投稿

1968年(昭和43年)「アメリカ西海岸 花と種苗生産視察団報告記」を読む (5)「花卉生産班」「種苗班」の記録、鉢物の生産と経営

イメージ
 (5)-1 視察旅行団見学の記録 「花卉生産班」の見学日記  P72~77  (5)-2 「種苗班」見学日記 P78~82 (5)-3 「鉢物の生産と経営」p36~39 田中 宏 (東京都農試江戸川分場 技師)

1968年(昭和43年)「アメリカ西海岸 花と種苗生産視察団報告記」を読む (4)サボテン、植物園

イメージ
 (4)-1 「サボテン班」 見学日記  長谷川弘 P87~89 (4)-2 植物園、公園めぐり 清水基夫 P52~56 『ガーデンライフ』誌、No27、95、96ページにも関連記事あり)

1968年(昭和43年)「アメリカ西海岸 花と種苗生産視察団報告記」を読む (3) 生花商と花市場の見学

イメージ
 (3)-1 「生花商」班 見学日記 関江きよ(花重商店) P84、85 「生花商」班見学日記 関江きよ   四月二十四日(水)  花卉生産班と同じ。   四月二十五日(木)  九時出発。大きなバスにガイドの竹尾さんを加えて一三名。ゆったりとすわった。まず、自己紹介をして名刺交換。  第一の見学地はサンフランシスコ市立大学。ここで装飾園芸部門を見学。二日前にあったという生徒作品のデモンストレーションをそのまま残しておいてくれた。お伽の国というテーマで、各班がアレンジした作品が可愛い。そこで日本の生け花を二つほどいけてあげたり、その後マリーホープ夫人(大学の教師)の招待で昼食。  この後、グリーンハウスをまわってからロッドマクレランにゆく。コーサージブーケでおなじみのランが沢山作られていることにびっくりし、少人数を幸いにゆっくりみた。それから、ストーンハーストホールセイル・フローリストにいく。コレマツ氏の店である。それからサンフランシスコ市内に車で帰る。   四月二十六日(金)  ロスアンゼルスのヘッドドレス・ボールヘいくために四人ほど減って、九名でバスに乗り、ザペティニィー・カンパニーにいく。ここはシッピング(*国内外各地への転送)が主である。それから、サンマティオ方面にゆき、サンマティオ・フローリスト、オーサン・フローリストにいき近くの公園で昼食。ここには日本庭園もあるという。その後、サニーサイド・ナーセリー、シバタ・ナーセリーヘ花卉生産班と同行する。   四月二十七日(土)~四月三十日(火)  花卉生産班と同じ。   五月一日(水)  午後二時から小さな車でクロスリーズ・フローリストにいく。広々としたウィンドーにはアレンジメントをはじめ、沢山の作品が飾ってある。フェルトリボンで作った花やペーパー・カーネーションが印象的たった。ウィンドーの一部は冷蔵庫になっており、やはり作品がはいっていて、外からみるようになっている。  ついでファーマーズ・マーケットヘ。ここにも沢山の作品が陳列されており、スケッチをしたり仲々忙しい。二階にホンコンフラワーで結婚式用装飾のサンプルができていた。日本人も男女三名ずつ働いていた。  その後、フラワービュー・ガーデンヘいく。アーサー・イトウ氏の店。この店の特徴は地下の作業場からエレベーターで歩道に花を運びだせるようになっているこ...

