わたしたちは、花に何をしてあげられるか EXPO'90 花博のプレイベントで開催されたシンポジウムでの議論
EXPO90 第一回花の万博国際シンポジウム 『花と人』開隆堂出版 1988(昭和63)年
●1990年に大阪で開催された「国際花の万国博覧会」では、準備期間中に4回にわたるシンポジウムが行われた。それぞれ、記録が書籍化されている。
●『花と人』は1987年11月25日、26日に大阪国際交流センターで行われた第一回シンポジウムの記録である。
●花に感謝すること、花から学ぶ、花(自然)に対して人間はなにができるか、というような発言が印象的だった。
●今回はパネルディスカッションのなかでフランソワーズ・モレシャンさんの話を抄録する。すばらしい発表で、とくに「忘れずに」という言葉が印象に残る。
●パネラーは、
井上恵子、高橋叡子、入江泰吉、中山尚子、オーテス・ケーリ、フランソワーズ・モレシャン、如月小春の各氏。 司会進行は小松左京氏であった。
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【フランソワーズ・モレシャン】
Francoise Morechand ソルボンヌ大学日本語学科卒。NHK「楽しいフランス語」講師を務めたのち、シャネル美容部長として再来日。その後ファッションアドバイザーとしてマスコミに幅広く活躍中。
それでは、モレシャンさん、たいへんお待たせいたしました。どうぞ、モレシャンさんにとって、花とは何かをお話ください。
そうですね、ではできるだけ短く申しあげましょう。
皆さまのお話、とても興味深く聞かせていただきました。とても、勉強になりましたね。それで、もちろん私も申しあげたかったことが、今までのお話の中で出ましたのでよかった。それだけでも時間が短くなりますね。でも、最後としては、浅い話にならないかもしれません。楽しい話にもならないかもしれません。
私は、日本に来てもう今年で21年目です、おかげさまで。ありがとうございました。それで日本がとても好きでずっと残るつもりです。私は日本の美、日本の美しい物とか、伝統文化に惚れてしまいました。お花だけではなくて、漆とか、床の間とか、掛軸などといった日本の文化に本当に惚れてしまいました。けれども、惚れてしまいましたから、自分の文化を捨てるとか、忘れるということ、全然それはないです。もちろん、両方ですね。ですから、今日はそういう日本の美しさ、日本人に対しての心についてお話をすることもできるのですが、これから、21枇紀に向かってある而では、自分の伝統、文化を、今からさらに守りながらというよりも、国境なしで、それを現代に生かすということを考えていきたいと思います。守るという言葉は好きじゃない。なぜかというと、守るという言葉、ものすごく伝承という感じします。私は、伝統で充分だと思いますね。ですから、その日本の素晴らしい伝統、特にお花の伝統、というとススキとか菊とかを現代に生かしながら外国の伝統文化も上手に生かすことができる。それが素敵な21世紀のクロス・オーバーということになるのじゃないかなという希望で生きています。
ちょっと歴史的なお話から始めたいと思いますけれども、私の花との出会いは、私の生まれる前からあるんですね。それで、うちのおばあちゃまによく言われました。私のひいおじいさんはね、二人とも、お花が理由で亡くなりました。一人は、第一次世界大戦の時
ですね、ご存じのようにあの時、相変わらずドイツ人とフランス人は戦争していたの。それは長い長い戦争でね、ひいおじいさんたち、土地を掘って濠の中に、雨が降っても降っても、ずっと半年間我慢をして隠れているという状態でございました、ねずみと一緒に。食べ物はない、何もない。ある春ですね、爆弾が落ちて、濠のまわりの土地はめちゃくちゃになり、何にも、草一本もない状態になりました。そこに奇蹟的にですね、ちっちゃいお花が、一本咲きました。それで、うちのひいおじいさんは、濠の巾にいたその半年間自分の妻の顏も見られないし、手紙ももちろん来なかった。それでそのお花を見て、本当に絶対いけないことをしたのね。頭を出しては必ずやられると知っていたのに我慢できずに、花を見るために濠から立ってしまった。もちろん、その時ドイツ人に撃たれてしまったの。亡くなりました。戦争ですから、ドイツ人悪いと言いたくないですけど、みんなかわいそうでした。
その話は、もう昔々の話でしたけれども、私は、そういう話を聞きながら育てられました。もう一人のひいおじいさんは、フランスの南のプロバンス地方で、香水の原料を作っている工場のオーナーでした。それで、何と言いますかレコルト、日本語で収穫ですね。
