「決戦と造園」 東京都公園緑地課長 井下 清 『庭園』昭和19年1月号

 社団法人日本庭園協会 庭園 昭和19年1月号 戦時造園と増産農芸


決戦と造園  東京都公園緑地課長  井下 清


 国民は総てを捧げ、何とかして戦争完遂に邁進せんとしてをる。然し何を為したなれば最も時局下有効適切なお奉公であるかは思ひ惑ふてをるのである。応召、入営、徴用となると元より適不適もあつたものでなく、断然勇躍馳せ参ずるのであるが、企業整備も未だ具体化せぬ現在としては、ただ耐肉の髀肉の嘆に堪へぬものがあるに相違ない。

 将来の日本の中軸を構成する最高学府の学生さへ、一部を除いては、学業を中途で停止し、直に銃を持ち飛行機に乗る時代となり、婦人にて換り得る職業の男子は、軍需生産に躍進しつつあるのである。

 国民こぞつて決戦といふことは現在ほど事実に徹底したことは無いと思ふ。昔は出陣に際し家族知友と水盃を交して生還を期せざる決意を祝ひ固めたのであるが、今は銃後に軍需其他の生産に邁進するものも、国土を護るのも、又は無為に過すものも皆同じで敢て水盃の要はないのである。伯林、北伊の例から見ても、山奥でない限り造園家の舞台である大都市などは、何日爆撃を蒙るかわからぬ。第一線であるとなると、疎散する人々は別として、都市生活を護りぬく決意を固めた以上最も効果的なお奉公を為したいのである。

 この空前の時局に我々造園家は、庭は我国粋藝術であるからとて、寂びの侘びのと平時に於ける研究を続けることは敢て非難するものはあるまいが、顧みて淋しいことと思ふ。先達、旧知の日本画の老大家を訪ねたときに、先生は一般の依頼を全部排し、武士の武運を祈る歴史画の揮毫に丹精を凝し、次ぎ次ぎと当局に提供されて居る精進ぶりを見て、製品の老大家にも決戦があると感激したことであった。

 造園に全く縁のない方面で、時局に協力することも亦必要であらう。これに就て思ひ起すことは日露戦役の当時、庭師は軍需工場で偉大なる成績をあげ好評であつたことである。当時の庭師は数寄屋普請や鳶職などの腕を持つものが多かつたので、何を造るにも器用であり、考案力が豊富で、変つた仕事に対する理解が早いといふので非常に歓迎されたことから推論しても定めし現代でも各種生産陣に活躍して居る人々が多いことと思ふ。

 時局の念は必ずしも特技を適材適所に活用し得るばかり望み難いかも知れぬが「造園家は今何を為すべきか」といふ問題に就て学究も、設計家も、業者も相共に努力すべきであると思ふ。これは是非何とか総力を挙げて考へて貰ひたいのである。

 未だ造園技術を直接戦力強化に活用することを考へられてはないやうであるが、素人考へかも知れぬが、相当な威力を増し得ると堅く信じて居る。端的に言へば、造園は天然自然の山嶽原野、川沼の風景を任意の位置に作り出す技術である。若し重要な軍事施設を敵より隠蔽する必要のある場合、更に爆撃等に対し強化する必要を感じた場合には、当然風景工学である造園技術を活用すべきであると思ふ。敵をして見誤らしむる程度の工作は我方にあつても見誤る程度の巧致な工作を必要とすると思ふ。野戦的な偽装、或る家屋機材だけの偽装塗布などは一たび空中から写真撮影して見たなれば何の役にも立たぬことが明になつて居ることと思ふ。

