「供木よ、安んじて征け」 林学博士 上原敬二 (『山林』1943年4月号)
戦時中に全国で大木が供出を求められ、先祖代々の屋敷林からご神木のような立派な木が伐採されていった。日本軍の劣勢を挽回するための「木造船」をつくるためであった。
ただ、せっかく切っても船には使えない木であったり、巨木だが、材の内部がウロになっていて使えなかったり、切ったのにトラックがなくて運べないなどひどいめにあった巨木が多数あったという。林学博士の上原敬二はそれを嘆いている。お国のために木を切るのはしかたがないが、むやみに切ればいいというものではない、よく調べてからやれと言っている。
戦争に協力しないわけにはいかないが、できるかぎり、歴史的な財産である巨木を残せるように考えて考え抜いて書かれた文章だと思われる。
(2021年8月9日にFacebookに投稿したメモ)
◎「山林」昭和18(1943)年4月号 「供木よ、安んじて征け」 PDFファイル
http://sanrin.sanrinkai.or.jp/pdf/1350260776/0725.pdf?#page=12?
****************************
供木よ、安んじて征け 林学博士 上原敬二 (『山林』1943年4月号)
屋敷林、並木林等の伐採問題も各地に相當な反響を呼び、或るものは軌道にのった形であるやうに見受けられるが、中には唯々この大勢に附和雷同して前後の見さかひもなく真に貴重な立木を惜しげもなく無関心で伐り倒し、時には伐ったあとで使ひ途にならぬやうなものであったり、無理解から・持主の反対を押し切つて強制的に伐採したとか、或は技術に暗い爲に伐木に當って怪我人を生じたとか、伐り方がわるい爲に折角の長材を用途にならぬやうにしたとか、かういった噂が次第に耳に入るやうになった。
當局は決して屋敷林の強制伐探を命じてゐるのではない、並木林伐採について昭和十七年十月二十七日山林局長より知事宛に發した通牒を見ても風致、思想上其の他の支障なき限度に於て篤と調査した上に実施するといふ親心を示してゐる、何を風致とし、何を思想とするかは解釋の如何であるが風致といふやうな問題になるとそこに主観性が多く加はって容易に判定されるものではないと考へるし、思想といっても考へて来れば左とも右とも思はれる判断もされ得る。最近には全国に供木協議會の如きものが出来、まづ調査表を作らしめ、それに基いて伐採の順序を定めるといった安當な方策も発表されてゐる。然し一方造船業界よりは一日も早く供木を希望し、明日の大量よりも今日の差し迫った少量を希望してゐるのは無理もない。然しさればといって無暴にも選木を誤ることは取りかへしのっかぬ問題に逢着する。筆者は伐木のかうした一大運動に反対するものではないが、一日も早くその適當なる示達が徹底することを希望してゐる。選木、伐採法、造材法、後継樹問題、かうしたことに對して一私見を逑べたい。農林省は供木者に對し苗木を下附するといふがこれを受けたものが唯それを植付けたとて将来の成木を見ることは保證出来ない。
供出木としてはケヤキ、カシ、タブ、シホヂ、マツ、スギ、ヒノキ、ヒバ、エゾマツ、モミ、ツガの十一種、大さは目通直径一尺五寸以上、カシ、シホヂに限り一尺以上、搬出しやすい屋敷林、公園、社寺境内林、並木林、平地林等を希望してゐる(供出の方法については省く)
この中特に問題になるのはケヤキ、マツ、スギの三者であらうが、その材が果して役に立つかどうか、この選定が第一である。唯大さのみから判定したとて何にもならぬ。腐りやウロの入った材、脂のぬけ切った老齢木、弾力のないやうな材、かかるもので大切な船を造って見た所で命を的にする船員の乘り込む船として果して適するかどうか、造船業の側から云へばマツ、スギが第一、ケヤキは第二に希望してゐることを聞いた。船乗にはある地方では迷信がある。墓の樹、紳木等で造つた船を忌むといふが如き、勿論今日はさういつたことを唱へてゐる時代ではなからうが。
