剣山は使わない~花留めに関する山根翠堂の考え方 昭和3年
前回にひきつづき、山根翠堂の思想について見てみようと思う。
資料は、『投入盛花講座 : 別名盛瓶花講習録』 山根翠堂 みどり会出版部 1928(昭和3)年である。
山根翠堂氏は剣山を使わない。いろいろな花留めの道具があるなかで七宝型を推薦している。七宝型は花を挿すときにコツがいるが、慣れるとかなり自由にいけられるようになると述べている。
剣山という道具は明治の後期から大正時代に現れた道具で、その由来がはっきりしない。欧米の花卉装飾で使われるピンの付いたホルダーをもとにして日本で考案されたものだとか、安達潮花が大正時代に改良をした記録があるとか、いろいろ言われているが、その由来の逆コースで欧米にも輸出されていたようだ。このあたりのところは、また次の機会にゆずる。
花屋の仕事場では昭和30年代まで能率と保持力優先で剣山を用いる装飾が多かった。籠花には、ミズゴケやヒバ類をつめたオトシを使っていた。これらは、昭和30年代にはフローラルフォームに少しずつ代わっていった。初期のフローラルフォームは高価でオモテウラで2回以上利用した。準備のために給水させるのに時間がかかったという。現在は、すぐに給水して使える。一方で、化学製品を使いたくないというフローリストも増えており、またかつてのような花留めを利用することになるかもしれない。
盛花の花どめ
盛花の花どめはかなり多くの種類があります。従来の水盤(砂鉢、馬盥など)の生花に用いられて居りました、亀、水、轡、五徳、蛇籠、六角、七宝形などを始めとし、亀にヒントを得て作られた陶器製の鯉、蛙、蟹、エビなどや、水と蛇籠に暗示されて作られた、同じく陶器製の渦及び格子並びに六角の変形など種々雑多であります。その上に、純素人用にとて挿花の何物なるかを理解する事の出来ない野蛮人が作った剣山と称する(地獄の針の山の様な花止めで、如何に考へても可憐な草木を挿すには余りにもふさわしくない。精神的にも実際的にも)多数の釘を鉛で固定したものまであります。これだけ沢山にある花どめの中で、何れを選ぶかと云うことがこの研究の第一の問題であります。私は盛花用花止め選択の標準として、左の七つの条件を持ち出したいのであります。
一、かなり重量のあるものであって而も余り大きくないもの
二、なるべく器械的でないもの、そうして簡単なもの
三、不自然でないもの、その上に気どらぬもの
四、極めて感じのよい高尚なもの
五、出来得る限り卑俗でないもの即ち趣味の高いもの
六、挿口の多いものであって傾斜の度が自由になるもの
七、どんな山間僻地でも大小共自由に求められるもの
その結果、この七つの条件にピッタリあてはまる真に理想的な盛花用花どめとして選ばれるものが第十四図に掲げた七宝形であります。従来の生花には木の叉などが花止めに用いられてまいりました。それは極めて自然で、簡単で而も何ともなくて、気持のよいものであります。松葉止めとか琴柱止めとか云われて居りますのは、その形状が松葉なり琴柱なりに似ているので名づけられたものであります。即ち、琴柱止めとは第十五図の右上に掲げた又の広いもの、松葉止めとは第十五図の左上に掲げた又の狭いものであります。
七宝形花止めは、二個の琴柱止めを第十五図の右下の様に接触せしめたものと、同じく二個の松葉止めを第十五図の左下の様に接触せしめたものとを相互に組み合せ、それに適度の丸味をもたせて美術的に作ったものだと思って頂けばよいのであります。勿論そんな意味で作られたものではありませんが、その様に考えて頂いた方が使用法を理解するのに甚だ便利でもあり、且つ七宝を生かして使う事になるのでありますから、私はそのように考えて頂くことをおすすめしたいのであります。松葉止めや琴柱止めの使用法を御存じない方は殆どあるまいと思いますので、かく申し上げましたならば、そうして第十六図の花止めの置き方を心をこめて見て頂いたならば、おそらく使用法の説明を要しないであろうと思います。
第十五図の真中に掲げたものの……を加えた所は松葉止め二つの組み合せを横に見たもので、これは菖蒲、杜若、檜扇、いちはつ等の広葉ものに限って使用する押挿し口となるのであります。それ以外のものは必ず細いものは松葉止め、太いものは琴柱止めの方法で使用するのであります。無論例外はありますがそれは止むを得ない時に限られて居ります。さすればつめなど殆どしないで気持よく、自由自在に、完全に止まるのであります。
花止めの置き方は、普通の場合は必ず第十六図の様に置くと都合がよいのであります。それは時と場合によってこの通りに置けない時も生じて来ます。材料が多くて二個では都合の悪い時もあります。そうした場合は臨機応変の才を働かせて、置きかえなと、花止めを増加さしなと、花止めの大きいのが無くて花材が倒れる時は二個でも三個でも縛り合せなと、それは自由であります。要するに第十六図に近い置き方をすれば、理想通りに止めることが出来るのであります。私の稽古場へ初めてお出になった方は「先生が挿されると思う所へ思う様に早くそうして楽に止まりますね」などとよく云われますが、前掲の様にさえすれぱ誰れでも楽々と止まるのであります。