80年代にデイビッド・ナッシュの作品(ランド・アート、アース・ワーク)が日本のいけばなに与えた影響

『現代のフラワー・アーティスト 日向洋一』 京都書院 1997

いけばな作家、東靖光氏が昨年から「いけばなの未来」というタイトルで日本を代表するいけばな作家へのインタビューを動画に編集してYou Tubeで無料公開されている。非常に興味深い内容でぜひ多くの方に見ていただくことをおすすめする。
東靖光氏のHP
いけばなの未来

今回は、いけばな作家、日向洋一氏のインタビュー動画で紹介されていた、1997年の作品集に収められている対談を再録した。動画でも当時の衝撃を強調されていたが、92年に日本で作品が展示公開されたデイビッド・ナッシュのしごとにたいへんに影響を受けたことが語られている。対談の相手をされた写真家の安斎重男氏もまたナッシュとともにしごとをされた経験がある方で非常に興味深い話をされている。
82年の展覧会のあと、草月流は85年にナッシュを招いてワークショップを行っている。この動き、スピード感がすごい。このワークショップに参加した若手は実に多くのことを学んだと想像される。(ワークショップの参加作家に、假屋崎省吾氏もいて、日向氏と一緒だったという。假屋崎氏は若い頃に田の土だけを使ってひび割れる様子を見せるインスタレーション作品をつくっていたが、この時期のものなのだろうか)

戦後の前衛いけばなの時代のあとには、重森弘淹氏のいう「いけばながえり」現象がおきて、植物を使った表現が再び模索される。そのなかで、中川幸夫氏が注目されるようになる一方で、「植物をいじめる「殺して生かす」ような表現とは別の方向性を探求する人達もいた。日向氏や勅使河原宏家元が率いる草月流の作家から後者の道をひらく人達がつぎつぎと現れた。そこへナッシュという現代美術家の影響が加わって花をいける場が大きく変わっていく。屋外を舞台とした作品展も数多く開かれるようになる過程が見えてくる。

日向氏は「人が見る場所にしかいけてこなかった」いけばなに気がついている。人が見ない場所に可能性がある。

「現代美術の人達は傍目を気にせず、格好をつけずにやっている。そういう自由さを強く感じますね。特に若い人達の、無名の人の作品から、限りない自由なメッセージを感じます。お花の世界の人は、誰も見ていなければ花をいけないというのが本音としてあるでしょう。つねに人に見せるということを念頭に置いてますからね。」

日向洋一氏のプロフィール
越後妻有「大地の芸術祭」のサイトから
いけばなの未来 インタビュー動画


デビッド・ナッシュ展「木」 鎌倉画廊 1984年の図録表紙



以下、展覧会を開いた「鎌倉画廊」のHPより
「鎌倉画廊は、1981年銀座七丁目に中村路子が創設した現代美術を専門とする画廊です。1999年より鎌倉市鎌倉山に移転致しました。開設以来内外の主要作家を紹介。また我が国で最初に「もの派」を体系的に紹介致しました。主に、ミニマル、コンセプチュアルアートの主要な作家たちを取り扱っております」

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いけばなは膨張する宇宙   写真家・安斎重男/いけばな作家・日向洋一

安斎 日向さんは、お父さんの洸二氏が草月流の重鎮でいらっしゃるから、そういう意味では、花の道に入られたのは運命というか、宿命的に仕組まれている部分がありますよね。
日向 僕が物心ついた頃、すでに親父はいけばなをやっていましたから。勅使河原蒼風先生の戦後の前衛いけばなが、まるで猛烈な地震のような勢いで、日本中をワッとひっくり返していた頃です昭和20年代後半から30年代にかけての前衛いけばなは、いけるというより、前もって数力月かけてつくりあげていく作品が多かったんです。彫刻みたいに。
安斎 彫刻みたいな作品ね。
日向 親父もそういった作品をよくつくっていて、手間がかかるので、中学ぐらいになると嫌々ながら手伝わされました。わけも分からないまま。学校から帰ってくると、金槌でトタンを打ったりね、トタンに色つけて、またあとでシンナーではがしたり。何をやってるのか全然分からなくて。面白<ない仕事だと思ってました。
安斎 今にして思えば、それは非常に効率のいい教育だったわけですね。
日向 そうなんですよ。釘の使い方とか、鋸を使うこつ、溶接の仕方など、プランを実行に移す技術的なすべを自然に覚えてしまった。
安斎 でも、日向さんは年齢的には遅いんですよね。いけばなを始めたのは。
日向 大学を卒業してからです。学生時代は、いけばなをやろうなんてまったく考えてなくて、映画をつくってました。
安斎 映画づくりはどのくらいやったんですか?
日向 大学の映画科で4年間やりましたが、2年生の夏休み頃に、これは自分に向かないなと。映画は大勢のスタッフでつくるものでしょう? 何本か映画を制作して、僕はやっぱり「自分が、自分が」つていうんじゃないと駄目だなっていうのが分かった(笑)。

