しかし彼の個性は作品の精神を乱してはいけないのです。むしろこの精神によって全面的に吸収されねばなりません。このことは、芸術家がその作品に個人的な色調を与えようとする試みを、意図的にしてはならないということを意味します。 ただこの色調が意図なしに作品の中に流れこみ、ひとりでに作品の本質法則と融合して、あますところのない一体となる限り、その個人調が正当づけられ、さらには深い意味をすらもつことになるのです。

 この生花の領域で、ささやかな程度ではありますが、明らかになったことは、東洋の芸術全体にとって、またとりわけ禅宗の世界観にとって、特徴的なことであります。 一切のことは結局、対立の外にあり、対立を超えるものに帰着するのでありまして、ただたんにこの超対立的なものへの熱烈な沈潜によって自己を滅却するばかりでなく、それにもとづいて直接に、かつ従容として生きていく人間の精神と能力とが肝要なのであります。

 私ども西洋人にとっては、東洋の精神生活を理解しようとして、どの方面からその通路を求めるにしても、全く特別の困難が起ってくるのです。西洋人は、一切の頭の働きの彼方にあるもの、東洋人には直接に捕えられているもの、彼らが疑のない実在の中で体験しているものを、頭を働かせて突きとめようとする危険を、殆んどいつも犯すのです。さらに徹底的な理解に達しようとすることのむつかしさは、東洋人が自分の体験を悟性的に解明したいなどとはめったに思わないということによって、一層倍加されます。その結果東洋人が言葉でいい表わしたものと、彼らがそれで本当に意味したいと思ったものとの間には、深いへだたりの溝が、大きな口をあけていることがしばしばあるのです。逆説にでも訴えない限り、彼は多くの場合、たんなる暗示や比喩に甘んぜざるを得ないのです。この点で正しい道を見つけ出し、師匠の言葉の理解をもって直ちに、事柄自体の理解であると早合点しないためには、西洋人にとっては、東洋人の身になって感じとる多大の忍耐が必要となるのでありまして、肝心かなめの点を、何らかの仕方で嗅知し体験する試みが幾度も幾度もなされねばなりません。ですから生花の場合にも、多くのことがいわれ、また形によって示されても、個人個人の誰でもが味わえるように眼に見える形をとって表現できる一切のものの背後には、最も深い存在の秘密と根源が潜んでいるのであります。

 芸術家が自分自身を前面に押し出すことを全く断念したときに始めて彼はーー宇宙がその中に表明されている花の、手にとることができる現実の存在と連関しながら――この意図のないひたむきな心を通して、世界の本質法則を内面的に経験することができるのです。

 生花においても、この精神的な、内面的な中身が肝要であることは、今まで申し述べたことによって十分明らかであります。ですから私どもは、正しい態度というものは、気分とは何の関係もないことをはっきり知っておかねばなりません。生花の根底に潜んでいて、端的に体験されねばならないものは、それ自身としてはいかにも形あるものではありませんが、私どもがそれを象徴的に表現しようと試みると、直ぐに形を得てくるのです。そしてまさしくこの形のない精神的な形こそ、生花の理念を形造っているものなのです。ですからこの測り知りがたいものが、眼に見える姿と融合して、感性界の最も目立だない形をすら、くまなく照らすのです。

 芸術家が宇宙的意義をもつあの範型にしっかと支えられることによって、彼は東洋的態度に従い、世界の本質法則に何の意図もなく純粋に献身してゆくうちに、この法則自身を徹底的に了得することを学ぶのです。と同時に、彼はこの同じ法則に基いている自分自身の本質の深みの中へつき進むことができるのです。

 ここに、疑もなく、東洋の芸術および東洋の精神生活一般を理解する鍵がかくされています。すなわち、東洋人が”自分自身を度外視しうること”の中に、まさしく最高の精神的表現が何の意図もない無心の状態で完成されるということのうちに、ですから例えば画家が線を引くのも、”彼が”ひくのではなくて、”恰かも線自身が””宇宙の奥底から”ひかれるかのようにするのです。生花の場合でも同様に、花をあちこち忙がしく眺めまわしたり、互いに見くらべてためしてみたりなどして格好をつけるのではありません――こんなことはもっぱら初心者のすることです――そうではなくて、眼差しは内面に向けられているのです。”美しく”生けようと思うほんのかすかな意図も、この自己内沈潜を濁してはなりません。全く意図なしにいようと思う意図すらあってはいけないのです。こういう精神的境地を自身のうちに作り上げ、これを全く純粋に維持することに成功して始めて手が無意識に、ひとりでに起る芸術的衝動の促しに従うのです。この態度が受働的であるのはほんのみせかけに過ぎません。東洋流の解釈によりますと、これこそ真にあの精神的な力の源泉なのです。


