日本にヨーロピアン・フラワーデザインを広めた第一人者、池田孝二氏のプロフィールについて

 日本にヨーロピアンスタイルのフラワーデザインを広げるために尽力した池田孝二氏(1948-2009)の略歴を見てみたい。氏は海外留学や帰国後のデモンストレーションイベント(エクセレント12*)を企画するなど若い頃から活発に活動した。海外から数多くのトップデザイナーを日本に招いてデモンストレーションや講習会を開くなどフラワーデザイナーの教育に貢献した他に、NFDの立ち上げに関わるなど組織化、検定試験制度の確立など大きな功績を遺された。

*エクセレント12 当時はたいへんに話題になった。

https://karuchibe.jp/read/13149/

https://karuchibe.jp/read/13235/


●池田孝二氏が考案した「パイプ」(花の装飾棚のシステム)

池田氏は花のデザイン教育に力を入れた一方で、フルールノンノンという花の装飾を行う会社を経営し、主にテレビ朝日で業務を請け負っていた。当時、数多く制作された音楽番組等の背景を飾る華やかな花の装飾を数多く手掛けた。池田氏が非凡なのは、テレビ番組制作という時間の制約があるなかで、効率的に花を飾り、またかたづけることができるように、組立式の装飾用の棚を考案したことだ。これは、現場では「パイプ」と呼ばれていたという。その名の通り、パイプとつなぎを組み合わせて立方体のモジュールをたてにも横にもつないでサイズを変えることができた。パイプの間にはアクリルの板を置いて花を載せるようにしてあったという。このパイプは、素材を替えながらも長く使われた。

 テレビ朝日「アフタヌーンショー」の装飾 
このときの司会者は川崎敬三氏 『フローラルアートの完成』1980から 


*池田氏は、若い頃、神田生花市場(現在のJR秋葉原駅)の近くにあった大石寛氏(東京フラワーデザイン研究会主宰)の花店で働いた(同じ部屋に神宮ガーデンの渡辺富由氏もいた)のちに、桑沢デザイン研究所でインテリアを学んだ。デザインのスケッチを正確に描き、花の教科書制作などの仕事ができたのは桑沢時代の勉強が生かされていると思われる。

*もともと花店の子弟であったと先輩に聞いた

概要は、久保数政氏『フラワーデザイン覚書』に次のように記載されている。


1948年、広島県に生まれる。日本フラワーデザイナー協会(NFD)設立時より参加し、トップデザイナーとしてデモンストレーションなど国内外で活動。2001年までNFDの副理事長として運営に参加。後進の指導およびデザインの研鑽に専念する。1970年より海外に目を向け、国際交流とフラワーデザインの研究のためにスウェーデン、イギリスで学ぶ。さらにドイツのフラワーデザイン理論にいち早く着目し、パウル・ヴェゲナー、ウルズラ・ヴェゲナー夫妻に師事、我が国における第一人者の一人としてヨーロピアン・デザインの研究と普及に力を注ぐ、若手フラワーデザイナーの育成にも注力し、多くの優秀なデザイナーを輩出した。2009年永眠。



池田孝二氏のプロフィール(『花の造形 : ブルーメンゲシュタルトゥング 』(ヨーロピアン・フローラル・アート ; vol.3) 池田孝二 六耀社 1990 から)


1948・10 広島県に生まれる。

1967・12 日本フラワーテザイナー協会(略称NFD)の設立時より参加。

1970・ 4 スウェーデン、グルムステルクーラン国立園芸学校で学ぶ。

1971・ 3 フルールノンノンを創立。テレビ朝日を中心としてテレビの美術部門で活動を始める。

1972・ 1 デモンストレーション“エクセレント12”を新宿厚生年金会館にて開催。

1972・10 ’72トップデザイナーコンクールにて文部人臣賞を受賞。

1977・11 第1回日本フラワーデザイン展(日本橋・高鳥屋)のシンボリック・タワーを制作。

1980・ 3 『日本のフラワーデザイン1980』 (六耀社刊)の企画編集を行なう。

1980・ 5 『L'Art Des Fleursフローラルアートの完成』(カイガイ刊)を出版。

1981・ 5 『フラワーデザインの基礎』(六耀杜刊)の編集委員長として出版に当る。

1981・6 フラワーデザイン研究のためスウェーデン、イギリスに渡欧。ロイヤル・フローラル・アート・スクールとグルムステルクーラン国立園芸学校にて交換デモンストレーション、更にイギリスにてジュリア・クレメンツ夫人コンスタンススプライのハロルド・ピーシー氏とシンポジウムを行なう。

