勅使河原蒼風とバウハウスとの出会い






【勅使河原蒼風もバウハウス式の造形論を学んでいた】


勅使河原蒼風が川喜田煉七郎の新建築工芸学院に学んでいたという話は、論文にひとつあり、それがWikipediaに載っているが、初めて他の本のなかで証言されているのを見つけた。山脇道子『バウハウスと茶の湯』1995、134ページ

戦前の日本でドイツ、バウハウスの教育を精力的に紹介した川喜田煉七郎は、1930年、ウクライナ、ハルキウのウクライナ劇場国際設計競技において、アジア人として初めて4等入賞し、その力を魅せた。彼が作った新建築工芸学院は、桑沢節子や亀倉雄策が出ている。

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