井下清「公園とルンペン」 『庭園と風景』1932年から   人としての寛容さ、公園は、すべての人に平等に利用されるために存在する

 


○「公園とルンペン」 『庭園と風景』 第14巻第3号 (通巻第138号)

著者 井下 清(いのした・きよし/1884-1973) 東京市公園課長

発行 日本庭園協会

発行年月日 1932(昭和7)年3月

※現在では、使用が不適切とされる言葉もそのまま使用した。(読みやすくするために、漢字や送り仮名等を適宜変更し、必要な場所に「(、)」を加えました。文字の誤植と思われるところもそのまま示し「*」で注釈をつけてあります)


後列右から二人目が井下清公園課長、三人目が帝国ホテルの林愛作氏
桜の会の集いにて 昭和2年4月 実際園芸「2-6」


公園とルンペン  井下 清

 

人として此(こ)の世に生をうけたるものは、皆其(そ)の生を楽しみ其の天分を盡(つく)して幸福な生涯を送ることが最初にして又最終の望みである。


然しながら人々は敢(あえ)て平等なことを望まぬとしても、総ての人が皆人間らしい生存をすることさえも現実には六ヶ敷(難しき)ことであるから、人として生をうくる以上平等な生存権を主張するのも強がち(あながち)無理ではない。自ら如何に努力し周囲の者も亦相当に援助しても生活戦線から落伍して救い難いものもある如く自ら特に図らず、又周囲からは寧ろ排斥されても尚隆々として水平線を突破する雄者もある。ここに於て宿命論は生存権論に打勝つことになる。


我々が理想と云い主張と絶叫する処のものは、要するに自己の自由を高唱することであって、それが進出であっても退嬰であっても思うが儘(まま)に在らんことである。絶対の自由は生存の平等よりも一層困難な欲望であって、個人の自由は多くの場合に社会生活の平和と一致しない。一の活躍は他の落伍を意味し、一の貫徹は他の追従を要求することになるので、現代社会に於ての自由は相五の幸福を尊重し、何等の犠牲を生ぜしめぬ範囲に於ける自由であらねばならぬ。


我々の近代的社会施設としての公園は複雑な使命を持つものであって、寧ろ重過ぎる程多くの活動を期待されている。公園には種々な機能を持つものがあって、小は路傍の小庭より大は国土の夫(それ)を代表する国立公園に至り、又芸術的作品として取扱うべき庭園から利用本位の工場の如き運動公園まである。公園と総称されても個々に見るときには其の色彩形貌は著しく異るものがある。殊に大都市の公園は一面には宏大にして壮麗なる都市の公園として其の美と力と権威を表現するものと見られるが、又一面には劇甚な生存争闘場である都市の陰惨な欠陥を幾分にても公園に依って緩和救済せんとするものであって、人々の健康を頽廃(たいはい)より救い、肉体と精神の破綻を防ぎ止めて活動力の持続更生をはかり、又密集生活の不安を救う機関として考えられるのであるが、所謂(いわゆる)公園らしい朗らかな長閑(のど)けさは其の存在の意義に於ては正反対のものがある。それに加えて個人としては住宅の延長として其の足らざるところを補い、社会的には社交の舞台ともなれば大衆教育の指導の機関とも考えられるのであって、公園の使命は実に複雑且つ大なるものがある。


斯く公園が社会施設として重き使命を果すに際して、如何なる人々が最も多く其の機能を利用し其の効果を礼讃する立場に在るかと云えば、国によって異り地方に依って相違はあるが、我国に於て殊に東京の如き大都市に於ては、一は其の都市の興亡盛衰を自己のそれとして杞憂する階級と、一は都市生活の弱者で公園のあることに依って其の幸福を維持し得る人々である。前者は直接に公園を利用することは少いが、王者の如き観念の上に全市民の為めに公園を愛護する人達であり、後者は社会生存の必需機関として公園を日常愛用する人々である。以上二者の中間階級の人々は公園の必要を理解して其の発達を観念の上に論議する人々であるが、何か特別の事物が起らぬ限り直接に利用せぬから、公園の実際的活用に就ては智識と体験の無い人々である。之等の外に公園なんか考えたこともなければ、行ったこともないという人もあるかも知れぬ。此の見地よりして公園は都市の下層階級程最もよく実際に活用し、上に昇るに従って思想的観念的に公園に注目するものということが出来る。