1982・ 6 イギリス、NAFAS主催のフラワーショー“XANADU”及びドイツ・ハンブルグでのインターフローラワールドカップを見学。NAFASのフラワーアレンジャーやヨーロッパ各国のフローリスト・デザイナー達と交流を行なう。

1983・ 6 (社)NFD主催“Top Designer of The World”を企画、ハンブルグでのインターフローラワールドカップの上位入賞者、ドイツのグレゴール・レルッシュ、オランダのウイム・ハゼラール、フランスのフランソワ・オーヴェルの3人を日本に招聘し、東京・大阪でデモとセミナーを実施。

1983・ 7 『新フラワーデザインの基礎Instructor’s Manual』(NFD刊)の企画編集を行ない、資格認定試験のベーシック理論を確立する。

1983・11 ’83日本フラワーデザイン展(池袋・東武百貨店)にて「ヨーロッパの花コー     ナー」の企画構成を行ない、現代ヨーロッパの新しいFD傾向を示す。

1984・ 6 イギリス、スイス、フランスへ渡欧。第1回WAFAフラワーショー及び第1回     総会に議決権者として参加。スイスにおいて第1回ヨーロッパカップのチャンピオンのウィリー・シーフリー氏との企画でユルゲン・ヒルヒラ氏とのデモンストレーション、更にフランスのマキシム・ド・フルールにおいて、マキシムスタイルのシンポジウムを行なう。

1984・10 “Top Designer of The World”を企画。スウェーデンのグルムステルクーラン     国立園芸学校の教授グンナル・リントバル氏とイギリスNAFASのインターナショナルデモンストレーターのリチャード・ジェフリー氏を日本に招聘し、大阪にてデモとセミナーを実施。

1985・ 3 ’85日本フラワーデザイン展(池袋・東武百貨店)の総合企画、展示構成を行     なう。

1986・ 5 台北の高雄(台湾)にて、ヨーロピアン・デザインを中心としたデモンスト     レーションを行なう。

1986・ 9 ドイツ・グリュンベルグでのFDF実技セミナーに参加し、ペーター・アスマン     氏と出会い、ドイツ・フロリストリーを学ぶ。

1987・ 6 ベルギー、ドイツ渡欧。ベルギーで開催した第2回WAFAフラワーショーのス     チュアード・ジャッジ(調停審査員)として出向。同時にWAFA総会に日本を代表する議決権者として出席する。その後、ドイツでグレゴール・レルッシュのデモンストレーションを企画し意見交換を行なう。

1987・7  ドイツに渡欧。グリュンベルグにおけるFDFのマイスター終了試験に出向。ゲ     ストとして作品展示を行なう。

1987・11 “ペーター・アスマンインターナショナル・セミナー&レクチャーデモンストレーション”を企画。東京、仙台、名古屋、神戸において、デモとセミナーを実施。

1988・ 5 テレビ朝日の番組“みどり四季通信”で、フラワーデザイナーとして装飾を     担当。

1988・ 6 ドイツに渡欧。グリュンベルグにおけるFDF主催、“ペーター・アスマン氏に     よる、日本人のためのセミナー”を企画、ドイツのFD状況を研究。

1989・1,4,11 パウル・ヴェゲナー氏のもとで”花の造形”理論を学ぶ。

1989・12 『花のアクセサリー』(学研刊)を出版

1990・3,7,9 パウル・ヴェゲナー氏のもとで、造型理論をさらに深める。

1990・ 6 『ドイツ・フローラル・デザイン』(六耀社刊)を企画、2週間にわたりドイツに     ロケ。

・WAFAのパリにおける大会にデモンストレーターとして招待される。

・グリュンベルグにおいて、トーマス・グレナー、ザビネ・ハ一ス。ミヒャエル・ロイシェンバッハ、パウル・ヴェゲナー、イングリット・ハイツーランゲンバッハ、マンフレット・ホフマン、マーグレット・クッチエ、ペーター・アスマンによるデモンストレーションを企画。

