巨椋池に蓮の開花の音を聞きに行ったという話 小原豊雲さん(27歳)とグレゴリー・コンウェイ氏(25歳)の思い出

 

(『日本の花』小原豊雲 1967)

  小原豊雲(1908年9月29日 - 1995年3月18日*1935年の夏は27歳)

*コンウェイ氏のいけばな指導は、小原流史の年表では昭和11年の夏となっている。

巨椋池の歴史(1933(昭和8)年から1941(昭和16)年にかけて実施された国営の干拓事業により消滅。)

https://www.keihan.co.jp/navi/kyoto_tsu/tsu202406.html


蓮と言うと、われわれには、第一に仏教的な面と結びついて蓮が浮かんでくる。

古い仏像の台座という台座は、蓮の花がデザインされた蓮台であるし、仏前に供花されている、銅で作られたり、乾漆塗りで金色に塗装された蓮花などは、直接だれしも目にするところであるし、仏画の中の花にいたっては、もはや蓮づくしと言っても過ぎることはない。直接目にふれるだけでも、このように結びつきの深いものだから、花の世界でも蓮をいけるときは、どうしても抹香(まっこう)くさい感じがしたり、特定な宗教的ふんいきからぬけられないのが、一般であるだろう。

蓮はエジプト原産の花で、インドを経て仏教の伝来とともに日本に渡来したのではないかと、私は思う。先年エジプトを旅したときに、サッカラのピラミッド内部の壁画や、アジアンタの洞窟内の壁画の中に、明らかに蓮の花や葉の姿が認められ、それが当時においても神聖視される花であったらしいことを知った。むろん仏教では、蓮を至上の花としているし、同時に泥の中からよごれなく清純な花を咲かせることを、人間社会の様相になぞらえる気持ちが強く蓮にははたらいたにちがいない。

日本の古いいけばなが、半僧半俗の同朋衆や、池坊系の僧侶たちによってになわれていたことを思えば、こうした考え方がいけばなのうえに反映されないわけはなく、したがって、古い花の立華や生花において、そのつぼみ、開花、実の姿、あるいは巻き葉、開き葉、枯れ葉の中に、過去、現在、未来の三世を仮託し、また人の一生にたとえる見方があったとしても不思議はない。

しかし、小原流で蓮を扱うときは、あえて宗教的な面にとらわれず、夏の涼しげな水草素材として、写景的に水辺の情趣を描写するためにとり上げる。あるいは、中国絵画に描かれたような画趣をねらって、蓮本来のおもしろさを生かすくふうをしているのである。

雄略天皇について語った「古事記」の一条には、美和川の流れに衣を洗う美しい童女引田部赤猪子(ひくたべのあかいこ)が、その名を問われて宮に召される日を待つこと八十年、いつしかやせ衰えた老婆になって、その旨言上に及ぶと、天皇大いに驚かれて二首の御歌を賜い、泣く泣くそれにお答えしたという歌二首が載っている。その一首、

日下江の入江の蓮はなはちす身の盛り人ともしきろかも

(*日下江の 入江の蓮 花蓮 身の盛り人 羨しきろかも

日下江の入江に今を盛りと咲き誇っている蓮の花のような、今、春の真っ盛りにいる若い乙女は羨ましいことですね。)


この歌は日本で蓮をよみこんだ最古のものと言われるが、この伝説をはじめて聞いたのは、小学校時代の同窓生井上君のお父さんからであった。井上家は生駒山のふもとの日下江坂の旧家であって、庭に昔からの蓮があり、歌によまれた日下江の入江の蓮はこれであるということだった。今でこそ、一面の大阪平野がひろがる山麓であるけれど、昔は近くまで海がつづき、坂の下は入江になっていて、当然その湿地帯には、蓮が繁茂していたと想像される。この蓮は、なくなった蓮の権威大賀一郎先生も、よほど古いものであると証明されていた。

小原流の蓮のいけばなは、そういう池汀水辺の景観描写を目的としているので、水草の中で特に姿形の大きい蓮は、器も大型のものを使って、盛花的に処理しなければ、うまくいけられない。そして初代以来、水ものの盛花といったいけ方を特にくふうして、蓮を主材にした水辺描写の盛花では、開き葉より花を高く、巻き葉は開き葉より低く使い、根元は浮き葉を使うという、実際の蓮の出生をよく観察して導き出された様式的ないけ方を実施しているのである。

現在の私が指導するようになってからは、蓮を一種いけにする場合は、広々とした蓮池を遠望している景観になり、他の水草をまぜる場合は、近景描写になると一応区別している。他の水草類にしても、小さく切りちぢめていけることはまず不可能であるし、実在のままにかぎられた水盤内にいけるとなれば、やはりそのねらいは、蓮のはえている池の岸に自分が立って自然の情趣をながめているという考えでいけなければ、目的とする写景盛花のおもしろさは表現できぬからである。

蓮は、白蓮、紅蓮というように、紅白の花が実に美しいが、しかし、またいけばなの世界では、初夏のころに水面にまずあらわれる浮き葉の趣がいい。そのころには、かきつばた、はなしょうぶを主材にして、その根元に浮き葉を使うことが考えられる。

