日本で最初にオアシスを使ったデモンストレーションを行ったディーン夫人の肖像
Hortense Dean (神奈川県花き業界沿革史1967)
ディーン・トラウト・スクール・オブ・フローラル・デザインという学校を経営。
第一園芸株式会社で1960年代からホテルオークラなどで花き装飾にたずさわり、退社後には花の専門学校でも教えられた山本晃氏が書いた『ニューフラワーデコレーション』新樹社 1974(昭和49)年、のなかで、山本氏は、昭和32年(1957年)に来日されたホーテンス・ディーン夫人による青山生花市場での講習会の際に初めてオアシスをというものを見た衝撃を書き残している。山本さんはこのとき「目を見張ったオアシスの出現を、未だに忘れることが出来ない」と記している。永島四郎氏もこのときは現場にいた。主催したJFTDの創立者、会長の鈴木雅晴氏は永島氏にたいして「あなたがずっと言い続けてきた時代になりましたね」と声をかけねぎらったという(『種子を蒔き育てし人々』1998)。
*山本晃氏は永島四郎氏の直弟子として氏の著作の制作にも深く関わった。著作『ニューフラワーデコレーション』では日本の戦前戦後のフラワーデザインの歴史が詳述されている。
実は、このデモンストレーションに先立つ1954年、ディーン夫人は小原流のいけばなを学ぶために来日しており、青山市場でデモを行っている。このときが日本で最初にオアシスを使った実演だという。グラジオラスをつかった「グラメリア」の技法も見せたそうである。通訳はフラワーデザイナーの村田ユリさんであった。
もう一つ、ディーン夫人の肖像が見つかったので、画像を抄録する。
昭和37(1962)年、盛花記念館と家元会館の開館記念式典での様子だという。家元夫妻のすぐとなりに立っていることからも小原流にとってアメリカにおける重要な人物であったことが想像できる。背が高い女性だったようだ。
『盛花と小原流』 小原豊雲 主婦の友社 1963(昭和38)年