1964(昭和39)年 キスラー先生のデモンストレーション

1960年代、海外デザイナーがつぎつぎとやってきてレッスンやデモンストレーションを実施

 1964年4月、東京と大阪の2都市でデモンストレーションを開催された(4月11日大阪、19日東京)。このイベントは、いけばな小原流が主催し、1000人規模の観客を集める歴史的なものだった。

『小原流挿花』の記事には数多くの写真が掲載されていて、いろいろなアイデアを紹介していることに驚かされた。フローラルフォームはまだまだ一般的ではなかったが、フローラルフォームを有効に使った作品がすでにしっかりと紹介されている。

ソフトクリームのコーンを使ったり、パンをつかったりして面白く見せている。また家庭にあるような器を複数組み合わせてオリジナルの花器をつくるなどアイデアがたくさん提案されているのが興味深い。

「いけばなは芸術だが、西洋のフラワーデコレーションは、実用(目的がある)」と述べているところが重要。

当時の雑誌はフラワーデコレーション、と言い、フラワーアーティストという用語を使っている。

 これより前、1954年に、JFTD(1953年創立)主催のデモンストレーションが東京・青山市場で行われた。ここでも小原流が関わっている。小原流でいけばなを勉強していたフラワーデザイナー、スクール経営者のホーテンス・ディーン女史のデモは日本で初めてフローラルフォーム(スミザーズ・オアシス社の「アオシス」/当時は「オエイシス」「オエシス」とも呼ばれた)を使った実演として知られる。

 ほかにも海外から数多くのデザイナーが来日しデモンストレーションを実施。1966年には恵泉女学園の招きで来日したアメリカのビル・ヒクソン氏によるファッションショー形式のブライダルフラワーのデモンストレーションが行われている。ヒクソン氏はその後何十年にも渡って来日し、集中レッスンやデモを行い、大きな影響を残した。

以下、小原流の機関誌『小原流挿花』1964年6月号の記事

小原流主催のデモンストレーションではキスラー氏のアシスタントで村田ユリ氏の姿がある(この記事のトップに掲げた写真の舞台左側に小さく見える)。下図は残念ながら、付箋紙が貼り付いてその姿が見えなくなってしまっているが、村田氏は、戦前から戦後にかけて婦人雑誌などで活躍したフラワーデザイナー。皇室関連の花飾りも行っていた。駒沢にある東京オリンピックの陸上競技場の設計に携わった建築家の村田政真氏。

※右側の女性も通訳として活躍したアメリカ生まれの小寺花野さん。母親は『侍の娘』の著者、杉本エツ。家元や外国人の講演で通訳として数多くの経験をされていて、多数の写真が残っている。








同じく、誠文堂新光社『ガーデンライフ』1964年夏号の記事



誠文堂新光社『改訂新版 フラワーデザインのすべて』か1969から







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