【インフルエンザの流行、花がいくらあっても足らぬ】1918年 米国カリフォルニア州の当時の情況


サンフランシスコの日本人経営の花市場のようす 1920年代

【インフルエンザの流行、花がいくらあっても足らぬ】1918年 米国カリフォルニア州の花園業者の情況について

欧州大戦の終盤、スペインから始まったインフルエンザは世界中で大流行し、戦争以上に恐れられ、多数の死者を出すパンデミックとなった。カリフォルニア州では、1918年の秋頃から災厄の大きな波に飲み込まれた。

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―マスクの世の中


 この病気は向寒の期節に当り、空気伝染をなすため、病毒の散布拡大に対する防御困難にして、予防注射と、マスクを以て口を蔽って、危険を防ぐより他に方法なく、世界は一時、白布を主として用いたる、マスクの世の中となり、マスクとマスクとを対談することとなり、平常に見ざる奇観を呈したのでありました。

 この流行性感冒はその影響すこぶる重大で、死者多数、欧州大戦に勝る意外の惨事なりと称せられ、最も多忙を極めた者は、医師、看護婦、病院、収容所、マスク製造業者、注射薬製造業者、教会寺院、僧侶牧師、葬儀社墓地などで、花園業者もまたその中に包含せられて、莫大なる花の需要に接しテンテコ舞いの多忙を極めたのであります。


―いくらあっても足らぬ花の需要


 喜びにも、悲しみにも、どうしても無くてはならぬ、花の有難味と尊さは、この時分に最もよく、実験せられたのであります。

 病人の見舞、葬儀、その他の目的に使用せられたる花の需要は実に莫大なるもので、花園業者、市場、販売業者は予期しなかった繁忙に全く目を回したのであります。

 限りある生産は、急激なる無限の需要に応ずるべくもあらず、供給の不足は市価の暴騰を来し、花であれば、いかなるものにても可なり、といった時代もあったのであります。

 世人が看護に忙殺せられ、葬儀を営みつつあった間に、花園業者は、多大の注文に応ずべく、昼夜兼行無理をなし、一生懸命に花を切り出し、いかにして花を早く咲かせんかと当惑しつつあったのでした。


この年の最高相場は、

菊 上等品 6ダースバンチ 19ドル

ロウズ 同 2ダースバンチ 8ドル

カアネエション 同 2ダースバンチ 2ドル50セント


などで、記録破りの値段として、今日なお昔話の種となっております。実際、花であったらどんなものでもよかったとは、世の中の回り合わせは、不思議なものであります。


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『加州日本人花園業発達史』1928

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