マァお試しなさい。  盛花のこしらへ方 読売新聞 明治38(1905)年

 明治後期、前田曙山の『花卉応用装飾法』(明治44/1911.4 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/860796)が出版されるなど、洋風の花卉装飾法が新聞や雑誌等で紹介されるようになってきた。
 「盛花(器やかごを用いたアレンジメント)」に関して、この当時の解説では、花材ひとつひとつに竹串をつけ、茎をミズゴケなどで保水して、同様にみずごけで満たしたオトシ(容器)にアレンジして飾る、という方法を紹介している。この方法はあまりにも手間がかかるために、のちには、容器にヒムロスギやシダ類をつめてそこに花材を挿していくような方法に変わった。冬季の短時間の装飾ではハクサイを使う場合もあった。


読売新聞 明治38年6月28日水曜日 盛花のこしらへ方


 

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