戦時下の造園 造園的防空法で工場を守る

 ●戸野琢磨氏は、日本のランドスケープデザイナーの魁である。アメリカに留学してランドスケープデザインを学び帰国、1926(大正15)年に開業した「練馬城址 豊島園」(としまえん)を設計した人物。この優れた造園家も戦時下で自分たちの使命を考え、仕事に向き合っていた。

●戦時下で『庭園』誌もタイトルの上に「戦時造園と増産農芸」という言葉を掲げなければやっていけなかった。

●昭和18年の総目次からも戦況悪化と造園家が置かれた立場がうかがえる。


『庭園』昭和18(1943)年12月号から

工場における造園的防空施設の考察 戸野琢磨










このブログの人気の投稿

東京は花の都! 周辺十里はすべて花の産地です  大正2年の東京の花事情 『新公論』に掲載の記事

泉鏡花の忘れ得ぬ花体験 枯れても惜しくて2階から散華した

明治34(1901)年、ロンドンでツムラトウイチ(山中商会)という人物により日本の盆栽を詳しく紹介する講演が行われていた。