昭和8年ごろの日本のカーネーション生産の現場についての論文 鈴木譲氏 『農業及び園芸』9(1) 1934年1月号


 『農業及園芸』(農業および園芸)第9巻1号 1934年


温室カーネーションの生産特に其の実際経営に就て

鈴木 譲

1、温室カーネーションの意義

2、我国に於ける温室カーネーションの生産及び消費状況

3、生産者より消費者へ渡る経路

4、営利用カーネーションの品質ならびに品種

5、カーネーションと其の栽培環境

6、温室カーネーションの経営

7、カーネーション温室経営の収支計算



1 温室カーネーションの意義


ここに温室カーネーションと云ふのは、アメリカン・トリー・カーネーションと称せられるもので、多年性、四季咲、原種は南ヨーロッパが原産、半耐冬性多年性一重咲肉色のものであったが、十九世紀中頃フランスで四季咲種が作出され、更に米国に渡って非常な発達をなし現在の如く長茎大輪八重、多種多様な色彩の立派なものに作り上げたのである。我国へは既に3、40年前に渡来して栽培せられて居るが、東京附近の気温では厳冬殆ど枯死するので温室内に栽培が限られ、従って数年前迄はカーネーションは秋から春迄のものとなって居たが、温室内で作られたものは、夏季でも花の保ちが非常に良い事が広く知れ渡って来たので、その後は夏も盛に生産せられて居る。生花商の話では温室産と露地産とは花の保ちが7日と2日との相違があるとの事である。尚2、3年前から温室カーネーションを露地に栽培して、初夏から秋に切花を生産する事が初められ温室産に品質は及ばないが、相当立派なものが出来近頃各地に露地栽培がますます盛んになって来た。更に暖地では冬季も露地で切花が生産せられるやうになる事も予想せられる。然し温室三はまた独特の品質と品位を持っている。故に永く確たる地歩を保って行く事は確である。


2 我国に於ける温室カーネーションの生産及び消費状況


我国の温室カーネーションの生産地は勿論東京付近であるが、其内でも第一位は多摩川畔の田園調布温室村であり、第二位は神奈川県富岡及び杉田地方である。以下見易いやうに其産地別に列記する。


第1表 東京市場を中心とするカーネーション生産地ならびに其面積(生産地、温室面積)

東京市大森区田園調布四丁目(田園調布温室村)6,150坪

神奈川県久良岐郡富岡及び横浜市杉田地方2,250坪

神奈川県橘樹郡溝口及び其下流川崎市の北部に至る地方2,000坪

東京市田園調布温室村以北砧村に至る地方1,200坪

東京市田園調布温室村以南六郷に至る地方 700坪

神奈川県大船、鎌倉附近500坪

神奈川県大磯、二の宮付近500坪

埼玉県浦和町附近400坪

神奈川県藤沢町、辻堂付近300坪

上記の外に散在せるものの概坪数600坪

合計 14,600坪


第2表 関西に於けるカーネーション生産地ならびに其面積

大阪府下伊丹町附近670坪

阪急電鉄石橋駅附近400坪

大阪府下豊中町附近300坪

大阪府下箕面桜井附近150坪

大阪府下南海方面90坪

合計 1,610坪


第3表 静岡、愛知県に於けるカーネーション生産地ならびに其面積

静岡市付近250坪

清水市附近250坪

愛知県知多清洲附近400坪

合計 900坪


第4表 本邦カーネーション主産地生産面積

東京付近14,600坪

関西地方1,610坪

静岡、愛知地方900坪

上記以外調査に漏れたるもの500坪

合計  17,610坪


関西方面に於ては温室カーネーションの栽培は未だ初期であって年々著しき温室面積の増加を為して居る由であるが、今年(※おそらく昭和8年)9月の調査によれば大略第2表の如くであり、之以外にも尚相当に在るものと思はれるが詳しく調査し得なかった故に省略する。尚静岡愛知方面の概数を表示すれば第3表の如くである。第4表は第1表乃至第3表を蒐計したもので、之により大略我国に於ける温室カーネーションの栽培面積を窺知することが出来ようと思ふ。