1990・11 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻を招聘し、東京、名古屋、大阪、福岡、において、デモンストレーションを企画、

1991・ 4 パウル・ヴェゲナー氏のもとで、造型理論実習。

1991 ・ 9 ドイツのフローラル・デザイナー、ヴァリー・クレット、イングリット・ハ     イツーラングンバッハ、アンドレア・ラッツ-ホフマンを招聘し、東京、名古屋、福岡において、デモンストレーションを企画。

・グリュンベルグ・マイスター協会名誉会員証を授与される。

1991・11 パウル・ヴェゲナー氏による日本人のためのセミナーを企画。

1992・1,3 パウル・ヴェゲナー氏のもとで造型理論実習。

1992・ 6 ペーター・アスマン氏による日本人のためのセミナーを企画。

1992・11 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻による日本人のためのセミナーを企画

1993・ 1 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻のもとで造形理論実習。

1993・ 3 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻を招聘し、東京においてセミナーを企画。

1993・ 5 ペーター・アスマン氏による日本人のためのセミナーを企画。

1993・ 6 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻のもとで造形理論実習。

1993・11 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻による日本人のためのセミナーを企画

1993・12 資生堂1994年、年賀ポスターのフラワーデザインを担当。

1994・ 5 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻による日本人のためのセミナーを企画

1994・ 6 『ドイツのフローラル・アーティスト』(六耀社刊)を企画、10日にわたりドイツロケ。

1994・ 8 ウルズラ&パウル・ヴェゲナー夫妻のもとで造形理論実習。

現在(1990年当時)  東京フラワーデザイン研究会会長。(社)日本フラワーデザイナー協会副理長。労働省フラワー装飾技能検定中央検定委員。(有)フルールノンノン代表取締役。


*池田孝二氏は2009年に逝去


関連

*ペーター・アスマン Peter Assmann 氏のプロフィール(『ブラウトシュムック 花嫁の花飾り-150年の歴史-』 六耀社 1997年)から

ケルンにて職業教育を受ける。ケルン、ミュンヘンおよびハンブルクにてフロリストデザイナーとして活動。1968-1970年Weihenstephan(ヴァイエンシュテファン)のFachschure fur Blumenkunst(フラワー芸術専門学校)に通う。1973年以降、FDF(ドイツフロリスト専門協会連合会)の依頼によりフロリストの継続教育の指導。1975年以降、Grunberg(グリュンベルク)にてFDFのマイスター養成の指導責任者。国内および日本、フランス、オーストラリアにてセミナーおよびデモンストレーション。1977年ジーゲンにて花店を開店。1979年以降、試験官会議を定期的に指導。1989年、Frankfurt(フランクフルト)のBUGA(ブンデス・ガルテン・ショー)における特別ショー「フラワーデザイナーは花で制作する」の指導。最初の専門書『時代にあったフラワーデザイン』を出版。1990年、ドレスデン-ビルニッツの「ドイツフラワーデザイン研究所」のマイスター養成の指導責任者を引き受ける。1992年、2冊目の本『フラワーデザインの作品』を出版。1993年、3冊目の本『オブジェ フローラルとノンフローラル』を出版。



*パウル&ウルズラ・ヴェゲナー夫妻「BOOK」データベースから

ヴェゲナー,ウルズラ(Wegener,Ursula)

1942年生まれ。ドイツフロリスト専門家連盟所属。フロリスティックスクール・ヴェゲナー主宰。フリースドルフマイスター学校およびドイツ国立花卉装飾専門学校ヴァイエンシュテファン卒業。ドイツおよび海外の多数の学校で授業。多くの連邦園芸展-フロリスティック展示会の指導、国内外でのデモンストレーション、展示会に参加、本を多数出版、専門誌に記事を執筆。国内外の展示で数々の賞や金メダルを受賞。

ヴェゲナー,パウル(Wegener,Paul)

1931~95年。ドイツフロリスト専門家連盟所属。フロリスティックスクール・ヴェゲナー主宰。以下ウルズラ氏と同じ。


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