認識の段階


 花の道には段階があって、その一々を師匠がよく承知しており、また説明するすべを心得ているということは、言うまでもありません。師匠は、弟子がこの道には入ってから、今どの段階にいるかを明かに示してくれます。師匠はしばしば、初心者が花を生ける特殊なやり方や、彼の仕事のしぶりから、彼の性格、少くともその本質特徴を驚く程正確に察知することができるような立場に立っています。

 初心の段階では、個性があたりまえのように、意志を働かさないで現われてくるということは、きわめて稀であります。長い間の修練と不断の変化を通して、今まで習熟したことが次第に磨かれて、ついにその作品から”純粋な”形像が姿を見せるようになるのです。

 可成り高い段階になると、自分の”特質”が一層自由に、大胆に現われてきて次第に純化され、ついにはそれが、本質的な芸術の表現の中で、”純粋な真理”と全く一体となるまでに融合されるのです。

 このようにして花の芸術家の本性の中にに宿る”真理”が、”目に見える姿”を受けとる舞台が見出されます。”天そのもの”の純粋な真理を具体化することは、最高の課題でありまして、その解決はただ最も秀れた画家や詩人のみがよくするところであります。そして一度この真理を体得すると、弟子はこれを――師匠のお蔭で得た――失われることのない贈物のように、何の意志をも働かさずにあたりまえのこととして、自己の中から外に明示することができるのです。

 そういうわけで――も一度くり返えしていえば、――眼に見えるように表現できるものの背後には、言葉で言い表わすことのできないもの、形に表わしえないもの、すなわち”根源の秘密”が潜んでいるのであります。そしてこれを得ようと努力しても無駄なことで、それは何も望まず修業している中に、思いがけなく露わになってくるものであります


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技法


 花を挿す芸術は日本語で”いけばな”と呼ばれます。はなまたはばなというのは草木の花のことです。

 生花はその意味の上から次のようにいいかえることができます。

 ”枯れていない花を、水をみたした花器に入れて生かしておくこと。”

 この場合には、花という言葉によって一切の植物的なもの、例えば小さな木の幹や枝、あらゆる種類の、さまざまな大きさをした葉や葦や草などが総括されます。

 生花は、初期の古い方法も、また同じく後期の変った方法をも包括しています。  原始的な”立花(りっか)”という生け方がすでに”生きている花を水をみたした容器に”立てることを意味しました。

 砂物立花では、植物は砂箱に立てられました。それは、その高さからいっても巾からいってもひどく場所をとるものですから、寺の本堂や庭に立てられるようになりました。

 むかしの絵には、重畳とした山また山の描写がよく見受けられますが、その山々は天に向って屹立しているとともに、下の方には平野の中へ末広がりに拡がって、三角形を作っています。この山の風景画の中には所々谷問がありますが、それは空白の場所として目立って見えるようになっています。こういう図案は実際に絵をかいて仕上げをする場合には輪廓線や方位原点の役をしたことと思われます。時代とともにむかしの図案に見られた重畳たる山の姿が単純化され、すっきりしてきました。三角形を作ることが益々端的に際立たせられ、そして生花の型の雛形として固定されたのです。


 後期の生け方は次の通り区別されています。

 (一) 生花 (意味の上から”切花”という考えがつけ加えられましょう)。  生花(せいか)はいけ花と同義です。生花という言葉はいけ花の漢宇です。

 (二) 投入というのは硬くない自由な生け方の呼び名です。

 (三) 盛花(もりばな)は風景画を再現いたします。

 天・地・人三つの象徴的原理を表わす型は、同じ程度に以上三つの生け方の基礎となっています。


生花(せいか)


 生花(せいか)は三種類に分かれます。というのは、三角形は自由に伸縮して形をずらすことができるからです。

 型通りの方法と、半ば型に従ったもの、および型にはまらない方法が区別されます。

 (こういう三区分は、日本や支那の書法や画法の中にも、また同様に芸術的な庭園の中にも、造形的に応用されています。

 型通りの生け方はまた古典的生花とよばれます。それは厳粛、謹厳で儀式ばった感じをすら与えるからです。その線構成はまっ直ぐに上の方、すなわち天に向けられています。この儀式的な、殆んど硬い効果を出す生け方は――たいてい正面を祭壇に向けながら――寺や個人の家の仏壇を飾ります。この形式はもはや古くなったと考えられていますが、宗教的な機会にはなお今でも見られるものです。

  真(天)=最高の枝

  草(人)=中間の枝

  行(地)=下の枝



 半ば型にはまった、生花の中間形式は、個人住宅の座敷でとくに愛好されています。どの家の床の間にも花があるということは、花にとってふさわしい立派な枠づけをすることになります。そこでは生花のごとく質素な、日常的な形式に対して、花が気持よげに伸び、横にも拡がる格好の機会が与えられるのです。