収穫の時期、特にジャスミンの花は、朝の5時に集めすぐ持ってきて、工場ですぐ抽出しないと、いい香水作れないの。ひいおじいさんはとても真面目で、情熱的な人でしたから、家に帰らないで徹夜で、ジャスミンの抽出やっていました。まず花びら集めて、ちゃんと抽出やって、それで眠たくなっちゃって、工場の中でジャスミンの花びらの中で寝てしまいました。そしてそのまま亡くなりました。なぜかというと、ご存じのようにお花はすごい酸素いただくじゃないですか。
私の二人のひいおじいさんは、お花のおかげで、ある程度は素敵な死に方をしたと思いますね。
今度は、母の時代になりますけれども、第二次大戦、また戦争のお話ですが、でもいいじゃないですか、それも人生なんだから。できるだけそういう人生なくしたいです。私はその頃4歳だったのですが戦争がそろそろ終わる頃で、もう本当にパリで、何もない、パンはない、ミルクはない、もちろん肉もない、何もない。もちろんおもちゃもありませんね。それで、あるクリスマス、うちの母が、泣いていました。泣きながらキッチンへ行きました。私がそれまで見たことがない素敵な下着、戦争前の平和な時代の黒いサテンの下着をキッチンへ持って行くんです。それで、台所から出ましたらですね、今、私が付けておりますこの花を作って私に付けてくださいました。
とてもキザな話に聞こえるかもしれませんけれども、フランス人だから、キザではないです。自然です。私は日本で文化の話とか、おしゃれの話する時、よくキザだと言われますけども、ちっともそうではないです。フランスのライフ・スタイルですね。
それから戦争の間、おばあちゃんの家は、パリから80キロ離れてますが、そこもですね、何もない。田舎だから、チーズとか卵があると思えば、大間違いでございます。ですからおばあちゃんはその辺の花畑の花集めてあちこち飾って、「フランソーワズ、ね、パンはありませんけれども、お花がありますから、希望があるんです。いつか私たち、お花と一緒に自由になるんだから、頑張りましょうね」。お腹はペコペコでした。けれどもそういうことで、私がものすごく感じたのは、お花は美しいといくら言っても、とても建前的な考え方で、私たちは今、幸いなことに平和だから忘れている大切なことがあるのです。お花の美しさを言葉だけでなく心で感じることが必要、つまりお花のために、もっと努力してもいいじゃないかという気がします。
私の家は、母は絵描きでお父さんは普通の技術士でね、ぜんぜんお金持ちではないです。ほんとに、戦争が終っても、毎週何度も、フランスでも結構高いチーズを買うか、お花を買うかという問題がありましたね。だいたい、一週間おきにチーズ、一週間おきにお花。「やっと豊かになったから、お花が買える」じゃなくて、貧乏でもお花を買わないと、私たちの子供の心の中に何を入れるんですか。物ですか、コンピューターですか、テレビだけですか。それはフランス人の目から見るとちょっと寂しい話になりますからね。それで、そのぐらいお花のために努力をしたのです。
おばあちゃんと一緒に毎朝早く起きて、お庭行きまして、種を植えたところまでちょっと見て、「あ、まだです」チャッチャッチャッと土を直して、その一週間あと、「あっ1センチ、10センチ出ましたね、よかったわね」という感覚は今はもうなくなりましたね。今はインスタント時代ですからお花買いたいならお花屋さんに行って、気に入ったら、買う。お金を出せばいいという感覚だけなので、やっぱり危ないですよ。そう思いませんか。ですから。そういうお庭の中で、おばあちゃんに教えられたのは、良い意味の我慢。努力と我慢です。
もう一つは、おばあちゃんたちに言われたことは絶対でしたから、何でも信じたのね、今でもそうですが。「あのね、フランソワーズ、朝、夜明け前にバラの花びらの中の夜露飮むと美人になりますよ」と言われました。それで、できるだけ飲みました、一生懸命。(笑)このようにお花は美しいだけじゃなくて、もっともっと何ですか、深みがある夢まで教えてくれるんですね。ですから努力、我慢が大切。先日ある方から、お花は人間のためにあるとかという話、チラッと聞きました。もしかすると間違って聞いたかもしれませんが私はそういう考え方について、全然賛成ではありません。もっと私たちはお花を含めて生き物に、尊敬というよりも、尊重ですね。私たちもたまには、お花や動物のために生きてもいいじゃないですか。
そうするとですね、ケネディ大統領、大統領になった日のとても有名な言葉があるんです。皆様、きっと覚えてらっしゃるでしょう。”Don’t wait for what your country can do for you. Think about what you can do for your country." ちょっと待ってください、日本語でね。「国があなたのために何ができるのかを考えるのではなく、あなたが国に対して何かできるのかを考えてください。考えて欲しい」。私たちもですね、お花が自分のためだと思ったらすごく生意気ですね、人間て。お花にも動物にも存在があります。たとえば、ペットという言葉、大嫌いです。ペットなんておもちゃに近いでしよ。お花も、動物も、自分の存在を持ってますから私たちのおもちゃではないです。ぜひ、それを申しあげたかったのです。