而して此の17,600坪の温室より生産せらるるカーネーション切花の数量を算出して見ると、普通好成績の所で1坪の収穫数500本位であるが、全体の平均は之よりすっと少く見て坪当り430本とするが至当であらう。然すれば 17,600坪の生産本数は7,568,000本,切花の1ヶ年間の平均相場は3銭5厘であるから此の金額実に264,880円となり、単一の種類の切花の生産額としては相当巨額に達するものである。

さて此の巨額のカーネーション切花の束京其他の市場に於ける集散の状況は次の如くである。


第5表 本邦主要市場に於けるカーネーション集散状況其の一


東京市場に集るもの

田園調布温室村 6,150坪  2,644,500本 82,557円

富岡杉田地方(所産の3分の2) 1,500坪 645,000本 22,575円

溝口下流地方 2,000坪 860,000本 30,100円

田園調布温室村以北 1,200   516,000 18,060

田園調布温室村以南 700   301,000 10,535

大船、鎌倉付近(所産の半数) 250 107,500 3,763

大磯、二の宮付近 500 215,000 7,526

埼玉県浦和付近 400 172,000 6,020

藤沢、辻堂付近(所産の半数) 150 64,500 2,258

其他の地方(所産の三分の二) 400 172,000 6,020

合計  13,250坪 5,697,000本 189,414円


横浜市場に集るもの

富岡、杉田地方(所産の3分の1) 750坪 322,500本 11,388円

大船、鎌倉付近(所産の半教) 250 107,500 3,763

藤沢、辻堂附近(所産の半数) 150 64,500 2,258

其他 200 86,000 3,010

合計  1,350坪 580,500本 20,419円


関西市場に集るもの

第2表及び第3表記載のもの殆ど全部は関西市場に集るものと見られるも其内1割乃至2割は名古屋其他に於て消費せられるであらうから次の如くになる。

関西地方 1,610坪 632,300本 24,231円

愛知静岡地方 900 387,000 13,545

合計  2,510坪 1,079,300本 37,776円

1割を除く  2,259坪 971,370本 33,998円

尚盛花期に於て東京市場より関西市場に送らるるもの約20,000本以上に達するから結局関西市場に集るものは、1,000,000本、34,688円となる。之を見易く再記すれば、


第6表 本邦主要市場に於けるカーネーション集散状況

東京市場 5,697,000本 189,414円

横浜市場 580,500本 20,419円

関西市場 1,079,300本 33,998円

合計  7,356,800本 243,831円


以上の外に名古屋、静岡等には其付近より、仙台、新潟、福岡の各市場へは東京より少量乍らもカーネーションが送られている。尚熊本市付近には百数十坪のカーネーション栽培の温室があって、其生産品は熊本市に於て消費せられている所を見ると、筆者の調査の及ばぬ地方においても或る程度の生産と消費がある事を想像せられるのである。


次に消費の状況を見ると大体前記各市場に集る数量を各都市に於ける消費市場に集る数量を各都市に於ける消費量と見て宜しいが、東京では定期的に大阪、神戸、京都等の各市場に移出せられ、仙台、福岡、新潟、静岡等にも時々輸送されて居るから数量に多少の変動はあるものと見なければならない。

終に上述の各市場に於けるカーネーション集散の将来に対する卑見を述べやう。先づ東京ではカーネーション温室面積の増加は昭和6年に最高点に達し其後やや低下の傾向ではあるが尚年々多少の増加は継続するものと思はれる。従って切花生産の増加は当然続く筈である。之等の生産品は殆ど東京市揚に送られる事も定まった事であらう。尚切花の輸送の発達によって他地方の生産品が東京市場に集る事も考へられる事であるから東京市場の荷は将来益々増加するであらう。

