バディ・ベンツの花の学校で学ぶ  2週間、10日のコースで材料コミコミ125ドル

 

8ミリフィルムカメラで動画撮影しているようだ。https://ainomono.blogspot.com/2022/04/blog-post.html

『小原流挿花』 1957年6月号


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☆アメリカのおはなの学校☆ ―ベンツさんのこと

編集部


 ”ベンツ・スクール”ときいても、私達日本人の耳には全然おなじみがありません。しかし、アメリカにもはなのいけ方を教える学校があって独創的なはなの飾り方を研究している人達が多勢通っているときけば、日本はいけばなの総元締と思っている私達もそれはそれはと、目をむいて見直したくなって来ます。ベンツ・スクールというのはテキサスにあり、その様な花のデザインの学校の一つです。

 その学校の経営者であり、ガーデン・クラブの会員であり、花のデザインの専門家であるミスター・ベンツが、先頃、御影の家元邸を訪れられ、折からいけこみ中の神戸花展で、流人の活躍ぶりをつぶさに見学、カメラにその情景をおさめて行かれました。

 アメリカの花屋さんには。必ず花をデザインする専門家がいて、注文に応じて、花の飾りつけをするらしい。或時はそれがバラのアーチであったり、或時は胸につけるコルサージであったり、出張して行って飾りつけて来たり、買いに来た人に作って渡したりするわけです。日本のいけばなとは全然発端からして違うわけですが、日本では仏への供花から上流社会の室内装飾ともなり、やがて町人階級にも普及し、婦女子のたしなみともたり、現代にいけばなの先生という職業が広くゆきわたっているのに対して、日本の様に安い花が日常手にはいるわけにはいかないアメリカで、花屋につきものゝ花のデザイナーという職業が、専門家として必要されているということは、全く対照的で面白いと思います。

 日本のおはなの先生達の中から、段々花のデザイナー的方面への自由な活動を伸ばして行く傾向は、すでにどんどん出て来ました。手近かな所では、銀座のウィンドウをひき受けるとか、パーティーの室内の花を一切受持つとかいう場合です。又アメリカの花屋さんのデザイナー達の中から、より精神的なものを日本のいけばなに求めたり、日本スタイルの花の基本を習ってそれを他人に教授する人なども出てくることでしょう。

 教えること、飾りつけの技術で立つこと、更に作品を買われるということ。これ等各面のいけばな人の活動の中日本では第一の教授面だけが発達しています。そのための組織も出来上っています。しかし自由な創作活動としてはアメリカの花のデザイナー的な面に、大いに伸びて行くべきだと思われます。

 べンツさんは、今回の訪日は、観光団の一員として団体行動をとりながらの旅で、思う様にゆっくり出来ないのが残念で、又秋頃、今度は十分に日本のいけばなを見に来たいと家元におっしゃったそうです。アメリカにはすでに日本のいけばなが大分はやり出しているけれど、″中でオハラ・スクールの花が一番自分にはぴったりと来る″ので、再度来日したら又きっと家元の所を訪れて色々お話をしたり見学させて頂きたいとおっしゃって帰られたということです。

 冷暖房装置のある教室、新鮮な花材、花器、小道具大道具、等々の揃ったベンツ・スクールには、スクール・バスのサーヴィスもあり、売店の設備も整って居り、これからデザイナーになろうという素人、花屋さんですでに働いている人、店を持っている花屋さん自身、等々が熱心に講義をきゝ、実習をし、スライドを見て、花のデザイナーとして世に立つべく勉強しているのです。

 教科書はベンツ氏の著書” Flowers :  Their Creative Design " (花・その創作的デザイン)という15ドルの本で、写真を豊富に入れてあらゆる角度から、花のデザインを説いたものだそうです。

 読者の皆様の中でも、折があってアメリカに行かれた際は、ベンツ・スクールに限らず、その様な学校で、向うの花を見て来られるのもよろしいですね。ベンツ・スクールでは、一週五日制で二週間のコースが毎月開かれて朝の九時から四時までの授業で、授業料は百二十五ドル、この他には材料費とか何々費というものを一切払わないでよく、一クラスは小人数で、一人一人にベンツ氏が詳しい指導をされるのだということです。

 *1ドル360円時代として、日本円で45,000円。当時、大卒の国家公務員の初任給、月額9,200円

 ″職のためというより、自らの経歴のためにベンツ・スクールに学びなさい。この学校の卒業証書は何よりの推薦状になる″というのが、うたい文句のようですが、芸術家と事業家の素質の、稀に見る結びつき、と自他共に許すというベンツさんが、小原流のはなに興味を持たれて、おそらく大いに又吸収応用して行かれることでしょう。

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