おばあちやんに教えられたことは、お金をかけて遊びに行くんしゃなくて、自然の中で歩けば、それは遊ぴなんだ、という感覚でした。それは素晴しいことでした。そのおばあちゃんの家、売りました、一年前に。泣きましたわ、本当に。売る前におばあちゃんの家の写真撮りました。お別れの日でしたから、おばあちゃんが戦争の間にやってたことを、そっくりやったの。思い出として写真撮って。やっぱり、パンはなくても、食べ物はなくても、美しい自然があればなんとかなる。それは本当でしたね。
先ほど申しあげましたが、日本にきて20年になります。生花、下手ですが、ものすごく惚れてしまいました。着物を着て、落ち着いて生花をしますと感じますのは、座禅と同じですね、ヨガと同じです。本当に人の、人間の気持ちを抑えるんですね。ものすごく感じさせていただきました。ですから、フランスへ行きます時、そういう生花の良さを一生懸命宣伝させていただいています。
伝統と花、ちょっとそれはあまり意味がないです。やっぱりお花は、ただ美しいところだけを楽しんでもいいですし、見るだけでもいいです、毎日何回も日常生活の中でですね、目につくところに置いて見たいと思います。私は伊万里とか漆とか家具から日本の伝統を楽しんでいます。クロスオーバーしながら。東京の家では、最近家具は売ってしまっているのですが、猫と花は生活上欠かせません。特にお花は、原稿書く時ですね、ものすごく影響とか、想像力を与えてくれるんです。花ばかりでなく自然や生きものもそうですね。
家の中に飾るお花は、たくさんでなくてもいいのです。今、外人は、逆に、日本人の素晴らしい感覚をいただきまして、さりげなく、小さな生花でもあれば、狭くてもなんとかなるとよくわかってしまったみたいです。マンションは狭くてもいいのです。けれども、一角だけ、コーナー一つですね。いつも、心の遊びのために花のある余裕が欲しいですね。人形、まねき猫、昔のろうそく立てなど日本の伝統的なもの、モダンな絵、それから、お花もアジサイとか、和紙で作られたお人形や、先はどの掛軸。そんなクロスオーバーの時代じゃないかなと思いまして。寝室にも忘れずにお花が必要です。それからシンプルでいいから、普通のダイニングルームにも忘れずに。「忘れずに」それが私たちの感覚ですね。ギフトの時だけでなくて、本当に生活に入っているんです。フランスでは貧乏な家でもこのくらいの飾りはしているんですね、生活の一部ですから。
それで、今は大都会に住んでいるとですね、やっぱりギフトでもらうとか、自分で買うことしか考えられない。昔フランスではお花は自然の中、いわゆる外にありましたね。これからの時代は、逆に、外のために持って行く必要があると思います。つまり窓際です。大都会の中で窓際にお花をみると気持ちが休まりますね。先はどもこの話ちょっとでましたけれども、今はね、エクステリアとインテリア、外側と内側ですね、ちょっとクロスオーバーつぽく、お庭を中に持ってきます。外にですね、ちょっとベットみたいなもの持って来たりしてとか。
結論を申しますと一つは、お花は時期に戻って欲しいです、私。というのは、バラは一年中買うことができるでしょ。季節にふさわしくですね「あ、春だわ。バラ」「あ、1月ですね。ツバキ」とか、そのほうがたぶん人間には、ふさわしいんじゃないかなという気がします。結論に急ぎます。ちょっと大きい話になりますけれども、ご存じのようにフランス人は大きな話、好きなの。だから、仕方がないでしょ。19世紀はね、本当に、特に白人は、他の国民、民族に対して、植民地主義の時期でした。20世紀は、産業の発展のせいで、どっちのほうがいいかわかりませんけれども、動物、自然、お花、今度は自然が侵略されたのですね。これらは本当に人間の奴隷、人間のおもちゃになりました。緑もそうです。ですから、21世紀の私の希望はね、皆様と一緒に国境と関係なく、本当に人間と自然・動物が、自由と平等である世界を作りたいと思います。よろしくお願いいたします。
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小松 ありがとうございました。まさに、フランス女性の素晴しさが、絢爛と花開くようなお話でございました。もう時間があまりございませんが、一つだけ。ケーリ先生、マサチューセッツには、ススキというのはないんですか。
ケーリ ありませんね。
小松 フランスにもないんですか。