一方消費の方面は現在では少しく行詰りの感があって市場に力ーネーションが多過ぎる結果相場が著しく低下し生産者も苦境に在るが、此結果近く一波乱が起るかも知れないが、結局は夫によつて更に販路の拡張が行はれ消費量は増加するものと思はれる。筆者の見る所では大東京の切花の消費力は現在尚相当の余裕があるにも拘はらず、販売業者の宣伝、販売技術の拙劣である為めに販路行詰りの状態を呈して居るのであつて、之は他の商品、化粧品、果実等に比較して売品の包装、用途の説明的宣伝等の点で甚だ遅れて居る所を見れば明である。少し話が岐路に入つたが兎に角大東京のカーネーション切花の消費量は将来益々増加すべき可能性のある事を信ずるものである。

次に関西方面は如何。この方面では生産も未だ極めて少いが然し近年著しく増加の傾向がある。而して尚数年間は益々増加発達するであらう。之は消費の方面から考へ得られる事で大阪、神戸、京都の三大都市を通じて今日迄消費の極めて少なかったのは、住民の気風にも関係ある事であるが、要するに品物の供給が少い為めに需要が起って来なかったと言へやう。三市の内神戸市がやや消費して居ったのであるが、近年東市場よりの送荷によりまた束京より技倆ある栽培家が大阪附近に於て温室栽培を創め、優良なるカーネーションを供給し初めた等の為めに其需要を粫刺激せられてここ1、2年来著しく消費量を増やして来たやうである。この傾向は今後益々進んで三大都市に於ける消費量は相当の額に迄上るであらう。関西地方の生産量が相当に増す迄は東京よりの送荷は今後暫らく発展を続けるであらう。名古屋、静岡、浜松等の各都市は其附近に在る現在の栽培面積の増加に連れて自然供給豊かとなり消費量も夫れ相応に増すであらう。

其他温暖なる地方の都市に於ては其地方に熱心たる生産者が現はれる等の良き條件を与へられると案外に著しい発展が、消費の上に来すのではないかと思はれる。熊本市等は其一例であらう。

只やや異例として見られるのは横浜市である。ここは20年前から付近の富岡でカーネーションの生産があり、東京附近の大生産地を控えておって、多少カーネーションの供給を受けて居た為めか、ここ数年来他の都市で消費の激増して来たのに比して消費の増加が目立たないやうである。また今後の発展も著しくないかと思はれ

終わりに航空輸送の発達近時著しい所から京城、新京及び北海道の大都市等にカーネーション切花が輸、移出せられ、更に支那、露領シベリア、南支那等に切花が進出する事も充分の可能性ある事である。筆者は嘗てカーネーションの切花を台湾に送って好結果を得た経験からも此事の実現遠くない事を信ずるのである。


3 生産者より消費者へ渡る経路


市場開東大震災後東京に初めて生花市場が出来た。現在の高級園芸市場が之である。之は従来生産者が生花商と直接取引をして居た為めに価格の馳け引きや売上金の回収に甚だ不利な境遇に在ったのを改善する目的を以て、大震災後の混乱を期とし、生産者の主なる者が起って組織したものであって、生産者擁護の為めにも生花商の仕入れの便利の為めにも好結果を得て繁昌した。其の後大生花商等集って立てたのが日本橋生花市場である。之にも無論二三の大生産者が加って居る。更に芝生花市場、本所の東京生花市場、其他大小続々と出来て現在大東京市内に凡そ三十近くの市場が出来て居る。之等の中、高級園芸市場は洋花専門であるが他は日本花を主として居る。然し大市場は何れも相当多量の洋花を取扱ふて居る。

さて生産者から送られた温室カーネーション切花は之等の中の三四の大市場に於て其所に毎日集る生花商に買はれて行く。尚近年カーネーションを初め洋花が市内各方面に需要せられるやうになった為め大市場に仲買人が出来て、洋花を大市場から各小市場に転導して其の口銭を得て居る。