ナッシュとの出会い
安斎 そうすると、これが自分のいけばなですといえる一番最初の作品は、どんなものですか?
日向 やはりイギリスの現代美術の作家デイヴィッド・ナッシュに出会って、彼の作品を体で感じたあたりからの作品ですね。…確かあれは冬でした。浅草でいけばなの公募展をやっていたんです。そうしたら、いま栃木県の方ですごいことをやってる人がいる、ともかく万難を排して行った方がいいよ、という話で。それで、おっとり刀で行ったらば、まあ、本当にびっくりたまげてね。帰りの車中では一言もしゃべらなかったのを覚えてます、それが、ナッシュが日本で初めて紹介された「現代のイギリス美術」展で、1982年でした。
安斎 ナッシュは風到木やうろのある木、立ち枯れの木を利用して、しかもそこの環境と関わり合いながら作品をつくるのがひとつの手法なんです。「現代のイギリス美術」展の時も、本人の希望で栃木県奥日光での現地制作が実現したんですよ。でも、ナッシュのどの部分が、日向さんの興味をひいたのかな。
日向 簡単にいうと、全部です。当時、中川幸夫さんや他の人たちが、僕のいけばな観を払拭するような形で活躍していて、そこに外国からやってきたナッシュが、また全然別のやり方で日頃接している植物を見せてくれた…。我々がやるような、植物でつくる外観的な構成の面白さではなく、ナッシュの場合、木の内側というか、外側からは見えないものを見せようとしている。これは、結局、ただのチューリップを、中川幸夫さんのチューリップにして見せている手法と、そんなに大差ないんじゃないかと思うんですよ。あの構成力と内側を見せる、何ともいえない快感というか…。
安斎 ちょうど今、ナッシュの展覧会「音威子府(おといねっぷ)の森」が日本各地を巡回しているけど、その図録のための撮影で、僕は1993年の5月と7月、そして94年の2月にナッシュが来日して制作するたびに、北海道の音威子府村でずっと彼に付き合ってたんです。その時土地の樵が、あの人は不思議な人だ、木としゃべれるみたいだっていうんですよ。彼は木をどう細工して、どういう彫刻作品にして、どういう状態で展示したら、まだ何にも手を加えなかった素材の一番おいしい部分を見せられるか、そこまで考えて作品をつくるんです。
日向 そんなところまで考えてるんですか。
安斎 もう、それはすごいですよ。一本の木を見て、これで作品が4つできるなんてね、ナッシュは非常に正確なドローイングを描くんですよ。よくまぁこんなに正確に描けるなってぐらいに、最初に木を見た時に、どういう作品ができるかを木と打ち合わせて、パッと構想ができちゃう。あとはもう、手順に沿って物理的にやっていく、非常にきちっとした人ですね。とても珍しい人だと思う。
日向 僕は1985年に、草月が主催した栃木県烏山城カントリークラブでのナッシュのワークショップに参加したんですが、昼間は作業して、晩にいろいろなレクチャーやミーティングがあったんです。でも、ナッシュは翌日の予定や計画を、あまり具体的にいわなかったですね、だから、安斎さんがおっしゃるように、ナッシュは木を見た瞬間に、この部分をどう使って、あの部分をこう便うなんて、まるで一匹の魚を料理するように考えているとは、ちょっと感じなかったんですが。ともかく言葉で説明しようとは思っていないみたいでした。 ・・・でも、確かにドローイングは正確でしたね。
安斎 彫刻家って、木を見る目というか、洞察力が優れているんだと思う。僕もナッシュの仕事にはすっと興味があったけれど、本人に直接会ったのは、あの草月のワークショップが初めてだったんです。日向さんだけじゃなく、植物で何か自分のものを表現したいと思いながら模索していた人達には、ナッシュのような植物を使った美術作品を知ったことは、衝撃っていう人もいるだろうし、出会いっていう人もいるかも知れないけれど、とにかく素晴らしい可能性を知るきっかけになったといえるよね。
日向 いえますね。
安斎 日向さんにとって、現代美術はどういう存在ですか。いけばな作家として、刺激を受けること、あるいは気になることはどんなことですか。
日向 最近はなかなか時間がとれないんですが、日本橋の真木・田村画廊あたりを振出に新橋あたりまで、気に入った画廊を半日ぐらいかけてまわって行くと、現代美術の人達は傍目を気にせず、格好をつけずにやっている。そういう自由さを強く感じますね。特に若い人達の、無名の人の作品から、限りない自由なメッセージを感じます。お花の世界の人は、誰も見ていなければ花をいけないというのが本音としてあるでしょう。つねに人に見せるということを念頭に置いてますからね。
安斎 いけばな界の若い世代の作品には、そういう自由は感じられないですか。
日向 う~ん。かなり世代が離れた人達の作品には、僕らのいけばな観とか、てらいとかは少ないですよね。そこら辺の感覚は美術の人達と、かなり近寄っていて、うらやましく感じます。でも、自分が気に入っている人達の作品に接すると、エネルギーというか、圧倒的な力を感じます。いけばなの場合は、どうしても人に見せるという暗黙の意識が心のなかにあって、受けようとする気持ちが正直いってありますよね。
安斎 まあ、だけど。美術の連中もそういうのありますよ。
日向 でも我々からみると…。
安稾 そうとうありますよ(笑)。
日向 いってることが矛盾するけれど、若さの特権として、死ぬほど目立ちたいっていうのは、それはそれで憧れちゃいますね。お花の人っていうのは、長い伝統を引きずっているので、でたらめはできないなあという気持ちがありますから。でもやっぱり花展よりも美術の小さい画廊をまわっている方が、得したなあって気持ちになれることは多いですね。
安斎 日向さんが画廊で個展を始めたのは1986年で、いけばな作家としては比較的早い方なんですよね。
日向 ひとつの空間を自分だけで構成するというのが好きで、すっと続けているんです。私が花をさらに楽しくやれるようになったのは、今の家元の勅使河原宏先生がいけばな界に入ってこられて、ごく自然に流内に自由な雰囲気を浸透してくださった時期とちょうど重なるんです。宏先生は、日向は画廊なんかで何をやってるんだ、なんてことはおっしゃらないですから。無類の抱擁力というか…。
安斎 宏さん自身が自由な人だからね。今は自由な活動がごく普通にできる。それは蒼風さんの時代にはなかったと思う。やっぱり、宏さんの時代なんですよね。
日向 宏先生のものを創作するという理念が、限りなく自由で豊かなんだと思います。

