シャコガイの写真 『伯爵大隈重信家写真帳』と永島四郎氏所蔵の8個の器
【 大隈重信家のシャコガイ 】
幕末の動乱期から活躍し、政治家、教育家、産業育成者として知られる大隈重信伯爵( 1838~1922)は、大の園芸好き、庭園愛好家でもあった。早稲田大学に隣接する邸宅内に広大な園芸場と温室を持っていた。大隈の園芸関連の写真は数多く残されており、ネット上でさまざまな写真を見ることができる。
下は、『伯爵大隈重信家写真帳』にある盆栽棚を写した一枚だ。大隈が愛蔵していた盆栽はさいたま市大宮盆栽美術館に名品が残されている。この写真で目を引くのが、大きな「シャコガイ」である。波打った貝が上下で重ねて見えるが、拡大してみると、貝は2つあってそれぞれに植物が入れられているようである。もともと1つなのか、そうでないのかはわからない。
『伯爵大隈重信家写真帳』にある盆栽棚の写真(部分拡大)から
◎『伯爵大隈重信家写真帳』早稲田大学のサイトから
https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/search.php?cndbn=%E4%BC%AF%E7%88%B5%E5%A4%A7%E9%9A%88%E5%AE%B6%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B8%B3 この、巨大なシャコガイについて、写真以外の情報はない。
ただ、これだけ大きなものなので、パラオなどの南太平洋、ミクロネシアの島々に由来するものではないだろうか。いろいろな想像ができる。貿易や移民で日本と関係のある島々との関係、外国のお客様からの贈り物であったのかもしれない。
大隈が出た佐賀、鍋島藩は、早い時期から小笠原島との関係があるので、そちらとの関連もあるかもしれない、などと夢想する。
【 永島四郎氏所蔵の8個のシャコガイ 】
下の写真は、永島四郎氏の著作『華のデザイン』1957年 に掲載された作品である。戦後に洋ランの展示会で制作された華やかな作品だ。洋ラン、ストレリチアなどエキゾチックな花々のほかに、文旦や白い砂などでおもしろく装飾しているが、なんといっても大きなインパクトがあるのは、シャコガイが花器として利用されていることだろう。
永島四郎氏の随筆で、このシャコガイの由来について、兄(義治氏)が日本郵船の重役をつとめていた関係で、戦前(婦人公論花の店の時代)に8個を手に入れ、装飾に使っていたと述べている。日本郵船は国内外に定期航路を持っており、南洋と行き来する船もあった。
このシャコガイは、永島氏が大切につかってきたが、人にあげるなどしてだんだんと減ってしまった、と書かれている。