そして花が上がるまでに、立ち葉が出てくる。この立ち葉と巻き葉を使って、芦や暖竹、ふとい、蒲の芽出しという水草類、あるいは芽出しの野ばらや雪柳、ぎょりゅう、びよう柳などを組み合わせるなら、水辺の涼しげな情趣を表現し、蛍の飛びかうような季節感をあらわすことができよう。

花が出るころになれば、それにこうほね、睡蓮、また暖竹、かきつばたを添えるという真夏の季節の組み合わせが考えられるし、花のさかりを過ぎて、実が出てきたころも趣のあるものだから、実を使うこともある。

さらに仲秋、晩秋、初冬へと枯れ蓮になっていくふぜいがまことによい。むしろ中国の名画に見るような画趣をねらうなら、この敗荷(やれはす)のふぜいなどが、最も蓮をいけて皮肉でおもしろいのではないか。芦と枯れ蓮としゅうかいどう、野ばらの実と枯れ蓮と菊、鶏頭と枯れ蓮と野菊など、盛花ばかりでなく、瓶花としても、雅味の期待できるとり合わせと言うべきだろう。

先にも述べたように、蓮を一種いけにした場合は、小原流伝統の蓮のいけ方を正しく守って、様式本位に扱わなければ、いけばなとしての技巧的な変化が出ない。しかしながら他の水草なり季節の花々といけるときには、花や巻き葉や開き葉の長短とか、浮き葉の扱いにしてもまったく自由であるほうが、意外なおもしろさを生み出すことができ、ねらうところの画趣をじゅうぶんに発揮せしめることができるのである。

先代がまだ健在だった昭和十(*1935)年の夏、カリフォルニアの南加大学に籍をおいて、東洋美術研究のために来日し、先代について日本のいけばなを学びたいという青年があらわれた。後年アメリカにおけるフラワーアートデザイナーの第一人者となったグレゴリー・コンウェイ(*1909-没年不明)氏であるが、ちょうど夏のころではあり、水ものとしてかきつばたや蓮やこうほねの花を習うことになった。ところがロータスなどは、アメリカでは珍しい花で、せいぜい植物園くらいにしかない。しかも出生を見なければ花はわからないというので、今は埋め立ててなくなってしまったが、当時日本における水草の宝庫といわれたくらい、たくさんの水草が繁茂していた巨椋池(おぐらのいけ)へ蓮を見に行くことになった。

彼と私と安部豊武(*1905~?)君の三人で、夜中の一時に中書島(*京都府伏見区 ちゅうしょじま)の舟宿に小憩して、そこから舟を出し、夜の明けぬうちに巨椋池に着いて、蓮の開くのを待った。ところが、暗いうちは池の中でも蚊が飛ばないのに、白々と明けかけると、わんわんいって蚊が襲いかかる。はじめは喜んで見ていたグレゴリー君も、しだいに恐怖に追いつめられ、蓮見どころではなくなってしまった。

しかし、このときわれわれは、当時やかましく論議されていた、蓮が開くときに音がするか、しないかの問題(*大賀一郎博士らの提起した「風流音」についての話題)について、蓮は音を立てて開くものではないという事実を知ることができた。目の前に、暁闇の中に咲いている蓮を見つめていて、ふとまたうしろを見ると、つぼみの蓮が音もなく開いている。その開き方が非常に早いのと、大きい花であるから、さも音を立てて開くと感じるのは、耳の迷いでしかなかろう。

グレゴリー君はその後に、巨椋池に行った印象を、蓮を使って思うようにいけてみよ、と言われて、大きな水盤に蓮をいけ、その中に枯れ木を井桁のように積み重ねて作品にしていた。「これ、何かね」と尋ねると、見てきた池の景観を描写したのだと、得意然としている。巨椋池の広い水面には、あちらこちらに、丸太を井桁に組み上げて、蓮の根や芦がはびこらぬようにした魚寄せの仕掛けがしてあった。日本人なら、絵になるながめでなければ、適当に省略してしまうのに、いかにもアメリカ人らしいリアルな表現であって、妙にセンスのちがいというものに感心させられたことである。

その彼とは、先年ブリュッセルの万国博(*1958年)で欧米を回っての帰途、ロサンゼルスの郊外に構えたりっぱなアトリエを訪れて、二十何年ぶりに再会したが、竜安寺の石庭に模した庭や、釣り殿式に池の上に建てた数寄屋作りの建物に、大いに日本趣味を発揮して、私を迎える姿も、和服に白足袋といううれしいものであった。しかし今回、いけばな視察団一行(*1966年9月小原流いけばなアメリカ視察団)とロスを訪れて耳にした消息では、健康を害して、りっぱな邸宅も手放し、フロリダのサナトリウムで闘病生活中という、まことにさびしい話であった。彼の健康の回復を祈ることせつなるものがある。