『現代のフラワー・アーティスト 日向洋一』 京都書院 1997

中空に描くドローイング
安斎 いけばなの作品を見るとき、僕が結構気になるのは器なんです。器の選び方。建築物にいける場合も、やっぱり建築物はある種の器だという意識があるんじゃないですか?
日向 ありますね。そう思います。花器っていうのは、給水という実用的な役割の他に、そのもの自体が充分に楽しめる存在で、そこに花をいけるわけです。花と器のアンサンブルというか、どちらもより美しく見えるようにする手口が、要するに、いけばなだと僕は思っているんです。場所というのも性格があるんですよね。大きさや材質感。石であったり、あるいはアルミであったり、焼いた土であったり…。
安斎 僕がいけばなの写真を撮ってもらいたいと依頼された時に、一番最初に考えるのがまさにそれです。一体この人は、この場のどの部分の性格に、どんな素材を組み合わせて、もうひとつの光景を描くのか。…日向さんには、自分が選んだ場のキャラクターをいかしながら作品をつくる独特のリズムがあるよね。例えば、この草月プラザの作品(図30)。イサムノグチの石の壁にね、キュッキュッキユと葉っぱを挿していくわけ。しかも、色も手口も非常に爽やかな気持ちがして、こういうのは日向さん一流の軽快なリズム感をだしている。
 でね、僕は真木画廊での作品(図1-4、11-12)を見て、これは空間のなかに描いたドローイングだなって思ったんです。植物の線で、ビューンと描いている。
日向 そういう作品は多いですね。
安斎 ある種、中空のなかでドローイングするような爽快感があるんじゃないか…。
日向 じゃないか、どころか非常にあります。
安斎 ある? やっぱりね。ドローイングといったのはもうひとつ理由があって、日向さんの作品は、こう、透けてるんだよね。
日向 透けてる?
安斎 被せてるんだけど、なかの構造を全部は隠さない。一緒に仕事をした泉邸での作品(図32)も、材料はいっぱい使ってるけど透けてるんです。
日向 ああ、そうですね。
安斎 ここ数年やってらっしゃる、一連の寒冷紗の作品(図10、14-17)にしてもそうでしょう? 透けてるじゃないですか、骨組みが。僕はそこに、すごく魅力を感じますね。
日向 今、安斎さんにいわれて初めて気が付いたけれど、確かに以前からやっていたドローイング的な作品の線がたくさん重なって、こういう透けた感じの作品になったのかも知れない。ケヤキで土台をつくって寒冷紗を巻いているんですけれど。
安斎 なかも見せながら、こう、<るむことによって非常に不思議な形になるじゃない。透明な蓑虫の巣みたいな(笑)。ちょっとユーモラスなんですよ。僕はこのちまきのような形の、木の枝に引っかかってるやつ(図14)、好きですね。これはね、この作品を支えている自然の木の形が非常に重要なんですよ。ここじゃないと作品の印象か強くならない。作品を設置した場所、選んだ現場の性格と呼応して、このユーモラスな感じがするんです。同じ作品でも置かれる場によって、いくらでも異なるメッセージがつくれる。
日向 そう思います。屋内での作品(図15、16)は、外に置いたものとはまったく違ってますよね。寒冷紗の本来の用途は、太陽の光の量を調節するもので、全面に細かい穴が空いているんです。風を防ぎながらも密閉しない、街路樹を覆う面白さに注目して使い始めたんですが、やってるうちに、本来の用途である光との関わり方、光と影の方が面白いと感じるようになって、ライトをなかに入れたりしてます。現実にはナイロン製なのですが、蚊帳を連想させるし、私には植物素材に近いイメージがあるんです。