敢て都市に限る存在ではないが、都市に殊に多いルンペンは公園の存在を最も幸とする階級のドン底に在るものであって、ルンペンから見れば公園は現代社会に於て他の人々と等しく生を享楽し得る唯一の天地であり、僅かに其の自由を味い得る処である。


ルンペンとは何者であるか?国勢調査の見解に依ると、概ね警察処罰令第一条第三項浮浪罪の項に該当するものであって「一定の住所と生業なくして諸方に徘徊し、屋外或は住居に適せざる場所に於て就眠するを常とする者」であって、俗に云う「宿なし」である。ルンペンは貧窮者ではあるが一定の住所と業務が無いものであって、働く意志があって職が得られぬものと、職業があっても働かぬ怠惰者とある。此の種の働かぬ者に天性の怠け者と偏狭な頭の持主で、気が向かない時は餓えても働かぬというような変物もあるが、概して職を求めても得られぬ逆境の継続から自暴自棄になって働かぬ者など、常人には理解出来ぬ哀れな心情の持主である。ルンペンとても生きている以上其の食を求めるに相当の苦心もあれば努力も要するわけであるが、正当の労働を嫌い禽獣に近い生活に甘んじていることは、単純に失業者と見るべきでない。


東京市に於けるルンペンの調査を見るに昭和五年一月一日には一、七九九人を計上している。其の内女二・二二に対し男九七・七八の比例であり、其の年齢は働き盛りの廿五歳以上四十四歳以上(ママ*1)のものが最も多く五三・〇九を占めている。配偶関係は未婚が四〇・九二で現に配偶を有するもの七・一二、死別せるもの二四・五七、離別せるもの二〇・一二であることから見ても、壮年にして孤独となった者が多い。次に浮浪している期間であるが一ヶ月のもの二・七八にして二ヶ年に至って六・八九となり、十ヶ年に於て二・六一、それ以上は多少の高低はあるが近々減少することから見ても、一般には二ヶ年以内に生業に就くか郷里に帰り得なかった残りのものは一生ルンペンで終るものらしい。之等のルンペンが何処で起臥しているかというに、浅草区最大にて三三・九六、下谷区二〇・二三、本所(、)深川区之に次ぎ、麻布区最少で〇・〇六である。而して其の地点は公園最も多く、次で橋下、市場、駅構内、他人の軒下、露次(ママ*2)、鉄道ガード下、空地、墓地等であるが、公園は殆んど半数に近い四七・六を占め、就中、浅草公園が最も多く四九三人を数えていることは、残飯の豊富なことと何かしら彼等の淋しい心境を慰めるものが多い為めであろう。上野公園一三二人、芝公園四六人、錦糸公園二六人、日比谷公園二〇人等であって、其の他の中小公園は数名のお客様を迎えているに過ぎぬ。公園の数より見れば九十公園の内二十公園に於て発見されて居り、其の分布は大公園を除いては本所(、)深川、浅草、下谷の各区のものが大部分を占めている。

(*1「以上」ではなく、「以下」ではないか *2露次は露地の誤植だと思われる)


以上の調査は総て夜半零時の調査であって、公園以外に良き起臥の地を持つ者も昼間は公園を出張所にしているものが多く、浮浪者の宿泊所に宿泊したもの、他人の住居に寄寓するものにして働かぬもの働けぬものは皆普通の人々の働いている昼間公園に来って時間の過ぎ行くのを待っているのであるから、公園のルンペンは前に述べた国勢調査の数字より更に更に多いものであって、それ等の内には所謂高等ルンペンも含まれているかも知れぬ。


公園は職の無い人々がやるせない時間を過し、又はドン底に落ちた人々が世間の警戒の眼から逃れて居られる唯一の楽園なのである。


近代の公園は老幼男女を問わず総ての人々が平等に又自由に利用し得ることを標榜するもので、それは決して絶対的ではないが概念的に平等であり自由であるべき処とするのであるから、彼等薄幸のルンペンがたとえ不潔な身を異様な風体に包み、普通人が不快と恐怖を感ずる如き様子を為すものが居っても、それを公園の機能として看過されて来たのである。他の処に於ては直に浮浪者として検束され収容される者も、公園に於ては其の平和を害さぬ以上黙認されて居ったのである。容認されたと見るよりも其の処置に困って見て見ぬふりをして居ったと見るのが真実であろう。此の点に就て欧米大都市の公園の例を見るに英仏の公園は元より、独逸に於ても彼等を見ることは少いが、米国に於ては著しく眼に付くのである。


