花は「消えもの」 贈り物は消えものがいい 山口 瞳のことば
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『礼儀作法入門』山口瞳 新潮社 2008年 から
贈りもの
年始回りには手拭一本
私かかねがね疑問に思っていることのひとつは、元日に挨拶に行くときに、何か大層なものを持ってゆくという風習である。これは戦前には行なわれなかったことだと思う。どうしてこういうことになったのだろうか。
戦前は、元日の挨拶は、ハガキ十枚か半紙一束か手拭一本ときまったものであった。あるいは、それも無しで、名刺一枚を玄関先に置いてくるだけでもいい。
なぜかというと、本年中はいろいろお世話になりました、来年もよろしくという挨拶は、歳暮のときに、あるいは年末に済んでしまっているはずである。だから、年始というのは手拭一本でいいのである。歳暮に大層なものを持ってゆき、元日にもというのは、クドイような気がする。また、歳暮のかわりに元日に挨拶するというのは失礼である。
(中略)
贈りものは心意気、酒が一番
高橋義孝先生が内田百閒先生にウィスキーを持っていったときに、これは這いものでございますと言った。よそから頂いたものをむしかえしで持ってきましたという意味である。
すると、内田先生は「ははあ、では、これはジョニー・クリーパーですね」と言ったそうだ。クリープは這うという意味である。高橋先生の持っていったウィスキーは、ジョニー・ウォーカーの黒であった。高橋先生は、多分ご自分で買って持っていらしたのだろうけれど、こういうヤリトリがおもしろい。
私は、贈りものは酒にかぎると思っている。どんな場合でも、酒なら間違いがない。さっきの元日の贈りものでも、酒なら大歓迎だ。案外に、充分に用意したつもりでも酒が足りなくなるということがある。
火事見舞でも酒でいい。人が不幸に遇っているのに酒どころではあるまいと思う人がいるかもしれないが、意外にもそうではない。
火事は夜中が多い。だから寒い。元気をつけるには酒にかぎる。また見舞にきてくれた人に対しては酒があると便利ということもある。酒はツマミを必要とせず、立って飲めるし、また一杯の酒は気持ちを落ちつかせるし、気分転換になる。
永井龍男さんは、ある人の火事見舞に何組かの布団を持っていったという。なんという気の利いたお見舞いであることか。焼けだされた人が物置小舎に寝るにしても、あるいは近所の家に泊めてもらうにしても、自分の布団で寝られるというのはありがたいことであったに違いない。
これは特殊な場合であるとして、他人に贈りものをするときは、後に残らないものがいい。消えものがいい。ともかく私はそういうふうに心がけている。長く記念として残るなんてイヤラシイじやありませんか。
たとえば新築祝いに呼ばれたりすると、酒一本(多くはウィスキーかブランデー)とバラの花束を持ってゆく。酒はその日のうちに消えてゆくだろうし、花束の寿命は、せいぜいが五日間である。
贈りものというのは心意気である。それが通ずればいい。それには酒が一番だ。それから、相手の負担にならないものがいい。酒も花束も、消えてゆくものである。何を貰ったか忘れてしまうというふうでありたい。
もし、そうでないとすれば、市販のものでなく手製のものがいい。皇后陛下がエリザベス女王に差しあげたものは、皇居のなかの御養蚕所で織った白絹であった。われわれにはそんなことはできないが、できれば値段のわからないものがいい。心づくしのものがいい。
趣味的なものは他人に贈るな
いただいて一番困るのは趣味のわるい美術品である。それも、飾っておかなければならぬものである。そうして、それは大きいものであるほど困る。高価であるほど困る。
総じて、趣味的なもの、美術品に類するものを他人に贈るべきではないと思う。それは自分の趣味を他人に押しつけることになる。こんなに失礼なことはない。
(以下略)
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