生花商の手に渡った温室カーネーションの切花は其の店から、或はホテル、料理店、各家庭等に供給せられる。家庭に行くものの内には生花師匠等の手を経て行くものをも含んで居る。店頭から消費されて行く量の最大なものは慶弔の贈物である所の花環、花籠の類であって生花商の消化量の半数は此の方面であるとの事である。残りの半数の中の半は家庭へ、半はホテル、料理店等に行くのである。勿論之は花保ちの良い温室カーネーションに就ての事で、ダリヤ其他露地産の保ちの悪いものは店頭に空しく凋れて塵箱に捨てられるものが半数以上に及ぶとの事である。


4 営利用カーネーションの品質ならびに品種


以上で生産と消費の関係を一通り述べたつもりであるから市場に於ける温室カーネーションの相場、及切花の品質の良否、品種等に就て少しく述べて見やう。温室カーネーションの相場は近年漸次其平均価が低下して来た事は事実であるけれども一年を通じて相場の高低は少くなって来た。即ち数年前迄は年末の最高価は1本20銭以上に昇り,春4月頃の最低価は1銭を降る事が多かつた。尤も当時の春の品は害虫等に損傷せられたものが多く品質も悪く数量も一時に激増した関係もあったのであらう。最近は年末の最高が14.5銭止りで春の安値1銭と云ふ事は少くなった。

結局前には1ヶ年間の高低の波が大きく、数量が少かったが、最近は高低の波は少さく数量が多くなったやうである。生産の方も大体に於て年中割合平均に出荷される傾向になって来た。之は生産者の収入の方から云っても都合の良い事で、堅実になって来たと云へやう。

さて切花の品質は如何なるものが相場が良いかと云ふと花の大きさ・色彩の鮮やかなもの(同じ品種でも)が良いのは勿論であるが茎の長く、堅くぴんとしている事が第一の條件になって居る。余り棒のやうなのも良くはないが花の重みで弓のやうに撓むのは宜しくない。茎の下を持って斜に立てた時心持撓む位のものが理想とされて居る。弱々しく花の重みに堪えないものは最も悪く、棒のやうに直立して居る方が寧ろ喜ばれる。然し栽培の方から云ふと茎を丈夫に堅く作る仲々難しい事である。色は大体に於て春から夏にかけては薄色が喜ばれるが白及淡桃色は葬式の花環、花籠には無くてはならぬものであるから大きな葬式があれば何時でも相場が上るものである。

品種は年々多少の変遷をして来ている。数年前迄は新種と云へば殆ど無条件に相場が好かつたものであるが、此頃は其の品質に対する正確な判断が下されるので,古い品種でも良いものは相当な相場を保って居る。同じ品種でも栽培者の技倆によつて其花の相場も著しく違ふのである。大体に於て花弁の厚く茎のしつかりしているものは花保ちが良いので一番喜ばれる。

品種は外国のものが多いが我国でのカーネーション栽培の元老であり又品種作出の権威者土倉龍次郎氏(菜花園主)の作出品種には優良なもの多く数年前より其の新品種が東京の市場に続々現れ、外国品種と堂々肩を並べて居る事は誠に愉快な事である。之に刺激せられまた土倉氏の熟心なる指導によつて、其他にも国産新種がぼつぼつ作出されて来た。国産品種は概して草勢旺盛であるから市揚から外国品種を駆逐するのも遠い事ではあるまいと思はれる。