選木に當つては愼重に定め、しかも迅速を要する、筆者は東京の木材市場といはれる深川に生れ材木の間で育って来たが、幼時秩父の山深く分け入り、一挺の斧と槌とを腰にして幾日も露営の苦しみを嘗め、山蛭に畏れ、霧にまかれてケヤキの如輪杢やキシャゴ杢の材を探して歩いた昔しの山入りの材木屋の苦心談を聞かされた。一々伐木しなくとも幹の打診によりて勘といふか第六感といふかこれで材の良否を定めて買取りの約束をするといふ。かういふ貴重な経験の持主こそ今日金の鞋で探しても要求されるのではなからうか、さもなくとも木材と取組んで半生を送つた人の勘科学上の鑑定を凌ぐともそれ以下ではない筈だ。木材の性質を立木を見て判断することなど當然現在すでに木材學者が行ってゐてよかった筈ではなからうか。
一体屋敷林といふものは持主にとって伊達な飾りではない。それに對する愛着は到底門外漢の知るところではない。子孫の爲に用材を供し、枝條は燃料、落葉は堆肥、間伐小丸太は農家として何年目かに必要とする。家に對しては防風、防火、防砂、防寒、防潮の保安的効果あり、日除となり、家格に對しては威容を示し、家族の醇風を招致したもの、その存在價値は單なる利用を目的とした山林の樹木とは雲泥の差異であって、思想、精神、風致、風格を培つて今日に到ったものである。かくの如き郷土的土着心の源泉となったればこそその家に生れ、その土に活き、兵農一如の思想は涵養され、その精神は凝って一朝有事に際し忠烈無比の勇士の心と化したのである。樹林の恩恵はかくの如く無形に大なのである。その根柢を斷ち切って供木しやうとする心境に對しては、我々は何の辞を以てこれに報ゐてよいか分らぬ。心なき人々の手にかゝつて伐木される樹木の心にもなって考へたい、少くとも木魂祭、樹霊慰安の式でも行ってから敬虔な心持ちで斧を加へて欲しい、古来神木とか賽木とかいふものを利に誘はれて伐り倒し子孫が絶えたといつたやうな話は各地にあるが樹霊の怒りこそ恐ろしい。植置かれた祖先も、百数十年の間、家を守った樹霊もこの同家存亡の秋に国家に応召することを考へたならば心より満足を示してくれるであらうが単なる伐木とのみ思って輕々に着手することは慎しまなければならぬ。金属供出のやうに簡單な心で行ふことは避けなければならぬ。少くとも形式として調書を残し写真にとり、繪に留めて子孫をして古へを偲ぶの教材としなければならぬ。尚、材の方より云ふのではなく、(即ち直径の大小でなく)枝張りと高さより判断すれば今日他の材料を以て補ひ難き防空、遮蔽、迷彩、避難、待避の用をなすに充分なる樹林は決して無理に伐採するものではないことをこの際強調して置きたい。家に梓あればその家安全なり。故にこれを木王といふといった言葉はそのまゝ移して屋敷林の精神となる。
並木林に於ては個人的な関係こそ少いが国土の誇りとし、風景美の王座を占め、神社参道の偉観を添へたものである。それこそ郷土、国家を挙げてその存在を讃へたものである。広重描く處の松並木はその美しさに比例して用材とはなり得ない殊に海岸防風の用に役立つ並木の如きは餘程慎重であって欲しい。神社境内林に到ってば更に思想上匸影響する處少くない、公園に存するものの如きと一様に考へられるものではない。その風致を如何にするか、たとへ間伐、擇伐とは云へ充分神社林構成と森林とに関する知識あるものの意見を徴して行ふべき重要さがある。供木の声高らかに唱へられる折柄かかる御神社林伐木に對し神祇院あたりの何等の声明のないのはどうしたことであらう。由来樹林とは個々の樹木の集団ではあるが、一木の性質に通じたとて、全林の性質は判定されるものではない、樹林はそのまゝ樹林としての全体的性能がある。宛も個人の心理に通じたものが直に移して社会心理を理解することの出来ないのと同じである。経済林の擇伐と神社林のそれとはその判定に雲泥の差異がある。
愼重にして迅速なる選木を終へた後には独立木の伐木であるが、造船材には根曲材の利用といふことが大切である。根張りをそのまま利用し、玉切りにも注意が要る、樹林をなすものの伐木は皆伐、塊伐(一部分集団的に伐木す る意、抜き伐に非ず)の場合は右に準ずるも、擇伐間伐に ついてはその伐り残されたる後の樹様の状態に深い考察を 加へて貰ひたい。
