日本文化と禅 技術と精神 頭でわかることとわからないこと 日本文化に共通する根源的な性質

Der Blumenweg - Eine Einführung in den Geist der japanischen Kunst / Herrigel, Gusty L.:1957  ネットサイトで見つけられる初版本の表紙、1957年が最も古い

鈴木大拙氏の序文が1956年というのは、初版の際にすでに掲載されていたということか。


◎ヘリゲル夫人の『生花の道(いけばなのみち)』には、アメリカで活躍し禅を広めた宗教家、 鈴木大拙氏が序文を書いている。鈴木氏は、その中で、日本では芸術を学ぶことは芸術のためだけでなく、精神的な啓発のために行われている、と述べている。とくに鎌倉時代以降、武家社会の日本に広まった禅宗の影響は、日本文化のさまざまな面に影響をおよぼしており、いけばなにもそれが表れている。オイリン・ヘリゲル氏は弓道と禅の関係について本を著したが、その妻(墨絵といけばなの師範資格を得ていた)が書いたいけばなについての本は、より多くの人々に関心を持って読まれるだろうと考えていた。ヘリゲル夫人がはなだけでなく、水墨画を深く学んでいることも注目される。墨絵の線や空間、構図と床の間に生けられるいけばなの共通点についても触れているところは日本の美術論としても興味深い。

鈴木大拙氏の著作は欧米で大きな影響力を持っていた。戦後、日本の皇太子の家庭教師となったヴァイニング夫人は鈴木大拙氏と親しく尊敬する人物だったことにも表れている。鈴木氏以前では、英文で書かれた岡倉天心の『茶の本 The Book of Tea 』1906(明治39)年がある。岡倉天心から50年後にいけばなの本が出版されていることも興味深い。

いけばなは、根底で禅と結びつき、悟りを開くための瞑想に例えられる。あらゆる人に身近な暮らしのなかで、日常のストレスから脱して心の安定を得るための「優にやさしい」(上品でやさしい)生活文化と言える。

鈴木氏の序文は難しく、まさに日本文化のわかりにくさを示している。ただ、わかりにくいことをわかりにくいままに心に留めていくことが大事なのだと思う。


◎世界最大の書誌データベース、ワールドキャットオルグによると、

http://worldcat.org/identities/lccn-n87881242/ 

1957年から2019年にかけて6言語で出版された61版が、世界中の414のWorldCat加盟図書館に所蔵されている、とのこと。

これは、影響力としては、かなり大きなものがあったと言えそうだ。

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 どんな芸術にせよ、人がそれをやろうと努力する場合には、その芸術に次の二つの面があることを意識せざるをえない瞬間がやってくる。すなわち形而上的な面と実際的な面頭の働きで分る面と分らぬ面、印度哲学の表現をかりれば、”プラジュナ”(Prajnā)”と ”ヴィジュナーナ”(Vijnana)”との面である。例えば絵画の実際的な、頭で分るヴィジュナーナ面とは、絵筆を持ち色をまぜ、線を引くことである。ごく一般的にいえば、絵をかくことの技術である。

 しかし技術に上達しただけで吾々は満足するわけにはいかない。我々は意識の奥底にまだ何か到達すべきもの、発見さるべきものがあることを感ずるのである。教えたり学んだりするだけでは十分でなく、それだけでは芸術の秘境にはいり込むことはできない。そして我々がこの秘密を体得しないかぎり、芸術はほんものではないのである。こういう不思議なことは形而上学に属することであって、分別知のとどかぬ世界である。それはプラジュナから、すなわち分別知を越えた知恵からでてくるのである。西洋の精神は技術とその精密な分析とによって荒らされているのであるが、東洋の精神は反対に主として神秘的であって、存在の秘密といわれているものと取り組んでいる。

 ある意味において人生は芸術である。人生が短いにせよ長いにせよ、またどういう事情のもとで生活せねばならぬにせよ、我々はみななんとかして人生から最上のものを作ろうと欲する――生きる技術の点からだけでなく、人生の意義を会得するにも最上のものを得ようと。このことはしかし、人生の秘義の微光(ほのあかり)をつかむことを意味している。こういうわけで日本人はすべての芸術を、人生の麗わしさを洞察させてくれるような修練の一形式と見ているのである。この麗わしさは一切の分別的な頭の働きを越えたもので、それが役に立つかどうかは問題にならない。それは人生の秘義そのものである。この意味で禅はいろいろの芸術、絵画や茶や生花、剣道や弓道その他と密接なつながりをもっている。

 故オイゲン・ヘリゲル教授の著書、”弓と禅”はアメリカの学者の間にいまもって強い反響を呼んでいる。コロンビア大学のギルバート・ハイエト教授は最近公刊されたラジオ放送”禅の秘密”の中で次のようにいっている、”二、三年前に私のところへ或る本屋が一冊の小さい書籍を送ってきたのでざっと目を通した。”これこそ外ならぬヘリゲル博士の書物であったが彼はその当時考えた。”まあ一体、私自身や私の知人達の生活にとって、禅宗と日本の弓道というもの程緑遠いものがあろうか” と。そこで彼はその本を片付けてしまったのである。しかし明らかに、何か彼が  ”忘れることができなかった” ものがその中にあった。その後彼はも一度その本を読もうとした。”今度はそれは以前にまして一層奇妙に、一層忘れ難いもののように私には思われた。それは私のもっている他の興味と結びつき始めたのである。私が日本の生花芸術について前に読んだことがある或るものとつながりをもち始めたのである。その後私が ”俳句” という日本の詩について論文を書いた時にはさらにまた別の結びつきの項目が生長し始めたのであった。”

 ハイエト教授がとうとうこの本を終りまで読み、禅と弓とについていささか得るところがあった後、彼はヘリゲル夫人に言及している。”博士夫人は在日中に、二つの最も麗わしい日本の芸術、墨絵と生花の師範の資格をとった〃と。さらに括弧して、”誰かが彼女を説得して、”弓と禅”に対応する”禅と生花”という本を書いてもらえばよいのに。その本なら一層広い範囲の興味を呼ぶであろう”と付言している。ところでこういう風にアメリカの批評家が、ヘリゲル夫人が夫の書物の姉妹篇を書くようにとの希望を表明している間に、彼の女はもうそれを完成していたのである。私はこの書物がドイツ語で出版されるとすぐに英訳されるように望んでいる。

 日本では芸術の研究は、たんに芸術のためにではなくて、精神の照明 (悟り)を得るために行われるのである。若し芸術が芸術だけにとどまっていて、もっと深い原理的なあるものへと導き入れないならば、すなわち術が何か精神的なものと同義とならないならば、日本人はそれを学ぶ価値のあるものとは考えないであろう。芸術と”宗教”とは日本文化の歴史の中ではそれ程内面的に結びついているのである。生花芸術は字義通りの術ではなくて、はるかに深い人生経験の表現なのである。ソロモンの栄華に決して劣らなかったあの”野の百合”を想い起させるように、花は生けられねばならない。野原に咲くつつましやかな野草(なずな※)をすら、十七世紀の日本の俳人芭蕉は畏敬の念でもって眺めたのであった。というのはこの花が、術なき術である自然の最も深い秘密を告げ知らせているからである。

 私は読者諸君が本書を読まれる時、この精神の息吹に触れられんことを切望する。

一九五六年 二ューヨークにて  鈴木大拙


※(訳註) 芭蕉の句「よく見ればなずな花咲く垣根かな」を指す。

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