次に現在市揚に於て優位を占めている品種名及其特性を掲げて見やう。

lvolyアイボリー、白色、花は中輪であるが花容上品で花保が良いので昨年非常な高評を得今年は市場に白色カーネーションの第一位を占めるであらう。栽培はやや難かしい点もあるが収量は多い。Spectrumスベタトラム、赤色大輪、花保ち宜しく近年市場に著しく多くなつて来た。相場は特に良くはないが栽培容易多収穫な為め現在一般向に最も有利な品種である。 Salmon Spectrum サーモンスペクトラム、ピンクスペクトラムとも言はれるが色はサーモンの方に近いピンクである。赤スペクトラム変種で、花の大きさは之に劣るけれども色の変つて居る点栽培容易多収穫の点に於て頗る有利である。Mss C. W. Ward ワード。濃桃色花容芙しく良い花である。花保も良い。栽培はやや難しい所があるが有利な品種である。Betty Lou ベテー、スター、黄色、中輪花保ち好く新種で余り多くないが有望種である。Enchantres エンチャントレス、白、淡桃色、サーモン、ローズピンク等がある。之は最も古い品種で栽培にも多少の難があるが花容の美しく大輪で殊に他に良い品種がないので花保の悪い欠点を認められながら未だ相当の地歩を占めている。Denber Pink デンバー、ピンク、淡桃色ワードの変種であつて、花の美と花保の良い点とピンクエンチャントレスの薄いピンク色とを併せ供へた新種であって有望なる品種である。Harvester ハーベスター、白色多収穫の良種。Morning glow モーニング・グロ

ウ、愛らしいピンクの花収量多く良種である。Jeuel pink ヂュエルピンク。モーニングに似た花でやや大、其他ワツシュバム、エルドラ等がある国産種として白雲、白瑶、泰山等の白色種、黄色に菜花、黄褐、桃色系統に桃山、西王母、花の都、薄牡丹、鮮紅色に旭日、白地に赤の筋入りに錦旗一号・二号等がある。之等は何れも優秀なもので現在市場に好評を博して居る。


5 カーネーションと其栽培環境


カーネーションは冷涼で大気の乾燥して居る気候を好むものであるから東京附近では春と秋とに最も良く生育する。冬期は温室内で昼間C26度前後、夜間はC11度から16度の間を適当とする、適温は品種によって異る。尚耐寒性の強い品種は東京附近で戸外で越冬し得るものもある。開花時の気温は大部分の品種は低温の方が花多く茎堅く良い花を開く、日本の気候は概して夏季高温で温気も多いから通風に依って涼しく保つより外に方法がないのである。

土壌は粘質壌上が最も適している。東京附近で荒木田と称する土は之に適して居る。上述の諸点から見てカーネーション温室を建設する時は高燥で夏期冷涼なる事、通風をを妨げるものの無い場所で土壌は前記の土壌を豊富に得られる所を選ぶべきである。

カーネーション温室の一般の構造に就ては詳細に記述した書籍が発表せられて居るから此所には略して其構築上実際に注意すべき点二三を記す事にする。


基礎 従来の温室の構造は屋根の重量を支へる事には相当に意を用ひて居るが横からの風圧に対する抵抗力に就て考へが足らなかったやうに思ふ。昭和7年秋関東に大暴風雨があった際に田園調布温室村付近でlOO坪の温室が2棟、50坪のもの一棟とが倒壊した。筆者は之等倒壊の現場を見、且つ其復旧工事を手伝ひ倒壊した原因を考察して見たが其中の重要な欠点は基礎と骨組との不完全に在った事を発見したのである。

この内の一温室は周囲の基礎コンクリートが地均しした土の上を少し突き固めたのみでコンクリートを打ち土中には殆んど埋って居らなかった。

而して補強用の鉄柱は只其のコンクリートの中に立ててあったに過ぎなかつた。又中柱は煉瓦の上に載せ土際に厚さ3寸、方一尺のコンクリートが体裁だけに付着してあつた。第8図イ及ロを比較すれば其の不完全な事が明暸である。

之が被害後の状態は基礎コンクリートは横倒れとなり鉄柱を植えてある箇所から破れて居た。中柱は容易に倒れて居つた。結局風圧に対して基礎コンクリートは何の抵抗力もなかったものと見られた。

