花はいけた人の思考を反映する~主客未分
随筆家、高田保氏の『ぶらりひょうたん』に、氏の母親が花をいける様子がいくつか出てくる。
「園藝探偵の本棚」第133回、「おかんがいうにはな」~高田保が母から聞いた「いけばな」の心得
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この高田氏の母は、いけた花が枯れるまで飾る、ということがない。花が盛りを過ぎたと思ったら、早めに片付けてしまう。その理由は、そのような状態で見られるのは、花がかわいそうだからだというのである。
このとき、花は高田氏の母親と一体化している。主客未分の状態というのはこのような姿勢なのではないか。
大晦日から元旦にかけて、どんどん花をいけかえる、というのもたいへんに興味深かった。当時のある一流派だけの特別ないけかただったのかもしれないし、高田氏の母親だけの習慣かもしれないが、花が単に部屋の装飾のためのものではなかったということが感じられる。
このような即興的ないけかたができるのは、いけばなが本来、技術や様式から自由であることを示している。いける場の一期一会を大切にすること、なにを喜びとするのか(いけることの魅力)、花に何を見るべきか(観賞するとはどういうことか)、いろいろ考えさせられるエピソードだと思う。