公園は総ての人々が平等に利用する便利を有するとせば、ルンペン諸君も亦市民である以上、最も深い同情を以てそれを迎えねばならぬと同時に、他の公園の経営を負担している多数の市民諸君の意思は勿論尊重せねばならぬのである。此の場合両者が全然平等の権利を有するものとして、其の間に何等相互の幸福を脅かすことなしとすれば、理想的な公共の楽園であるが、ルンペンの存在に依って一般の多数人が公園を利用し得ぬことになり、公園の利用性の上に異状を来した場合には、公園の経営上大いに考慮すべき事態を生じたものというべきである。公園は公園としての使命を有しているのであって、決してルンペンの収容所でもなければ宿泊所でもないのである。これに類似する事態は児童の利用であって、普通の場合には児童は公園を最も多く最も良く利用するものであるが、公園は児童のみの公園ではないのに成人の児童の悪戯の為めに其の感傷的施設を破壊され、静寂な休養慰安の妨げをされると苦情を云い、児童は其の溌剌たる利用を成人に依って妨げられ、又不良な感化を受けるという苦情などから、児童専用の遊園が特に設けられることになっている。


児童の場合は成人は愛撫の目を以て見る結果、多少苦痛を受け犠牲となっても苦笑して忍んでくれるが、ルンペンの場合は異るものがあって嫌悪排斥の念の相当強いものがある。殊に児童の健康と悪影響を怖れる教育家側の苦情はなかなか強固である。然しながら彼等ルンペンの多くは身の程を知って他人の注意を避け、我が物顔に徘徊する者などは少く、夜間野宿する者も眼に触れ難い物陰に密かに眠るのであって、公々然と凉亭やベンチに眠るものは酒酔者か又は疲労した労働者に多い。ルンペンの内には犯罪者もあろう。乞食をしているものも、カッパライを常習としているものなどもあろう。然し公園内に於て起る犯罪即ち強奪、詐欺、風紀上の犯行などは之等ルンペンではない他の来園者の為す処であって、唯一の安息所である公園から追払わるることは彼等として最も苦痛なことであるから、園内で犯罪を為すことは殆んどないのである。そればかりではなく同一場所に集ることが彼等の安全性を危くするので自から縄張が出来、他のルンペンを追払って或る程度より増加せぬことなども興味のあることである。勿論ルンペンの中には暗愚な白痴も居れば馬鹿もいるので他人に不快と不安を感ぜしめることはないではない。


要するに公園内に於ては強く嫌悪排斥する程の明かな理由はないが、何となく不安な気味の悪い空気を醸成する素因が公園にあることは、公園として人々の休養慰安の地としては好ましいことではない。さりとて罪もない最も同情すべき同胞を唯一の楽園から追出すにも忍びぬところに公園経営者の悩みがある。観念の上に於ても又実際問題としても其処に矛盾と撞着が起るのである。


これが対策としては根本的には彼等の消滅を充分考慮すべきであるが公園としては一般の来園者が須(すべか)らく彼等を最も不幸たる同胞として見逃されることを希望し、ルンペン諸君は相互の幸福の為めに相当な遠慮を為すよう、管理者はそれを適当に指導して誤なからしめるよう、設計家はルンペン諸君のために何等かの考慮を為すよう、また為政者は何とかして此の多くの薄幸な人々に職を与え働いて生くる習慣を回復せしめられるようせられたいのである。それは働きたくも働き得ぬものにも!働く気の無いものにも!     (昭和七年二月一〇日)



図1 記事中に挿入された図。「街のルンペンの為めに特に考えられた常磐小公園の一部。外柵の一部を後退せしめて休養所と飲用水栓(右の隅に見ゆる)を設けたもの(図中ベンチは未だ置かれてない)。」というキャプションが添えられている。
※常磐小公園は中央区日本橋に現存、関東大震災後に作られた52か所の震災復興小公園の一つ



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