第二の温室は第8図ロのやうに完全であったが周囲の基礎コンクリートの一部分傾いた所もあったが大体相当な抵抗力を持って居た。其の結果補強の一吋(インチ)半パイプの鉄柱が曲って居たのもあった。之は倒壊の原因が骨組の不良に在ったと思はれたのであった。之に依って骨組が最も大切である事が知られた。骨組の良否を次の図に依って説明しやう。(第10図参照)


温室用材検査其他

温室用木材は必要の大きさに挽割ったならば鉋をかける前に必ず一応検査しなければならない。木目の密に真直に平行して居るものが最も好く、木目の極めて租いものは腐朽し易い。節は無いのが最良であるが先づ挿木、樋、棟木,窓框は小節程度のものを用ひ、母屋、桁等茅はやや大節があっても宜しく、土台は節が多くても差支へない。然し、節の中に死節と称して節の周囲に隙間が在って水が浸込むものが在る。之は最も忌むべきものでこの浸水の為めに腐朽を早めるからである。夫故死節のあryものを使用じなければならぬ場合には温室の外部は勿論内部でも水の掛かる面には絶対に用いてはならない。ペンキ等で塗りつぶしてもやはり其部分からひびが入って水が侵入するものである。

温室用材は組み立てる前に木材用ぺンキ塗二回、鉄材は防銹塗料を塗って置く事を忘れてはならない。特に木材の接合部は後に塗る事が出来ないから濃いペンキを入念に塗って置かなければならない。

温室を二棟三棟連接して建てる事は多少通風を妨げる欠点はあるが敷地の節約、建設費の軽減、温室の堅牢等多くの利益が得られる。此の場合、各棟の間を木の底幅7、8寸の樋によって接続するのが普通である。それゆえにこの樋の水を一方に流すために最初から温室全体、即ち棟木を一方に120分の1位の勾配に傾けて置く必要がある。

暖房装置に就いての注意

ボイラー据付の位置は全温室の中央部が配管、温湯又は蒸気の循環に最も有利であるが、ボイラー室の上屋、及び煙突の為め温室に庇護を作り通風を妨げ、又煙突の塗換を行ふ際に硝子を汚損せしめる事がある。従って其位置は石炭の搬入、焚殼の搬出等の便利をも考慮し又将来温室面積の拡張をも考慮して定めなければならない。

ボイラーを据える場所は普通地下数尺を掘下げ周囲と底とを6、7寸厚さにコンクリートで固めるのであるが、地下水が高く水の浸出する所ではコンクリートに防水剤を混じて完全に水が浸入しない様にしなければならない。又コンクリートを打って、其せき板をはづし外側を埋める時に土を能く搗き固めて置かないと大雨の時に周囲に流込んだ雨水の為に、コンクリートの暖房室全体が箱を浮かせた様に浮き出して大失敗を来す事がある。之は一寸考へ付かない事であるが、実例の在る事で筆者も大さ2間半に3間深さ8尺と云ふ大きなものが3尺餘も浮き出して元通りに納まらず復旧に巨額の出費を要した実例を見た。

暖房の様式を蒸気にするか、温湯にするか又温湯なれば自然循環か強制循環か、何れにすべきかに就て参考迄に田園調布温室村に於ての統計を示すと第7表の通りである。

左の表で見ると面積の大なるものは蒸気式、小なるものは温湯式である。又強制循環の中一つ丈が専用式で他の四つは強制、自然何れにも出来る式である。

強制循環式は其地の電燈会社が確実なものであり、設備が完備しておって、長時間の停電のない場合は有利であり,又専用式とすればパイプ代及び敷設費も安価で坪数大なる時は設備費、電力料金等をも充分に償ふものと思う。

ボイラーの種類は筆者は鉄板製ボイラーのみを使用し他のボイラー使用の経験は有せないが、蒸気の場合は多鑵式又はセクショナルを可とし温湯式にては鉄板製が最も有利であると考へる。第一ボイラーの代価は鉄板製はセクショナルの1/2以下で充分足り、尚能率は寧ろ勝って居る。只鉄板製は製作が杜撰粗製なものが多いから構造、材料等充分の検査を要する。

