詩人、サトウハチローがひいきにした「大曲の花屋」=横浜植木東京売店


戦前、大正2年から昭和20年まで、横浜植木の東京売店が東京市牛込区の新小川町にあった。「男爵いも」でその名を残す川田龍吉男爵邸に隣接した場所であり、ちょうど市電の「大曲」停車場の真ん前にあった。ここはその名の通り、神田川がほぼ90度ちかく曲がった特徴のある場所であった。

当時の横浜植木東京売店は非常にモダンな店舗であったため、多くの市民に「大曲の花屋」と呼ばれて有名であったようだ。

今回、サトウハチローの『僕の東京地図』という本の中に「大曲の花屋」が登場していることを知った⋆ので、該当部分を抄録する。サトウ氏は、花を買うときは、いつもここまで来て、店員のスガヤという名の店員に花束をつくってもらっていた。スガヤくんは、「揚げまんじゅう」みたいな顔をしていたらしい。

⋆日経新聞の日曜版「NIKKEI The STYLE」紙に2022年1月30日、2月6日、13日、20日の4回にわたって――『19世紀 園芸の東西交流』という記事が連載された。ここにサトウハチロー氏の記事が掲載されていた。窪田直子氏(美術記者を長く務め、現在は同紙の論説委員)による署名記事。

『サトウハチロー 僕の東京地図』サトウハチロー 2005 株式会社ネット武蔵野 から

●『サトウハチロー 僕の東京地図』は、サトウハチローが昭和11(1936)年から朝日新聞紙上に連載したものをまとめた『僕の東京地図』(春陽堂文庫、昭和11年刊)を底本として2005年に復刻された。

●新宿のことを書いた項では、「夜店」のことが出てくる。この夜店はたいへんに有名で、新宿東口のアルタ前から高野、木村屋、紀伊国屋書店などがある通りに新宿御苑のほう(太宗寺の先、までずらりと店舗が並んだという。植木屋も複数出ていた。

サトウ氏は次のように書いている。「駅の前から三福のところまで、夜店が出る。右に十日間、左に十日間、十日替わりで出る夜店だ。二十銭か三十銭握って(買ってもよし、買わざるもまたよし)」歩いてみようではありませんか。」「クロッカス、ヒヤシンスの鉢植、アマリゝスの苗、いずれも十銭だと言う、安い。春のさきがけを、掌(たなごころ)に乗せて帰るのも楽しいことです。」


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牛込から早稲田へ

お堀のほうから夜になって坂をのぼるとする。左側に屋台で熊公というのが出ている。おこのみやきの鉄砲巻の兄貴みたいなものを売っているのだ。一本五銭だ。長さが六寸、厚さが一寸、幅が二寸はたッぷりある。熊が二匹同じポーズで踊っているのが、お菓子の皮にやきついてうまい。あんこの加減がいゝ。誰が見たッて、十銭だ。
白木屋はその昔の牛込会館のあとだ。地震後に、こゝで水谷八重子が芝居をやったところだ。
(中略)
……木々高太郎博士の温顔を胸に浮かべつゝ、早稲田へと向かう。待ってくれ、牛込で僕の好きなものはまだ有る。新小川町の花屋だ。新小川町なんていうより大曲(おおまがり)の方が早わかりだ。横浜植木会社の東京売店だ。こゝにスガヤ君なる揚げまんじゅうみたいな青年がいる。僕は、花を買う時は、どんな時でも、こゝまで行って買う。スガヤ君のくれる花を持って行って恋人に、つれなくされたことはない。
大曲まで来てしまったか!電車道を早稲田へ行く。石切橋(いしきりばし)。――向こう側に橋本という鰻屋、こいつは有名すぎるほど有名だ。その隣の丸屋のそば、こいつも有名だ。
(以下略)


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下の写真は昭和2年に行われた「物故役員社員追悼記念」のアルバムに掲載されたもので、開業時の建物の姿を表していると思われる。この写真の店舗は、昭和8年(1933)に道路拡張のため改装新築された。

このとき、欧米のフラワーショップにならって新式に設計し、木造モルタル塗り店舗に温室が接続した明るい近代的店舗に生まれ変わった。戦前の東京には、このように大きな店舗は他になく、「大曲の花屋」は、たいへんにモダンで高級な花店として知られていたに違いない。



大正2年に開店した横浜植木の東京売店(牛込区新小川町)


昭和8年に改築し新装オープンした東京売店の姿



昭和8年の改築後の店内のようす

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