モレシャン えーっと、ないですね。ないです。
小松 日本ではあまり大したものじゃないと思ってたんですが、そんなに大事なものとは知りませんでした。どうもありがとうございました。もう一つ、ケーリ先生。先生は、ハイスクールの時代、デートの時に、やはり花を持っていらっしゃいましたか。
ケーリ はい。大デートの時は。(笑)
小松 モレシャン先生は、やはり、若い時には、たくさんの男性から、花をいただいてますか。
モレシャン えー、はい、今の顔で申しあげると嘘に聞えるかもしれませんけれど、さようでございます。(笑)
小松 いいえ、とんでもない。今でも花を贈りたい。
モレシャン 本当にいただきましたね。向こうはキザではないですから。まあ、向こうはご存知のように、本音で生きていますからね。建前なしですから、キザなものはないの。
小松 わかりました。
日本はまだまだ、そこらへんはこれからですね、この会場ではもう時間がございませんが、そういった問題、すこし突っ込んでみてもおもしろいと思います。もっとも、日本の方はお花をデートの時に持って行く、メッセージに使うというのは少ないんですけれども、最近、郵政省で大出来だったのは、慶祝電報にお花がつく押花電報であります。最近では、郵便局からも電報にそえて生花を届けてくれます。それからまた、お花屋さんに頼むと、ヨーロッパやアメリカへ、グリーティングカードをつけてお花を送ってもらうということもできます。
いよいよ時間がなくなりましたが、最後に皆さんに、それぞれのお立場にたって、もうあと数百日にせまりました花博がどういうものであってほしいか、ほんのひとことずつおうかがいしたいと思うんですが。井上さんから。
井上 本当に、みんなが親しめること、「花にとって人間とは」という心構えを持って、そして、花を愛するという催し、そして子供たちからお年寄まで本当にみんなが、気楽に楽しめるような、そういう催しであってほしいと思います。
小松 入江先生、いかがですか。
入江 僕はね、愛するというより、むしろ花に感謝する、そういうふうにしたいと思います。
小松 ケーリ先生。
ケーリ あの、ちょって逆戻りしますけどね、戦争が終って間もなく、私も進駐軍の一人として、日本にやって來たんですけれど。20年の9月の話ですが、あそこの第一生命ビルですけどね。マッカーサーの指令部に。それでやはり、日本の人にもいろいろ手伝ってもらわなきやならなかった。女性のタイピストの方がいましてその方が花を持って来てですね、私の上司で日本に初めてきた中佐の机の上に、おべっかじゃなしに、ただ置いたんです。何もない時ですよ、焼け野原の東京で。これに、中佐さんがまいってしまったんですね。だいぶ後でその話何回も聞かされました。そういう力が花に、またあるんじゃないですか。
小松 まさに、荒廃した中の感動みたいなものを、もう一度、蘇らせること、みんなに思い出させることができたらいいということでございますね。如月さんいかがでございますか。
如月 まだ、私の知らない花がたくさんあると思うんですね。花って、花言葉もたくさんあるように、一つ一つの色や形がみんな違うんですね。それが、たくさん集まると、また違ってくる。いろいろな表情があるんですね。ですから、私、まだ見ていないたくさんの花の表情って、すごく見たいんです。とても楽しみにしております。
小松 どうぞ、高橋さん。
如月 先はども申しあげましたように、花ときれいな光のもとに、いろいろな世界の女の方が集まられその美しい女の方につられて、たくさんの男の方も集まってくださるのを期待しております。
小松 ありがとうございます。中山さん。
中山 よくわからないんです。花ってね、見せ方によって。すごくみすぼらしい時があるんですね。これを、きれいに見せてほしい。
小松 なるほど。それでは、モレシャンさん。花博についてひとことお願いします。
モレシャン そうですね。すごい具体的なイメージですけれども、なぜか今、あるんです。お花があって、彫刻があって、それから、日本の建築で素敵な物があって、とにかく、お花だけじゃなくて、自然、それから文化といいましょうか、伝統といいましょうか。それから、日本ですから、日本の本当の表現出して欲しいです。よく、外人から言われます、日本って外国みたいと。ですから、今回は日本ならではの表現、出してほしい。
小松 わかりました。ありがとうございました。もう時間でございまして、このパネルディスカッションを終わらせていただきます。こうしてフロアの花と壇上の、たいへん華やかな方々に取り巻かれ、本当に、花の山にうずまっているようで、ケーリさんや、それから入江先生や、私、男性は、このパネルに参加してたいへん得をしたような感じがいたします。
これで、パネルディスカッションを終わらせていただきます。どうもありがとうございました。