花の宣伝について 吉田鉄次郎   昭和7年 『実際園芸』1月号

編集後記と吉田鉄治郎による花の宣伝についての意見

「実際園芸」昭和七年1月号(1932年)の編集後記は次のように書かれていた。

世の中は世界恐慌のあおりを受けて不況が続き、さらには東北で飢饉が起きていた。

そして満州事変である。

それでも、園芸は好調であったようで、雑誌の売れ行きもいい(そのために、値下げも実施できている)。隔月で増刊号を出すと予告し、実際に出版された。これまでの花卉だけでなく、野菜や果実関連の情報も充実させると言っている。

「花の宣伝について」

吉田鉄次郎氏は永島四郎氏と同じ頃に渡米し花屋の仕事をしていた。彼はシカゴ等、東部で経験を積み、帰国し、玉川温室村の経営者が共同で出した新宿の「みどりやフロリスト」の支配人となった。場所は新宿御苑や新宿2丁目周辺にあった繁華街に近い場所だった。

この記事では、昭和6(1931)年4月21日に東京生花商組合の設立記念イベントについて厳しい意見を述べている。この日は、美しく装飾された花自動車50台以上が都内をぐるりと回った。日比谷公園では花の展示も行われたという。詳細については『園藝探偵』第2巻(2017)で紹介している。吉田はこの花自動車の経費を一台平均200円と見ている。記事では仮に20台として4000円と書いているが、実際は50台以上出ていたので、10000円以上の総経費のイベントだったようだ。(お米の値段で換算すると、当時10キロ0.32×6.6円、現在を4000円とすると、約2000倍となるので、当時の200円は40万円、1万円は2000万円ほどになる)

『園藝探偵』第2巻 2017年 誠文堂新光社


編集後記   一九三二年の春に 石井 生 

(石井生=石井勇義 『実際園芸』1932年1月号)


 十二月八日の夜二時、今この新年号の編集後記を書きはじめて居る。この一週間といふものは御来訪の方々への御面会もお断りして毎夜おそくまで仕事にふけつて来たのである。今年の新年号よりは大きな自信のうちに百パーセントの活動を続つゞける事が出来た事を喜んで居る。去りゆく一九三一年は、この「実際園芸」に対して相当に努力を続けて来たが自分としてはあまりにも熱が足らなかつたやうな気がして、今それをお詫びする気持ちで一杯である。来る三二年には多数の愛読者各位の支持の下に全く更生的活動をお約束する。

 満州事変東北地方の凶作等、不況にかてて加えて傷ましい事ばかりであるが、満州事変に対しては国家的義憤と熱誠をもってあたるべき時である。東北同胞の凶作に対しては人類愛の下に一掬の同情を分ってゆき度いと思ふ。しかし世は不況に際しても尚本誌は些の打撃をうける事なく益発展してゆく喜びを読者の前にお知らせする。本誌も近く値下断行に進むつもりである。

 又、今後はさきに発刊した「蘭・万年青・ 巻柏(イワヒバ)」の増刊と同型同大の増刊を隔月位にやってゆき日本の園芸界に新しい地歩を踏み出してゆく計画である。次回は二月中旬。

 新年号からの計画としては、本誌の内容を花卉園芸に重点をおく外に蔬菜、果樹に対しても平衡的努力で進んでゆく考である。毎号「特産蔬菜の研究」として全国的の本場ものに対し極めて実際的な篤農家の経験を発表してゆくつもりで、今月号は千住根深葱で、現下日本一と称されている埼玉県下の特産に就てである。今までにこうした眞に篤農家の経験そのままの発表は見られなかったもので一つの新境地の開拓と信ずる。

 連載記事として、高級園芸市場理事長伴田四郎氏の切花の生産と販売法であるが、これも今月は序詞に過ぎないが、来月号から各論に入り、目下多大の犠牲を払って調査中の切花取引に関する詳細なる統計が発表されてゆく事になって居る。次号からをお待ち下さい。

 其他の記事として三木博士の切花の保存に関する研究があり、これは二月号にも及ぶ貴重なる研究である。それから興津園芸試験場の高橋技手の温州蜜柑に関する研究も、同氏が斯界の権威者だけに興味ある名発表である。羽鳥信吉氏のペチュニアのご研究も来月号に及び発表されるし、カーネーションの権威者犬塚卓一氏のカーネーションの品種についての解説は全く標準的のもので、これも二、三ヶ月に亘って発表される事と思ふ。その他パパウの話、スズランの促成方等充実した記事ばかりである。「農事試験場めぐり」の記事は今月から毎月連載してゆく予定であって、次回は●●●●●農事試験場のつもりである。(※コピーが読めませんでした。申し訳ないです。)


アメリカの花屋のショーウインドウ
ガラスの上部に「Say it with Flowers」の文字が見える


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花の宣伝について

みどりやフロリスト  吉田鐵次郎


 花の宣伝、是に私は如何にして花を一般化させるかと云ふ目的を有(も)たせたいと思ひます。現在誰もが花は美しいなと云ふ域を通り越えて花が欲しいと思っています。

 然しながら正直な処市井の販売店に見らるる様な位ではなかなか一般には使ひ切れるものではないく、又花をどうして使ふかと云ふ事即ち花をより美しくよく飾る方法が多く人々にのみ込まれていないと云ふ処に花の使用が一般化されない理由があると思ひます。