暖房パイプの配管に就ては各室温度の調節自在に且つ各室の各パイプに平等に湯が流れ進むやうにするには一定の方式があるのであるから専門の熟達した者に設計を委すべきで、配管の不良は燃料費不経済なるのみでなく全部の改造を必要とする事が多く、損害少からざるものである故に最初に慎重なる注意を要する。

温湯式でも鑵の湯が沸騰した場合蒸気を急に放出する為めに室気抜バルブを大にするか或は別に鑵の上に大なるバルブを取付ける必要がある。之は警視庁の取締規則にも要求されて居る。

尚暖房装置の上に注意すべき事はボイラー及びパイプの温室外を通る部分等放熱の必要なき部分の保温被覆を施す事で、之は最初に僅かなる費用を投ずれば永く年々の石炭代の節約を為し得られる。更に必要なのはボイラーの給水管及び一般給水管の防凍被露で之を施してない時は鉄管の破壊を生じ、又はボイラーの給水止まり、不規則の危険を生する事になる。


6 温室カーネーションの経営


温室カーネーションは単独に之のみを栽培するか、之に他の作物を配するか、又は他の作物の副作物として作るか、何れが適当で有利であるか、又其他の作物との割合は如何と云ふ事を実例に依つて考究する事とする。

今カーネーション栽培に於て本邦第1位にある田園調布温室村及び横浜市外富岡及び杉田に於ける温室カーネーションと他作物との作付比較を第8表乃至第10表として示すこととする。此の表によって見てもカーネーションは主作物として適して居る事が分る。又単一作物としても良いのである。元来カーネーションは定植から古株となって抜捨てる迄満1ヶ年間植床を占居して居るものであるから其苗を作る為めに1・2月頃から苗の置場を温室内に設けなければならない。而して苗の成長するに従って其場所を拡げて行く為めに3・4月頃にはカーネーション定植の面積の3・4割の面積を要するやうになるのであるから、其の為めに秋から植えて3月頃迄に取除く事の出来る作物例へばフリージヤ、サイクラメン等を栽培するのが得策である。然し苗の置場はフレームでも間に合ふから、副作物は必ずしも作る必要はないわけである。

又上の表によってカーネーションが大栽培に適する事も知られるであらう。只富岡、杉田地方に小面積の栽培の多いのは同地方は経営者が多くは土地の農家で温室以外に畑で蔬菜及地産花卉等を作っている為めである。従って敷地の項は田園調布温室村の温室専用敷地とは比較し得ないので省いたわけである。

総括して言へばカーネーションは専業に適し且つ大栽培に有利なるものである。之は其性質が広濶なる室を好み管理も大温室に単一なるものを作る方が能率好く有利である。又出荷の上に於ても大市場では同一品が数多く在る方が相場が好くなるので(但し之は高級品に限られる)一束20本の内に異品種は勿論2等品、3等品を混入することは最も不利である。故に品種と品目を揃へなければならぬ。従って1日の収穫は相当多くなければならぬわけである。実際に於て200坪以上なければ大市場へ品質を整えて出荷することは困難である。余事ではあるが各種のものを混合栽培することは未経験者の陥り易い危険で初めはあれが有利だ、之が有望だと聞くと、どれもこれも限られた温室に作って見たくなるものであるが、各種各様の温度、湿度等を要求するものを一緒に作つて旨く出来ないのは当然の事であり、又市場でも不出来な少量の品は殆ど相場が出ない事も定った事である。温室園芸に入ってから5・6年位の経験では数種類の混作は先づ難しいと云ふて宜いと思ふ。然し現在小面積の温室で多種多様な作物を作って非常な成績を揚げて居られる人も相当あるが之は何れも十数年の貴重な研究を積んで来られた人々である。初心の人は一作物を命の綱として全力を傾注するが最も得策と考へる。