1968年(昭和43年)「アメリカ西海岸 花と種苗生産視察団報告記」を読む (2)参加者の感想、街の花、家庭の花

イメージ
(2)-1 「参加者の感想」p60~71  ※この一連の画像の下にテキスト化したものを再録してあります。 p83 ↑ (2)-2 「街の花家庭の花」 植村猶行(誠文堂新光社)P57~59 現地の家庭でどんな植物が使われているかを調査した記事  もういいと more eat 山田羊歯子  キャンタベリーホテルの売店でも、どのホテルのオペレーターも、サクラメントの市庁舎でエレベーターを運転していたのも、みんな年をとった女性ばかりで、その中ではサンセットホテルの食堂のノッポさんがまア若い方だったでしょうか。  注文しようと顔を上げると、視線が彼女のオヘソのあたりしかとどかず、私達はひそかに「ダチョウさん」とよんでおりました。「ミルク」と頼んでも、時たま独得の低音で「ビール?」と聞き返されてどういう訳で、ミルクがビールに聞えるのかと不思議でした。ディズニーランドでは、ようやく働いている若い女性の姿に接する事が出来、続いて訪れたゴーストタウンの食堂では、小柄な若い女性達に愛嬌よく迎えられて心和む思いでした。そのカワイコチャンの一人が、ナプキンに包んだパンのカゴを指して「モウイイ」と聞くのです。思わずモウイイと返事をすると、ほほえみながら、うなずいてカゴを持って行ってしまいました。私達は「ナアンだ。日本語が通じるんじゃないの」と感心しながらボリュームたっぷりの昼食に挑戦を続けていましたら、先程の彼女が再びあたためたパンをカゴにいっぱい入れて運んで来たではありませんか。私達が勝手に「モウイイ」と解釈したのは more eat のまちがいだった事がわかり、大笑いでした。  そしてもう一度、エンシニタスの花屋さんを見学したとき、女性にはグラジオラスをプレゼントして下さるとのことで、冷凍室から出して選別している中から一本受け取った毋が、何か言われて「もういいです」と言ったのを相手は「モア」と感ちがいして、「もうけっこうけっこう」と言えば言うほど、「モアモア」、と思いちがえてどんどん手渡してくれるので毋は閉口していました。   「ノーサンキュー」と言えばよかったのにねと気がついたのは後のまつりで、先を歩いていた私まで両手に余る程のグラジオラスを持たされてしまいました。  ゴーストタウンのカワイコチャンをアメリカの旅の一つの想い出として忘れる事がないと共に、「もう」と「モア」ももうまちがえ...

1968年(昭和43年)「アメリカ西海岸 花と種苗生産視察団報告記」を読む (1)

イメージ
  『カリフォルニアの花 ―アメリカ西海岸花と種苗生産視察団報告記―』社団法人日本花き生産協会発行 1968年11月11日 (非売品) アメリカ西海岸 花と種苗生産視察団一行の記念写真(ハワイ・ホノルル空港にて) 1968年(昭和43年)の初夏、ものすごくビッグな海外視察旅行が実施された。千葉大学関係者を筆頭に、当時の園芸学のリーダーが顔を揃えているのを始め、生産者や温室などの設備業者、小売店、フラワーデザイナーなど、日本の花卉、蔬菜関連の産業を支える人たちがひとつの塊となって参加した。 この歴史的な視察旅行の記録が目の前にある。日本花き生産協会が誠文堂新光社に委託し、『農耕と園芸』や『ガーデンライフ』で活躍する編集者らが一冊の本にまとめている。編集部の主要なメンバーも旅に参加している。これもすごいことだと思われる。 旅行の日程などがまとめて書かれていないが(同時期の『農耕と園藝』誌にも関連記事があり、そちらのほうがわかりやすいかもしれない)、1968年4月24日(水)~5月7日(火)の2週間の視察旅行だったようだ。カリフォルニアとハワイに立ち寄っていろいろな場所を視察している。 ●今回、資料として僕が入手したこのブックは、ネットオークションで精神を集中してセリ落とした。以前の持ち主は、京都市北区鷹ヶ峰の高山種苗鷹ヶ峰試験場の山埜幸夫氏が所蔵されていた印が前後の扉に押されていた。セロハンテープでまわりをしっかりと補強されている。奇跡だと思う。よく廃棄されずに、残ったものだと深く感謝し、神様に祈りたい気持ちでいっぱいである。 今回は、複数回にわたって、このブックに掲載されている記事をすべてここに公開したいと考えている。