(前号本誌に記載の標語”Say it with flowers ”は種々な意味で宣伝の目的を如実に説明していると存じます。)

 花の使ひ方を分類して考へてみますと、日本式と西洋式とに別けることが出来ます。日本式即ち華道に数へられる方面のものは、古くから多くの宗匠が取扱われて居られ、日に日になかなかの進歩の跡を見せて居られます。で、私は西洋の花の使ひ方をどう宣伝するかに付て御話したいと存じます。


 西洋花の栽培は今日長足の進歩を遂げ、営利的には、広面積の温室に、或ひは露地に見事に咲かせ、各家庭に於ても園芸趣味の普及と共に露地やフレームの栽培に飽き足らず、小坪の温室を建設する人々さへも所々に見受けられる位になって参りました。そして花卉園芸が立派に一営利事業として認めらるるや、近頃の温室栽培者の増加の傾向急であることはどうでせう。

 この様にして西洋花(せいようか)の出荷量も急増に急増して参りました。将して(はたして)いつの頃その頂上に達するか想像だも及びません。かう云ふ状態にあって現在及び将来栽培者の採算がグラフにいかなるカーブを描いて行くか、そしてそれに対して生産過剰と云ふ難関を目睫(もくしょう)に控へながら、栽培業者及び販売者がその生産物をどう云ふ風に顧客にサプライするか、栽培販売共に勿論営利事業である以上栽培者も販売者も花の美しさを賞へる前に、採算の立つ方法を講じて置かねばなりません。

 「採算の立つ方法」是には積極的な方法もあれば消極的なものもあり色々とその途(みち)の人等に依って考へられてゐる事でありませう。



 然しながら、西洋花の需要量を増加せしめると云ふ事がその中心をなすものであると思ひます。供給の立場にある私は、需要量を増加せしめると申しましたが、全く増加せしめなければならないのでありまして、消極的に増加を待っている様では到底破滅以外の何ものでもなくなるのであります。然らばどうすれば需要量を増加せしめるのかと云へば、則ち一般に買ひ易く供給すると同時に種々な条件に適応した利用法を充分一般に知らしめる事が其の最も重要なものだと考へられます。此の様な事は私共が喋々(ちょうちょう)するまでもなく、花卉を取扱っていられる多くの人々は皆既にこの事に御留意あり、而も、此の目的を有った花の宣伝法を探ってゐられることには私は深い感謝を捧げるものであります。

 次に宣伝の実際方法に就いて述べたいと思ひます(文中二三の実例を挙げますが、是に依って直ちにその批評だと考へられては甚だ迷惑するものでありまして、各先輩の採られた方法に対して何等言を差し加へるのでは決してないのであります)



 費用を掛けて宣伝する場合に一時に多くの費用を掛けて実に華々しく計画するよりも徐々に好機を捉へてはきびきびとした宣伝をする方がどんなにか効果的でありませう。例へば嘗て行はれました花自動車の大行列に就て考へてみますと、あの方法もあっと云わせた誠に立派な方法で勿論私達も参加いたしました。あれに費やされた労力、費用等は莫大なもので一台二百円平均掛けられたと致しましても、二十台で実に四千円であります(仮定)。

 仮りに此の四千円を一年間の吾々の斯業者の宣伝費として置き、毎年東京に於て開催される色々な行事の際、一二台の花自動車を出すことはその観覧者の多数であること到底小一団体の催し物の比ではありません。又是はいささか脱線するが、生花自動車に造花自動車も入れてその比較を一般に知らさせる等は皮肉だが思ひ付きかと存じます。



 其他東京市に於いてもバザー等の会合が屡々行はれている様ですが、それ等に対して適当な花を寄付する、その販売にも斯業者が奉仕的に当たって色々と趣向を凝らす等も表面には奉仕だけれど露骨には実際よい宣伝となると思ひます。又是は春秋期非常な人気のある六大学野球リーグ戦で思付た事ですが、是等も花の宣伝に対して立派なチヤンスであり得るのです。即ち各大学の旗の色に合はせて男はその色の花をボタンホールに、婦人はコーサーヂブケにして胸に或いはその花束を手にして夫々(それぞれ)の学校に応援させる、出来得る限り各大学のスクールカラーに似た花を得たいものだが不可能な時にはそれを適当にこちらで定め是を正月の飾りの様に、しなくてはならないものにしてしまふ。かうしてしまふのは斯業者の努力で容易になし能(あた)ふものであります。

 そのためには一二シーズン、斯業者が前述の宣伝費のいち部分を割いて花を入場者に提供するのです(或いは三塁側は赤カーネーション、一塁は白バラ等の様に)かうしている間に群衆の心理は大変な勢いで各色の花を花屋から奪ひ去る様になるでせう。



 此の様に考へ来たれば宣伝の好機会は決して少なくはありません。この少くない機会をつかんでは例の四千円の費用を適切に費やして行く、その費用から時には入場無料のフラワーショウを催す。此の様に方法を講じさへすれば充分な効果を得られると私は信ずるのであります。多額な費用を掛けての宣伝に就いては此の位で切り上げますが、要するにフロリスト自身が一般需要者に種々に適応した西洋花の利用法を教示する、即ちフロリストが需要者を常にリードすると云ふのが根本の問題だと考へるのであります。むやみに花を売ろうあせらないで顧客をして如何にして花を使はせるかと研究すべきだと存じます。それが私の考へています最もよい宣伝の方法だと申上げたいのであります。


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