 或る需要施設の堅固にして有数な偽装には、我々造園家の得意とする自然を模倣する偽装、偽木鉄筋コンクリート工法を用ひたいのである。数階建の大工場を一大岩塊とすることも出来ないことはないが、僅々数十平米のあまり高くない装置を隠蔽し、強力な爆撃に堪へしむる如きことは容易な技術である。上野其他の大動物園にある猿島、ライオン、熊の島などは好例である。我国には巨大な例は少いが、小規模のものは各所の公園私庭に防御的意図ではないが広く用ひられて居る。巴里市ビユツト・ショウモン公園の大岩窟と三百尺の旋回大階段が、全く天然の岩窟であるかの如く築造されてあることは有名な話である。構造の単純、強度の大、偽装の精巧は、此の工法の特色であると思ふ。然も偽装表面を時に応じ容易に変異し得るに至つては他の追従を容さぬものがある。

 東京其他の公園等に於て少し美し過ぎる大岩があり、手で触ると石の感じのする丸木橋、丸木の腰掛などは何れも此の工法である。岩盤、皮付丸太、茅葺屋根、朽ちた船板、樹の切株などが最も多く平常築造されるのであつて、外観の自由、寸法の大小、屈曲、傾斜、色彩、表面等自由自在である。朽ちた節穴を開けたり、洞穴、裂目を設け其上に灌木や草を植付ける如き細工は最も得意として居る。之れを施行するに複雑な工事準備資材を必要とせぬことから、若し大樹の梢に防御的な監視所を設ける如きことも決して空想でなく、椰子の木であつたなれば椰子の実の集団と枯葉の集まつて居る風景と全く同じものを鉄筋コンクリートで作ることが出来るのである。地上の掩蓋、堰堤の如きものを岩、砂山、稲藁の山、落葉の山、肥料小屋等に偽装するが如きことは月夜の作業である。

 又植物関係の作業としては一週間二週間の偽装であれば樹枝、草の株で覆ふことも有効ではあるが、半年一年と長期に亘るときに、夏の盛りに枯れ野原となるやうでは偽装は気安めの呪に過ぎぬのであつて、之れ是非共生きた樹木、灌木を堂々を応用したいのである。生きた樹木等は勿論枯れぬばかりではなく時と共に繁茂して偽装性を強化し、始めは人為植栽の跡が窺われても半歳一ヵ年の後には全く天然の樹林か、古く植込まれた樹叢の如くなつて来るのである。然し生きた樹木等は生物である以上その生理的必要条件に反して扱はれた場合には必ず枯れる。当業者であつても考慮が足らなかったり、熟達せる職工が居らなかつたときには見るかげもない惨状を呈すことは珍らしいことでない。この点前項の偽岩偽木工法より面倒であるが、素人は案外に関心を持たず平気で枯らして居る。

 宮城二重橋の老松が紀元二千六百年祝典式場となるときに容易に他へ移し、亦整然と新しい光景に植込まれてるのを見て黒松の老木は案外移植は容易であると思つたら大間違で、当局の周到な研究と生命を賭した苦心が彼の老松を自由自在に移動し得たのである。

 防空偽装植栽は大規模の場合が多ことであらうと思はれるが、之れ等は予め専門的に材料と技術者と其機敏なる工法と大なる輸送力の研究を要すると思ふ。一夜にして大樹林を出現せしむることも可能ではあるが、作戦と同じく其れ相当な準備を必要とする。都市の疎開跡の防火植栽、重要建築物の防火樹帯も同様であつて、少々泥縄の感もあるが、何とか造園界を挙げて此の一世一代の重大な作業に邁進すべきであると思ふ。最近に防衛植栽、防火植栽を勤労奉仕隊を動員して行なはれたことがあつたが、優秀な樹木が無惨にも無関心に抜き取られ、根巻もせず運搬して植えたと言ふよりは土へ突込んだ結果は殆んど全滅の結果となつた実例などは、物資労力の貴重な決戦下に莫大な無駄であつて、何とかして造園家と造園業者の優秀な技能を活用できなかつたものかと遺憾に思つている。

 切角の特殊技能を活用出来ず、一方思ひ懸けぬ貴重な樹木等の浪費を見るときに、我々造園技術の特性を認識して貰ふ努力が足らず、熱誠に乏しかつたのではないかと甚だ慚愧に堪へないものがある。(18、12、25)




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