 型にはまらない生花の造形については、その豪華な衣裳をつけている点で、素晴らしい化粧着姿の典雅(エレガント)な貴婦人に似ているといわれています。この奇想天外的で奔放な形式は、種々さまざまの線を自由に使います。ですからこの形は、床の間に限らず、優美な漆塗りの花台に置いても、また吊し花器に入れても、人々の家を美しくすることができるのです。その匂配にとんだ生け方は、優美であると同時に、ゆったりとしています。

 ”真生花”においては型通りの生花と同様に、力点は、真が特に強く前面に出ることにおかれます。日本の弓道家のひき終った弓のように、真は高い大きな弧を描いて殆んど垂直に立つことになります。用いられる植物の特性に従って、枝はすらりとした、または丸々とした線を描き、その尖端は力強く、またはやわらかく上に向って、空間を区切ります。

 ”草生花″は本来幾分型にはまらないような様式をとるものでありまして、それは日本草書のように流麗であり、また幻想的であります。

 ここでもまたその造形は印象深いものであります。”草”は特別の自然条件によって育ってきたように拡がり、他の枝と違って強く目立たされねばなりません。

 ”行生花”は幾分ひかえ目な、どっちかというとずんぐりした感じを与える構成を示します。それはたいていの場合、腰の坐った、簡素な、がっちりした姿勢でその効果を出します。以上どの生け方においても、明瞭な幹線をつくるためには、下部の枝をしっかり結びつけることが必要であります。

 弟子は柔かい枝木から、くばりを適当の大きさに切りとって花器の中に固定してから、眼前の材料をつくづくと眺めます。そして先ず頭の中で、この材料を型に一致させようと努めます。それから彼は種々の枝をそれぞれの職分に応じて使い分けるように努めます。その際、彼は植物の特質法則に留意することを忘れません。三本の主要線をはっきり浮き上らすことができるように、彼はこの線から始めます。それ以上使われる枝の順序には何の規則もありません。というのは、枝は種々様々ですから、その都度違った取扱いをする必要があるからです。枝を挿す場合に”草”優位を与えられることがしばしばあります。草は天と地との間の表現に富んだ中間を区切っており、また他の二本の主要線がうまくこれに適合することができるからです。基本の姿勢が見出されてから、副次の線の挿花が行われます。一定数の枝に支えを与え、飾りつけ、隙間を填める順序は、使用される枝の数と同様に、実際に花を生ける人の見識に任せられます。

 春と夏とは、生花の形が豊富で、また美しいものが多いのですが、冬にはいささか乏しい感があります。しかし。さりとてそれは魅力がなく好ましくないというわけではありません。生花を仕上げる際には、弟子はどの枝も他の枝を蔽いかくしたり、また他の枝と交叉したりしないように注意します。めいめいの枝はみなその尖端が自由に上に向って伸び拡がることができ、また花はそれぞれ、葉の数が沢山あっても、どこからでも見られることができなければなりません。左右均斉の対立は、いかにも気の抜けた繰り返しと目されましょう。或る場所を非均斉にしたり、空けておくことを怠ってはなりません。”空(くう)”には本質的な意味があるのですから。

 とにかく上級に進んだ弟子は、それぞれ自分の発展の仕方に応じて、時と共に次第に或る種の特質を発揮する余地をのこすことができるようになります。型が定められてあるのは、抑えつけるためではなくて、それによって成長し、内面的に自由に、独立に、造形し行動することができるようになるために外ならないのです。


投入


 投入の場合でも三つの基本線は、植物の要求するところに従って、種種の表現形式の中に、伸ばされたり、ずらされたりいたします。しかし直立様式(立体)とか傾斜状(斜体)あるいは懸垂状(垂体)の様式で生けられても、これらの基本線は容易に暗示されることができるのです。

 懸垂状では、曲げられた枝はまた”流枝”とよばれます。その枝は周囲にやわらかく流れ出るからであります。支えを用いないから、枝や花は花器の緑から外へ垂れさがるのです。この場合、たいてい基底線(地)だけは、はっきり現わされますが、上に向ってたばねられた幹線はさほどではありません。出来上った形は、風に吹かれて軽くなびいているように、ごく自然な姿を現わすことができます。

  (花は)

  花器の上に立ち      (立体)

  横にかたむき       (斜体)

  流れるような枝をもって

  下にたれさがる      (垂体)

 時によると、たった一本の枝が、全く思いもよらず望み通りの形を与えてくれることがあります。材料を選ぶには勿論鑑識眼が必要です。簡単なものにうまく形を与えることは、他のものよりはるかに至難のことでありまして、それがうまくいくとしばしば傑作が生れるのです。