元来樹林は長年月の間に集団をなして生育して来たものであるからその一部分が伐除される時は残つた樹林は相當大きな影響を與へるといふことを念頭に置かなければならぬ。風致問題も大切だが生理的に次に来るものに対して深い靈が拂はれなければならぬ。
それは日射の変化、水分(空気中、地中とも)分布の変化、蒸発、通風の関係が主である、中木、幼木に対しては急激なる日照を来す爲に霜割れ、陽割れ(皮焼け)の害を来し、接したる伐木により根の切断、通風良好となる爲めの生育阻害、環境の不良化を来すこれに対しては造園的な保護、手入の必要もあるし土地の取扱、保護樹の植栽等も時に考へなければならぬ。経済林であればさうした憂慮も少いが小集団林にあっては是非ともかヽる配慮を要する。
それよりも残された樹林の風致的価値の維持を如何にするか、その生育促進は如何、これをなさずして単なる伐木で済ますといふのであれば身を捨てゝ應召する樹木にとっても、長年の間倶に生育して未だ同志に対して後髪を惹かれるの心残りであらう。後顧の憂なからしめて安んじて征ってくれと冀ふのは人も樹林も変りはない。大分感傷的に樹林を見てゐると批難されるかも知れないが、明ても暮ても生きた樹木と取組んで半生を送って来た筆者にとってはそれを見ることを肉親以上のなつかしみを感ずる心境を容して貰ひたい。
伐採跡地は木片や根の断片で埋めてはならぬ。薪材の少い折柄、利用出来る限り根を掘上げて用い、松ならば松根油の原料にもならう、その跡は肥土で埋め戻しそこに後継樹を植ゑる。献木したものには苗を送るといふが果して何の種類を選ぶのか、その如何によってはさう易々と生育し得ない、本日まで百年の間に成木した大さは今後の百年にあっては期待し得ない、それは環境が百年以前の植付當時に比べて遥に生育上惡くなってゐる、苗の大さ、肥培法、植方、手當法、整地、日射、季節等に亘って真に親切な指導があって欲しい、祖先が周到に考へて行った植付法は今日にあっては更に一層科学的に合理的なる技術を以て補はなければならぬ、掘取ったあとに無造作に植ゑたとてそれで成木するものと思ったら大きな錯誤である。
第二代の後継樹が再びかうした目的の下に伐られることのない様に永遠の平和を企図すればこそこの聖戦の火ぶたは切られたのである、然し世の転変は測り知られない、複雜な国際状勢は如何なる覚悟を我々の子孫に再び求めるか分らない、そこに次代を負ふて立つ後継樹の大切さが潜んでゐる、一日も早く第一代の樹木に追ついて再び屋敷を飾り、国土美の中枢をなす並木林を現出せしめなければならぬ、そこに指導に當る林学、造園の職域に身を挺する人々の責務がある、その方途にして一歩を誤らんか、何の顔あって子孫後裔に見えることが出來やう、何事も消費の現在、建設に與る後継樹植栽の仕事こそ親身になって研究するのが今の急務の一つではなからうか。冀くはかうした指導方針の一貫した(地方性を加味)施策こそ各方面林務當局に切望してやまない。要は実行である、それには普及策がまづ考へられなければならぬ。贈らるべき苗木を無用の枯木となさざらんが爲に添へるこの示方書こそ贈り主の暖い心遣いといふべきであらう、それこそ紙一片の感状よりも遙に勝るものといふべきであらう。
アメリカに於ても木造船建造を急いでゐるといふ、前世界大戦の直後米目南部を旅行した筆者はメキシコ湾に於て不用になった役にも立たぬ(構造上より)五百噸以上の木造船を海上で焼捨ててゐる残骸をいつか目撃してゐる、木造船技術に於て劣ってゐる彼国の増産は恐るるに足らぬ、言葉通り国家有用の材を供出するのは今日を措いて他にはない、然もそれは急がなければならぬ、同時に慎重熟慮を加へなければならぬ。
數日前の昭和十八年二月中旬所用あつて宇都宮へ旅行した筆者は序を以て何時応召供木の命が降るかわからない日光の杉並木に別れを告げて来た、見納めになるかわからないと思ふと暗然として樹下に立って梢を仰いだ。「應召の樹靈よ、心をきなく安んじて身を捨てよ、あとは我々で引受けた」と、これがせめてものその時の筆者の心の餞であつた、さうして我知らず樹下に芽生へた無心の小苗を引いて持ち返へったのである。唯願はくばこの供出が全国供木の最後のものであらんことを祈った。さうしてこの小苗の長じて再び母子対面の日のあらんことを再び心に釿って帰つたのであった。