*フロリダは、肺結核の患者が長期療養するためのサナトリウムが各地にあったという。

https://www.floridamemory.com/items/show/145633


さて、蓮は水揚がりのわるいものだとは、だれしも言うことだが、朝暗いうちに蓮池でつんで、つむと同時に茎を土中にさしこみ、池の泥を切り口にさしこめばよいとか、その場で池の水を注入したらよいとも言う。どちらもまだ茎にじゅうぶん水の吸い上がっているうちに、水がもれぬように切り口をふさいだり、水揚げ法を施すのだから、一理はあるが、最善とは言いかねる。

最も効果的なのは、薬屋で安く手にはいる酢酸塩の結晶を水にとかして使うことだ。濃すぎると薬害で、葉面にきたないしみができるから、ほんの小さい三粒か五粒を洗面器大の器七分目くらいの水にとき、水揚げポンプで切り口に注入する。これはもうひとりが、俗にへそと言っている葉の中心部を押えていないと、水が吹き出してうまくいかない。残りの液は、水盤の中に入れれば、ただの水よりはよい。また、いったん液を加熱して注入し、すぐ冷水を浴びせるなり、冷たい水にまるごとつけるようにすれば、水もよく揚がり、葉に元気が出る。水さえよく揚がれば、蓮は平均三日はもつ。

かつてスイスのチューリヒの花屋で、なんときれいな花であろうかとよく見たら、開いた紅蓮をパラフィン加工したものであった。今次のアメリカ行きで、ロスのフラワーマーケットでも、紫やピンクや白の熱帯睡蓮が、やはりしぼまぬようにパラフィン処理をして売り出されているのを見た。その美しさは、なにか色彩的ないけばなに一つの道を開くものだろう。日本でも、 へたな造花などより、こうした生きた花の長もち法を研究することのほうが、どんなにたいせつかしれないと教えられたことである。


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Flowers: East - West --- The Art of Arrangement

P75

The main problem of the student of Moribana who wishes to emphasize natural landscape effects is to acquire an understanding of the growing habits of plants.

自然の景観効果を重視したい盛花の学び手の主な問題は、植物の生育習性を理解することである。

To learn how to interpret the lotus means starting at midnight and rowing for three hours over a large pond near Kyoto so that with the coming of the dawn the unfolding of the blossoms above the tall leaves may be observed.

蓮の解釈の仕方を学ぶには、夜中に出発し、京都近郊の大きな池の上を3時間漕ぎ続け、夜明けとともに背の高い葉の上に咲く花の展開を観察することである。 

The dew, gathered like huge jewels in the center of each leaf, as if to reflect every passing cloud; the position of the half-opened leaf and its proximity to the blossom; the space required for the leaf when opened; the height of the lotus in relation to other pond plants; the movement in the water around the stems ― all this and more must be noted, even to the iridescent dragonflies darting in the air or resting on the great leaves. The opening of the flower is the signal for the awakening of summer as well as the beginning of a new day. Not until after this experience could the student handle the lotus with sufficient understanding to satisfy one trained in the subtle qualities of floral arrangements. 

葉の中央に宝石のように集まった露は、通り過ぎる雲をすべて映し出すかのようである。半開きの葉の位置と花への近さ、開いた葉に必要なスペース、他の池の植物との関係における蓮の高さ、茎の周りの水の動きなど、これらすべてを、空中を飛び回ったり、大きな葉の上で休んだりする虹色のトンボにまで注意しなければならない。花が開くのは、夏の目覚めと新しい一日の始まりの合図なのだ。このような経験をして初めて、フラワーアレンジメントの繊細な特質を学んだ生徒が満足できるほど、蓮を理解した上で扱うことができるのである。

Spend a day on the river Uji, between steep mountainsides, to discover the relationship between the large pine, the understory of shrubs, and the wild flowers and ferns that carpet the banks. To create the illusion of great height, visit the hills of Nara, where the ancient cryptomeria, sugi, and the moss-draped pines wait forever in their cathedral hush. 

険しい山腹に挟まれた宇治川で一日を過ごし、大きな松、低木の下草、土手に絨毯を敷き詰めた野生の花やシダの関係を発見する。奈良の丘陵地帯では、古代の杉、苔に覆われた松が、大聖堂のような静けさの中でいつまでも待っている。

At Arashiyama study the maple tree when the setting sun kindles its every leaf until the tree seems aflame among the subdued gray-greens of its neighbors. Observe those neighbors, how they crowd close, pressing in upon the maple beneath its branches or, again, stand apart, remote, retreating from the glowing torch. But even beauty takes its toll, for above the new shoots of maple stretch the dead branches of shrunken power. Maple-viewing parties are popular autumn diversions among those Japanese who try to reproduce these tree relationships in their arrangements. 

嵐山では、夕日がカエデの葉の一枚一枚を照らし出し、隣の木々の控えめな灰緑色の中で燃えているように見えるカエデの木を観察する。カエデの枝の下に押し寄せてきたり、松明の光から遠ざかるように離れて立っていたり。カエデの新芽の上には、力を失った枯れ枝が伸びているのだ。紅葉狩り=カエデを見る会は、このような樹木の関係をアレンジメントで再現しようとする日本人に人気の秋の楽しみである。


昭和35(1960)年 『小原豊雲作品集』第一集夏秋 小原会館出版部




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