又一方収入の点より考へる時はカーネーションは坪当りの収益の少いものであるから先づ100坪以下では夫婦二人の生活の資には足りぬであらう。故に最初は100坪以上300坪迄でカーネーションを専業とし温室坪数の1割以内にフリージヤ、経験あればサイクラメン等一種を配し而して逐年カーネーションの温室を増築し普通は500坪を限度とするが安全であると思ふ。500坪以上の経費は事業化して来る故に栽培技術以外、更に事業経営の優れたる技能を要する。敷地に就ては前項に述べたから面積に就て茲に述べる。表に於て見ると敷地は温室の3倍強であるが之は将来温室の面積の拡張を予想して余分の土地を有するもの多き為めで必要なる面積は150坪以上の温室に対して約2倍の敷地を要し温室坪数の増すに従って割合はやや低下して宜しく、以下では割合は著しく増大する必要がある。之は敷地の用途が住宅物置道路等を含む為めで其地は用土の掘取り場、又は春期、苗の植出し場等に使用する。


7 カーネーション温室経営の収支計算


今此処に二三の実際数字を基礎として収支計算を示してご参考に供しやうと思ふが、然し其の数字殊に収穫数等は各人甚だしい差があって何れを採って好いか甚だ取捨に迷ったのであるが成るべく其中庸をとる事に勉めた。



上の収支計算に計上した温室、加温設備、給水設備は何れも現在東京附近の温室諸設備の中の上の部に位するもので、完全にして堅牢、永年の使用に堪へるものである。

諸材料工賃等は大体今年の相場に依って居るが中には2、3年前の安い相場を用いて居るものもあるのは止むを得ない事と御許しを願ふ。

収支計算の第1年目は主人無報酬で尚50余円の不足を生じて居るが、之は前述の通りカーネーションは、100坪位では引合はない事を現すもので、又此の諸設備が300余坪を目的としたものであるから不足を生ずるのは当然であらう。

第2年目に於ても主人の報酬に相当するものは僅に100円になって居る。この原因の一は労銀で230坪でカーネーション専業ならば主人と経験ある助手1名とでも労力如何ではやってゆけるのであるけれど之は未経験の人を主人とした為めに斯様な事になる方が当然と考へた次第である。

大体此の計算は温室栽培が近頃噂されて居るやうに利益の多いものではない事を明瞭にし、軽々しく大なる資本を投じて失望する人のないやうにとの念願から実際の数字を根拠として作ったものである。然し将来温室花卉殊に需要の広汎なカーネーションの生産は益々必要であるから、此の計算に於て支出を節し収入を増す事は其人の技倆と努力とに依るものであって、初めより相当なる覚悟決め熱心が持続するならば確実なる仕事となる事を確言する。この計算中注意すべきは資本利子と温室の償却費の莫大な事で、自分の金で初めに創設することが出来れば償却費の方は数年間は必要がないから此の両者を生活費に当てる事が出来る。故に此の計算の実施必しも不可能ではないのである。

充分の経験を得て経営宜しきを得れば相当の余裕を生ずる事は確である。現に450坪の温室を経営して数人の家族を持ち余裕ある生活を営んで居る二三の実例を見て居るのでカーネーション生産の温室経営が確実有望の事業であると云ふ事を断言するを憚らない次第である。

要するに以上述べ来った所は常春の温室内で美しいカーネーションでも作って楽しみ乍ら金を儲けられると云ふ夢のやうな空想に駆られて軽々しく巨大な資本を投じ、2、3年ならずして予期に反し失敗の現実に帰ると云ふやうな人のないやうにお互に此の人生を美化する重大なる使命を有するカーネーション生産事業をして堅実なる発達をせしめて行き度いと云ふ切なる念願に出でたものに外ならないのである。(終)






















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