小品をいける幸せな時間
安斎 こうして写真を並べて見て、もうひとつ気付いたのは、よく見ると小品でも線の面白さを充分に伝えていますね。例えば、この茶室での作品(図21)。僕は非常に印象が強いですね。
日向 気に入ってるんです。
安斎 戸があって、柱があって、額縁のような形を構成してるじゃない。僕らの常識からいうと、このスペースに花をいける時は、この空間に収めようとするじゃないですか。ところが、これ、枝が壁にぶつかっているんですよ。端のところで。大きな場でいける時の経験が、こういうところにスッと自然に現れているんじゃないかな。
日向 そう思います。こういうのは、枠の空間に対していけなくちゃならない。それで壁にぶつかっているんでしょうね。
安斎 で、やっぱりドローイングというか、線の構成が見られるのは、大きな特徴でしょうね。
 いわゆるお花をいけるときは、花が先ですか? それともイメージが先?
日向 もちろん、花が先です。何にも考えずに花置き場に行って、あ、これ綺麗だ、あぁこれなんか不思議だって一番最初に感じたものを手に取っているようです。前もって今日は鶏頭をいけたいと思う時でも、それでもイメージ優先じゃないですね。ただ、無意識にですが、空間的なことをしやすい材料を選んでいるみたいです。だから線的な搆成の作品は多いですね。それは自分でも気付いていて、最近はなるべく、そうならないようにしてます。
安斎 ひかれた花を選んで、見たときの衝動に素直に、スタジオのような無機的な空間でいけるのと、場という制約を考えながらいけるのとでは、気持ちに距離があるんじゃないですか。
日向 う~ん。そんなにないな。心の底のところは同じなんですね。こうやって写真を並べて見るとね、そんなに違いはない。
安斎 そりゃ、すごいな(笑)。…じゃあね、非常に求心的な仕事をすっと続けていると、だんだんストレスがたまりますよね。そのストレスがどんどんたまっていくと、自分の意識とか手口とか、全部を一度解体してみたいっていう欲求に駆られることがあるんじゃないかと思うんだけど。スタジオという限定された空間でいける小さい作品、これは長いことやってると、どうしても結構ストレスたまるんじゃないですか。
日向 全然たまらない。
安斎 あ、そうなの。
日向 小さい作品も、いけてるうちにごく自然にのめり込んでしまう。それも気分よくって。眼を血走らせて花をいける人もいるようですが、僕にはどうも分からない。こんなに楽しくて幸せな時間て他にないです。わくわくしちゃってね。楽しい悩みだし、決してイライラしたりしません。
安斎 面白いですね。もしかしたら、花に選ばれたのかも知れないね(笑)。僕は日向さんが全然違うことをいうんじやないかと思ったんですけどね。これはうれしいですね。
日向 作品をいけるときに、せっぱ詰まって、もがき苦しむ人もいますよね。僕はそんなゆとりのないところから、何かが生まれるのだろうかと思うんです。そういう自分にはない真摯な姿を見ると、いいなあと思いますけどね。でも自分は自分で、自分の興味や立場や状況をいかしたものをやっていきたいと思っています。
安斎 僕は日向さんの作品を、重いって感じたことはないんですよ。
日向 そうですね、いわれたことない。ものをつくる行為は素晴らしいものだから、もっと楽しんでやりたいというのが、基本的な考え万なんです。
安斎 日向さんて、他の人に較べて作品をつくる時間が非常に短いですよね。何回か一緒に仕事をして感じました。先生、もうこれ撮っていいんですか?って感じで。でも見ると、これで完成してるなあと思うんだけれど。
日向 自分でも相当早いと思いますよ。いじくりまわしてしおれちゃうなんてことは、まずない。僕はつねに頭のなかをまっさらにして、それまでの経験やノウハウから引き出すんじゃなくて、初めて接したような気分で、植物に対したいと思っているんです。そうすると最初の印象が、鮮烈なイメージになってでてきますから。

