明治40年代に小田原で大規模な花卉園芸施設、「辻村農園」を興し、東京に売店を設けて直売を行った辻村常助氏の肖像

第11巻第8号 昭和6(1931)年12月号

辻村常助氏(1881-1959)の肖像



 

辻村常助氏が記した「著名欧米園芸書解題」から花卉装飾に関する書籍


『実際園芸』第22巻4号 昭和12(1937)年4月号

新しい園芸加工品 フルーツ・バタの話(1)

辻村農園主 辻村常助(つじむらつねすけ)


 園芸品の用途を開拓するために、園芸品利用学と、園芸品加学とは、農村の窮境打開、及び天恵に富める我が園芸国の、地産の発揚に喫緊の急務として、此新使命の遂行を痛切に感ずるのである。
 此分科の範囲は、一は食用以外の用途、後者は生食以外の食料品としての、園芸利用の方法である。園芸品利用学は姑く他日の問題として、先づ園芸加工に於ても、古来既に我国独特の園芸加工品が無数に行われ、また欧米の園芸加工法を伝習して、我国に製造される物も甚だ多種類である。なおその上に、近代科学の進展に伴って、益(ますます)新種目を加う可きは期して俟(ま)つべきである。我国民は、模倣に長じて独創に欠けて居ると世評を受る通り、古来の園芸加工品とても、支那若しくは朝鮮から伝授された物が多い。しかしながら、また之を邦人の嗜好、及栄養に適する様、幾
多の改良を施し、現在としては、既に本邦独自の、園芸加工品たる資格を具(そな)えたる品種も極めて多いのである。只明治以来、西欧園芸の輸入されて、その資材に依る園芸加工品なる物は、依然として彼れの亜流たるは反省を要する次第である。小生等も及ばずながらシロップやジュースに関しては、独自の見解を施して、必しも欧米現存の製品と一様ならざるを期したつもりでは有るが、それにしても根本に於て、原料と目的とが同一なる以上、無闇に飛び離れて異った製品の出来る筈は無い。要は品質に於て一頭地を抜いた位に止まるのである。吾等は親愛なる我が園芸家が、斯の如き些細の相違に得意めかしく自慢する様な、小さな心を捨てて、真に独創に充ちたる園芸加工品を製作されん事を希ふのである。
 然ながら独創的園芸加工品が出来るとしても、自ら楽しむので無くして、之を販売して世間の需要に対応するので有れば、そこに聊(いささ)か考なければ成らない事情が存在する。


 近来我が国民も、自己の資力を稍(やや)認識して、 あながち欧米に劣る者で無い事に気が付き始めた様であるが、それにしても末だ末だ欧米を尊んで自らを卑しと為し、祖国を侮るの風習は牢乎(ろうこ)として容易に抜けないのである。就中(なかんずく)商品を需要する購買層に於て、その崇外(すうはい)思想は殊に著いのである。例ば商品の名称、外観、包装等を、西洋めいた物にしないと今猶通用性が悪いのである。嘗てメチニ一コッフ氏のブルガリア菌全盛時代、此乳酸飲料を以て斯界を風靡したのは某氏で有るが、乳酸飲料なんて事新しく云ふ迄も無く、お釈迦様の時代から東洋では知って居たのだから、先づ古名の儘に「醍醐味」と云て売り出したけれ共、思はしい成績を見なかったので有る。後には之を「カルピス」と改称し時勢に適中して一躍成果を奏したのである。園芸品利用学の範囲に、除虫菊を主材とせる蚊取香「カトール」など云う名は極端であるが、鈴木博士のオリザニンなどは誠に手に入った命名である。米の県名はオリザ・サティワであるから、オリザニンとは良い名前である。之を米の素とか米の精など付けたら味の素と問違えられるかも知れない。
 序(ついで)ながら「味の素」は全く偉い。始から味の素で押し通して、おまけに西洋へも進出して矢張り味の素で通して居る。彼の時代としてこの決意で進んだ事は、苦心の程も察しられて、池田博士の信念には真に敬意を表せざるを得ないのである。なお書の説明に「但シ酒体ヲ作ラバ爾ハ此レ麹糵(きくげつ=酒をつくる麹)」と云う詞が有って、三千年の昔、麹や蘗(もやし)は味の素で有り、亦栄養剤でも有った。現代之を「麹蘗(きくげつ)」と云って売り始めても、殆ど誰も見向きもしまいと思われる。仮令(たとえ)菌種は多少違うにしても、之に「へーへ」とか「エビオス」とか云う名前を用いた物は、中々旺(さかん)に売れて居るのである。