 花器の選択も複雑であります。植物の種類に従って、幾分重い枝には坐りのよい青銅の花器を、香のよい、軽い形には陶器を選びます。蔓つきの蔦葛の類や、斜にのびている植物には、吊し花器か、横におく花器が一番適当です。また創意をもって面白い形に編んだ籠花器も、その取手が同時にこっそりと花の支えになりますので、適当なものです。

 ですから質素な容器を用いた、ごくあっさりした投入こそ、茶の湯の部屋では一番感銘深い印象を与えることができます。静かな姿をしているので、それは少しも気を散らさず、むしろ精神の集中や冥想を促進して、清寂と諧調の気分を発散するのです。


盛花


 盛花は陶器(陶磁器)、青銅あるいはラック塗りの、平たい、大変巾の広い水盤の中にしつらえます。盛花では趣の深い自然の一断面を、ほんの暗示的にですが、その場に現出することができます。植物を支えるために、重い金属製のいろいろな種類のくばりが、それぞれの用途に従って組み合わされます。

 僅か数本のいぐさや葦の類に、二三本の睡蓮かまたは水際に咲く陸地の花を配して、或る田舎の風景やその気分にひたることも、どれを眺める人の想像次第でできるのです。

 夏にはたっぷり水を張りますと、その風景の断片が生々としてきます。冬には陸地を正面に出します。植物と水とが一緒になって働くので、湖辺や水辺または海辺の樹木の茂った内陸の感じを出すことができます。陸地の部分は森や山、あるいは平地の様子を映し出します。また半島か、島または川岸の効果を出す場合もあります。小さな立木や灌木、または草むらを配すると、前景、広い中央、好景という工合に、三角形の効界が出来上ります。対立したものや種類の異なったものをあしらってこそ最後には調和して均斉のとれた効果がでてくるのです。簡単な仕方では、一本の丈の高い枝か、またははずんぐりした幹によって、背景にある”樹木”を暗示することができます。中央の場所には幾分密生した植物が考えられるのですが、これは木立とか草むらで表わされます。前景には短かい茎や平たい植物、苔類が適しています。秋には”落葉した”木や幹か、その前に岸辺を表わす漿果(み)のなる禾本科植物を配して、広く用いられます。

 年代を物語る青苔で飾られた小さな木の幹は、大変珍重されていて、春にはその側に新しい芽生えを添えると楽しい風景を示します(この芽生えは勿論その古株から生えて出たと思われるように挿さねばなりません)。山々や岩は石の形で暗示することができます。陸から水辺に移って行く道をほのめかす必要がある場合には、背の低い植物や苔、小さな灯心草、あるいはまた二三の小石をばらまいてこれを表わします。水の中におかれた石が、海の波に洗われる大きな岩の根を暗示する場合もあります。

 ”三つ”の石を用いる場合には、右側にある垂直の石は男性、陽の原理を具象化しています。それと釣合いのとれた対照的な状態で、女性、陰の原理が少し小さ目の形として映し出されます。この区分は支那の思想からとられたものですが、いろいろな芸術の本質規定やその応用の中にとり入れられているものです。

 昔から”陽”は日向すなわち眺める人の方に向って表側を意味しています。真直ぐで明るく、強く、活動的で力にみち、受胎させて花を咲かせる自然を象徴するのです。その色は赤、紫、またはバラ色であります。

 女性的要素はこれと反対に受胎する自然を表わします。それは日蔭にあって、暗いものと目されています。女性的な造形はふくらんでいる蕾で暗示されるのですが、それには曲線を多く用い、その姿は幾分未完成のままにしておきます。女性の側は左でその色は何よりも先ず白や、黄や青であります。

 この陰陽の区分は決して両者の反発的な対照をあらわすものではなく、むしろ両方の釣合いがとれて、全きものとなった状態を見せなければなりません

 こういう訳でから、石を三つ用いる場合には、大きなゴツゴツした感じの石は高い処、”天”を、水平で少し低い石は”人″を表わすことになりましょう。これに対して釣合のとれた形で添えられた平たい石は”地”を象徴することができるのです。

 ”天”は明るいところを意味します。他方低い方の石は、地すなわち暗いところを表わします。”人”はこれら明暗二つの力の間におかれています。この位置は生花の型においてもまた人(じん)に与えられているものであります。

 盛花には無数の表現の仕方が可能でありますから、全体がいつも統一ある状態の印象をかもし出すように、十分注意せねばなりません。そしてこの統一が語る口に出してはいいえないもの、手には触れられないもの、空白のままに残されたものの言葉が、特に強調されねばなりません。

 列えば大きな、平たい水盤にニ種類の水草を、或る間隔をおいて立てると、その間を流れる水路は魚の通る路と解されることができるのです。(水の植物と陸の植物とは一般に一緒に用いるべきではありません。)

 盛花は花の構図に生々とした姿を与え、また閉じられた部屋の中でも、自然の近くにいることを感じさせる数々の道を教えてくれるものです。

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