花粉にまみれて
安斎 前にも花をそのまま受け入れながら、自分も楽しみつつ、いけばなをしたいとおっしゃってましたよね。それを聞いたときに、ああ、中川さんなんかの花をいける姿勢とはずいぶん違うなと思いました。さっきのストレスがまったくないという話を聞いて、納得がいきますね。
日向 僕がある程度お花を意識した頃は、勅使河原蒼風先生のいわゆる前衛いけばなの全盛時代で、それと相前後して中川幸夫さんに代表される、少なくとも外観上は蒼風先生とは取り組み方が違う作品かあった。蒼風亡き後、この中川さんの影響を受けた、植物のなかに求心的に潜り込むような姿勢で植物に向かう傾向の作品がとても多くみられるようになったのは事実です。いけばな界では、これを戦後の前衛いけばなの嵐が一段落したあとに来た波、すなわち異質物を積極的に用いた時代への、あえていえば反動としての植物回帰の時代と認識しています。ちょうどその頃に自分のいけばなを思い定めていくにあたって、このどちらとも異なるものをやっていきたいと思ってました。
安斎 要するに、中川幸夫さんは、非常にアグレッシブに花を扱う、花と決闘するわけですよ。ある意味でいうと花をいじめるわけです。花を殺しながら生かすということを考えているわけですよね。
日向 そうですね。
安斎 あれは中川幸夫の手口で非常に魅力があるし、一つの表現として我々に強烈なインパクトを与えているけれど。
日向 まったく同感です。しかし今迄はそういうのを意識的に避けてきたんだけれど、実は最近、もっと花のなかに自分が分け入るような、花粉にまみれてベトベトになるような作品を、是非やってみたいなと思っているんですよ。ナッシュじゃないけど、木の声を聞けるような作品というか。
安斎 それには、非常に興眛ありますね。
日向 これまでは花粉に触れないように、器用にサッサッサとやってきたような部分が反省としてあるんです。でも、今、植物に真正面から、もっとまじめに取り組みたいと思ってる。
安斎 なるほどね。じゃ、そうすると、その辺がこれからの楽しみになってくるわけ?
日向 もちろん空間の構成も非常に好きだし、これからもずっとやっていきたいですが、表現には幅があっていいんじゃないかと思うんです。人様のやってることを見ても、これがその人の魅力だなぁと大いに認める余裕ができて。前はやっぱり自分が一番だなとこうぬぼれて思っていたんですけどね(笑)。
安斎 無駄なものをどんどん削っていって、求心的に密度をあげてある意味でいうと、ミニマルっぽいもので、凝縮した強いものをつくってもらいたいですね。
日向 今そう思ってます。僕は何をやっでも飽きっぽいんです。でも、この花だけはね、子供の頃は嫌々手伝わされていたけれど、本格的にやりだしてからは飽きたなんて一度も思ったことがないですね。いつやっても楽しいし、本当に小さいスタジオ作品から、大きなインスタレーションまで、全然飽きない。きっと自分に最高に向いてるんだと思うんです。
安斎 ハッピーな人なんだな(笑)。やっぱり花に選ばれたんだよ。
日向 他のところでは、小さなことに割にうじうじしちゃうんですけれどね(笑)。いけばなの人にしかできない、植物を使った表現というのは、まだまだあるんではないかと思うんです。その可能性を自分なりに追い求めたいですね。いけばなというものの概念を覆せるほど、僕はまだ力がいたらないんですが。いけばなは、まだまだ膨張する宇宙のような、そんな風に感じています。先輩のあくなき姿勢には大きな影響を受けたから。あとから来たものとして、自分なりの枝を広げた幹をつくりたいと思ってます。

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