近頃売れる「ポンパン」なども面白い名であるポンと撥ねてパンと響く、如何にも清新な沸騰飲料らしい。而て日本語に相違ないけれ共、何うやら西洋の名の様にも思われて、自然とシャンパンを連想する。製造元でも和製の林檎酒と云て居る位で、真実のシャンパンとは雲泥の相違ながら、併もその製法は全く独特の考案に基づいたものである。苹果(リンゴ)の酒と云っているが沢山の水分が混じり、苹果の様なところも有り、萄葡の様なところもあり、また多少はビールに似たところも有り、自然発酵の沸騰性でも有り、また後から加えた炭酸瓦斯の様なところがあり、全く不可解の製品ながらその独創力は確かに認める可きである。
 以前宮崎光太郎氏が「大黒葡萄液」を発売して、恐らく是れが我国での葡萄液の始祖で有うと思われる。然ながら商品名としては小生の選んだ葡萄ジュースと云う方が、購買心理には適合したらしく、矢張り国粋一点張りの名前では時節が早過ぎたのでは有まいか。左ればと云って今に成ると、なまじいグレープジュースと明けすけに云って仕舞うと、最うインチキ物の伴侶(はんろ)に考えられ勝に成って、斯るところに需要者を動かす微妙な心意の働きが見られるので有る。
 事の序に萄葡ジュースなる物が、予想外の著及を見たのは、其前に「どりこの」の宣伝が頗る力あったので有る。どりこのは專ら萄葡糖の効果を強調し、どりこのを飲んだ事は無くとも萄葡糖の効用だけは飽きる程読まされて居た折柄に、萄葡ジュースが世間に現れて、正真正銘の萄葡糖飲料であると云い出したので有る。如何な素人でも先ず真物の萄葡の方に引き寄せられる。おまけに大きい広告は広告料を買わされるのだ位の心得は誰しも持って居るから、期せずして萄葡ジュースの沈黙の雄弁に同情したのである。園芸加工品の商品に就ても、孫子の所謂「糧(かて)を敵に借る」と云う様な戦術も、偶(たま)には役に立つのである。各種の園芸加工品も、出来たからと即座に売れ行くものではない。売るには売るべき潮時を見定めるのが必要である。


パン、バタ、コーヒー、シロップ、ジュースと云う様な帰化語は、そのまま帰化語を用いて、敢て新しい名前を付ける必要が無い。然るに製造家は、屡(しばしば)特別の名前を付けて、独占的商品名としようと試みる。斯る場合、其内容外観に対して、二つながら徹底的なる宣伝をしなければ成らないから、多くの場合に労多くして中途に疲れるのである。他人様の事を引合いに出しては誠に相済まぬけれ共、園芸加工を企てる諸君の参考にも成る事故御許しを願って、例へばここに苹果ジュースを発売しようとする。最近流行の品種がデリシャスで有るから、その苹果汁をデリシャスと名付け、或はスターキングと名付ける。また苹果で昔から流行り廃りの無い良品種とて「紅玉」または「国光」などをそのまま果汁の商品名とする。デリシャスとか国光とか鳳凰卵(ほうおうらん)とか云うのは、苟(いかに)も果汁を飮む程の者なら知っている筈だと思うのは、申ては失礼ながら聊(いささ)か独り合点の声評を受け易い事に成る。需要者は案外無智な者である事を心得てから、園芸加工品を世に出す事を忘れてはいけない。それと共に、需要者はまた案外鑑識の確な者だと云う事を念頭から離してはいけない。
 思えばわが国の園芸加工品は、最近蜜柑の缶詰が目覚ましい海外進出を見るのみで、爾余の品類に至って誠に遅々たる歩み方である。是れが小生如き園芸加工に従事する者が、皆一様に資力不足に基くのである。園芸家の園芸加工は、手もとに構わず足跡を拡げるのは危険である。むしろ資力相応のところに安住して、交交たる黄鳥、其止まる処に止まる可きである。而て多角形的に加工品目を補い、資金の回転率を増す方が安全である。諺に云う馬鹿の一つ覚え、一種一業一点張りで、乗るか反るかの勝負をするのはゆめゆめ園芸家として慎む可きである。幸にして万一是れが成功しても、夫れは他人の進路を扼して、自ら独占の快を貪るに過ぎない。グレシアムの方則は悪貨は良貨を駆逐すと云うけれ共、商戦場裡に在ては精良品は最後に粗悪品を駆逐するもので有るから、園芸的良心を堅持して、必しも功を急ぐの必要は無い。果樹を栽えても十数年は掛る。園芸加工品は際物で無い。味覚の芸術として久遠の生命を帯び、以て天下に奉仕する有る。
 以上は今回、石井主幹より御依嘱のフルーツバタの予論としては、少々方向違いに脱線した様であるが、若し園芸加工に志す御方に何等か一片の暗示とも成らば幸せである。要するに今のところ、全く独創的加工品は、苦しみの割合に適用性に乏く、且つ極端に国粋的の表現も聊か無理が伴い、また西洋かぶれも行き過ぎては却って駄目に成る。左様いう世相を認識して、徐々に新しい物を紹介するところに、園芸加工品の進路は期待されるので有る。
 斯る世相に対して、フルーツバタの進出は、暫時の辛棒によって地盤を造り得られるかと思はれるので以下此の方面に趣味を持たるる方に御相談をし度いと思うのである。(以下次号)


明治末期の辻村農園付近の図 
『小田原が生んだ辻村伊助と辻村農園』
 松浦正郎 箱根博物会 1994 の図(p19)を転載

このブログの人気の投稿

横浜の「ガーデン山」にその名を残す横浜ガーデン主と伴田家との関係

大正12年12月20日(木)、有楽町駅すぐ(日比谷側)埼玉銀行の地下にて、高級園芸市場が営業を開始 すぐにスバル座あたりに移る

東京は花の都! 周辺十里はすべて花の産地です  大正2年の東京の花事情 『新公論』に掲載の記事